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追悼、馬場裕一さん

馬場裕一さん。
通称「バビィ」「バビロン」「ババプロ」。
麻雀プロ(最高位戦→フリープロ)、麻雀ライター、編集者、解説者、麻雀企画集団バビロン総帥、GPC副代表…とWikipediaには書いてあるが、むしろ「麻雀タレント」の草分け的存在だった方だと思っている。
学生時代からの盟友である漫画家・片山まさゆき先生が、たびたびご自身の作品に(多分にデフォルメされた)キャラとして登場させたこともあり、麻雀ファン・麻雀漫画ファンに幅広く親しまれて来た存在。
その馬場さんが、2024年7月28日、65歳でお亡くなりになった。

私も当然のように、中学生のころからお二人に憧れさせて頂いていた。
そこから四半世紀を経て、お二人が立ち上げたGPC(グッドプレイヤーズクラブ)を通じて、定期的に卓を囲んだり宴席を囲んだりしていたのだから、そのたびに「中高生時代の自分に教えてあげたい」と幸せを嚙みしめていたものである。

1989年刊行の片山まさゆき・馬場裕一共著「マージャン百科全書 バカヅキハリケーン」。
既にこの時点では、近代麻雀誌上で馬場さんは最も有名な麻雀プロ・麻雀ライターだった。
この「バカヅキハリケーン」は馬場さんの遅筆のせいで?何度も発売日が後ろ倒しになったが、なんとなく「馬場さんだから仕方ない」ムードだった記憶がある。

当時高校生だった私は「麻雀ライター」という肩書を見て、自分もなりたいと思って憧れていたが、その馬場さんと実際にお会いするのは、1992~3年ごろが最初だったろうか。
当時高田馬場にあった雀荘「ポリエステル100%」で打つ馬場さんの後ろ見させてもらって、幾つか質問して答えて頂いたりと、贅沢な経験をさせていただいた。私自身がその直後に連盟のプロになるのだが、その原体験と言ってもいい経験だった。

その後、黒木真生プロら、後の麻雀企画集団「バビロン」のメンバーと私が親しくなって行くなかで、何となく馬場さんとも顔見知りになって行く。1997年、黒木(私とは同い年なのでこう呼ばせていただく)が麻雀プロになり、馬場さんのもとで私が憧れていた「麻雀ライター」の仕事を精力的にこなし始めるころに、私は日本テレビに入社する。
しばらくして黒木が正式に日本テレビ社員の私と、馬場さん(+バビロンの幹部)とを引き合わせる席を設けてくれて、”顔見知り”から半歩昇格。
さらにその後、2005年に日本テレビでアニメ「アカギ」を放送する際に私がほんのちょっとだけ暗躍(?)するのだが、その「アカギ」のプロデューサーN氏と馬場さん・黒木を私が引き合わせて、番組のエンディングコーナーなどで「バビロン」にお仕事を委託することになった。お世話になった憧れの人に、ようやくほんの少しだけ恩返しができたような、そうでもないような感じに。

私は2008年に日本テレビを退社し、競馬予想家としてフリーランスで活動を始めるのだが、縁あって2012年立ち上げのGPC関西著名人リーグに呼んでいただき、ここで片山先生・馬場さんと同じ会に属させていただくことになる。
馬場さんがゲストとして関西までいらっしゃったのは10回もない程度だったが、そのたびに打ち上げや、また改めて別日にと、宴席を共にさせていただいた。また1度だけ私が東京を訪れた際に直接連絡して、2人で飲ませていただいたこともある。経緯の詳細は完全には覚えていないが、確か「この週東京に行くので、馬場さんゲストとか何か入っておられませんか」ぐらいの連絡したら、特にないから2人で飲もうと言ってくださった…という感じだった。至福。
※トップの画像は2015年9月、大阪でのもの(大人数の画像から切り出し)。

いろいろな場所で、いろいろなお話をさせていただいた。
京都でGPC著名人東西対抗戦が行われた時には、馬場さんと作家の綾辻行人さんと同卓させていただいた際に、馬場さんが「綾辻先生、気をつけてください。半笑いさんはアガると必ず跳満あるから」と紹介してくれた。私はその直後、軽く仕掛けて2,000点をアガって気まずかったのを覚えている。「大人になったからこんなんもやるようになったんですよ」とかおもんない言い訳を笑ってくださった。
なぜか出役としてもほんの少しだけ買ってくれていて、大阪でのGPC打ち上げでは、とある放送対局に、私を解説者としてどうかとプッシュして頂いたりもした。もちろん実現しなかったけど、もうその言葉だけでずっとしがみ続けられます。
そして、(これは誤解を招くかもしれないが)ちょっと”黒い”毒っ気があるところも、妙に私と通じ合っていた、と思っている。「あいつポンコツのくせに謎にインテリぶってるから、クイズ番組のコンテンツ作って、ナチュラルにアホを暴くってのはどうだろう」みたいな、黒い作戦会議をしたこともあった。もちろん半ば冗談だけど、楽しかったなあ。
東京で2人で飲ませて頂いた際には、私の愚痴を聞いていただいたりもした。
今思えば、全てが夢のようです。

敬愛する馬場裕一さん、謹んでご冥福をお祈り申し上げます。
ありがとうございました。

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