六日目

 昨日から気になっていた。私がじわじわと快方に向かっていると、僅かにでも感じられる一方で、母のくしゃみと咳が耳につくようになった。奇しくもこの日は金曜日。明日から土日祝日と、世間は3連休になる。持病持ちにコロナを移しては命に関わると危機感を抱いていたし、各所に消毒液を置き、食事は別々で摂るなどの配慮はしていたが、100%ではない自覚はあった。そもそも、私の体調が悪すぎて、徹底出来ない。タオルの共用も良くないと頭には在ったが、キッチン、洗面所、トイレのそれは、普段通りだった。
 何かあってからでは遅いから…と、医者に行ってくれと頼んだ。熱はなく、しかし体はどうも重くなり始めていたらしい。母の掛かり付けは電話予約が必要だとかで、かけてもかけても繋がらず、調べていくうちに、近くのショッピングモール内に内科が出来ていることを知って、そこに行くことになった。発熱外来対応医院としても、サイトに名前があったため、丁度良かった。
 体調が悪いのに歩いて行ったと言う。歩いて10分強。車で行けば5分だ。歩いて行こうと思えるほどの軽い不調だったに違いないが、結局、母も陽性が出た。私の行った耳鼻科と違って、コロナ対応の薬が出たようである。持病持ちということ、薬の対応がある医院だったこと、そして処方箋薬局に寄る必要もなかったことで、母は私よりも元気そうであった。
 そもそも熱がそれほどない。コロナの検査も、「念のため…」という雰囲気だったのだとか。しかし医者も看護師も、とても低姿勢で優しかったというから、私も今度内科に罹る必要が出てきた時には、その病院に行ってみようと思った。
 咳き込みが酷く、相変わらず眠れていなかったが、こちらが完治する前に母にバトンを渡してしまったせいで、私が寝てばかりいられなくなった。何度もワクチンを接種しているせいか、私ほどの不調ではないようであったが、くしゃみと咳から始まった母の不調は、激しい頭痛と吐き気を伴い、それほど高くはないものの、熱も上げた。口にしたものは片っ端から吐いてしまうので、薬を飲むために食べ物を胃に入れるものも難しく、また、動いても同じになるので、必然的にベッドで寝たきりになった。その日の午後から、私はフラフラの身体を引きずりながら、通常運行に戻った。
 朝は玉子豆腐と冬瓜のすまし、昼は梅素麺を茹で、茶碗蒸しをお供にした。夜は雑炊に加え、オクラのおかか和えと茄子の中華風煮を…微々たる量だが口にする。田舎から帰った翌日、収穫して来た野菜を一気に調理し、その後寝込んでしまったのでストックの副菜が殆ど捌けていなかった。僅かな量しか食べられないのに、完食するのに普段の何倍も時間がかかった。
 洗濯物を片付け、畑と花に水をやり、放置していた野菜を収穫する。4日ぶりに犬の散歩にも行った。
 犬はひたすらに元気だった。秋を感じる。風が涼しい。それだけで巨体が宙を舞う。行きはひたすら石を追い、川の端まで行ったものの、まだ先に行きたそうだった。しかし咳き込みが酷く、体力も回復していない者にしてみれば100%応じてやれない。可哀想だが引き返してもらわなければならなかった。
 ヤバいくらいに咳き込んでいる。マスクをし、口の中にもカバンやポケットの中にものど飴を入れている。こんな時に限って、やたらと人や犬に会うから、相手は大分引いたのではないかと思う。

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