目線とことば

 母に怒られるとき、私は「なぜ」という問いをよく発した。憎たらしいガキであるが、理由もなしに怒られるのは納得がいかない。すると、母は「そういうものだから」と答えた。当然、私は納得できない。怒りとは自分から発せられているのではないのか。「そういうもの」ということばは世間体があって始めて成立することばである。原因を自分に辿れない怒りというものがあることを知る。同時に、「怒る」と「叱る」とは随分違うことばであるとこどもながらに思った。

 「そういうものだから」とは「世間ではそれが当たり前だからあなたも同じようにするのが正しい」ということの言い換えだ。そういう母が私に半袖半ズボンという服装を許したのは、今思えば不思議である。(私は一年中半袖、半ズボン、サンダルという格好をしている。)しかしよく思い出してみれば、最初は服を着せようとしていた。外出するときは靴を履かされた。その内、あきらめるようになった。「虐待しているみたいに見える」と言っていた。世間の目という虐待もあるのではないか。

 自分に酔う先生は苦手である。自分を絶対の手本とする教師のことだ。生徒たちに熱くなる自分に酔っているように見える。生徒たちのことを思っている自分に酔う。小中高の先生のほとんどを反面教師として育ってきた。その中1人好きだった先生がいる。小三のときの担任だった山田先生だ。彼女は生徒の側に降りることを実践していた先生だった。例えば教室である生徒を怒っているとき、他の人を気まずくさせないように笑いを交えた。そして尚、目を見て真剣に叱れる先生だった。彼女の仕方にこそ、教育のあるべきひとつの姿があるのではないか。自分の目線と立ち位置を意識する。上でも下でもなくまっすぐ同じ場所に立って見つめる。同じ人間であること、そこからしか対話は生まれない。内の自分ともそうでありたい。

 無意識的に使ってしまう言葉がある。そのことばには実感がない。だからことばを意識的に紡げている文章が好きである。作家とはそれを行う仕事だ。だから本が好きだ。他人のことばを使ってしまう本もある。例えば、「これが後の大事件に繋がろうとは、その時の彼女には知る由もなかった。」というような文章だ。出典を記す必要がもはやない文章。この「知る由もなかった」という文章を母は極端に嫌う。空気ということばも嫌う。人間は一面的には語れない。

 インドを旅したときの話である。最初に知り合った日本人は「インドで人生観は変わらない。変わったという人は初めから人生観なんてなかった。」と言った。それはインドの保険会社で働く女性だった。インドの実状はインターネットで知ることができる。乞食がいることも、カーストがあることも知っている。溢れた情報と想像は実状に勝ってしまう。「百聞は一見に如かず」は私の中で死語である。

 人生観がそんな簡単に変わっていい訳がない。全人生を通したものの見方だからだ。思えば、「人生観が変わった」というのも他人のことばである気がする。それもより個人的な。何人もが同じように人生観が変わるインドという虚像は情報が少なかった時代の話である。漠然と人生観を変えたいとインドを利用する目には、同じ目線に立つ目はないだろう。カーストも元は外来語である。支配者の言語だ。

参考文献 鶴見俊輔「思い出袋」


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