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印象ノ薄イ者



「マムシが、死んでいる。。。」


ぼくは、思う。
ずんぐりした胴体に銭形模様、目を囲むように走る黒い筋。
ぼくは初めてこんな直近に彼をみた。
彼は車に轢かれて、死んでいた。

マムシ、毒を持つ者。
なるほど、顔が悪そうだ。
どうして「悪そう」と思ったのか。


ぼくはヘビを可愛いと思う。
すべすべのお肌におしゃれな模様、小さな丸い頭にクリクリお目目。
アオダイショウもヤマカガシもシマヘビもジムグリともあったことがあるけれど、皆、可愛らしい者であったさ。

されど、どうして今回マムシをみて「悪そう」と思ったのか。
そう、彼の目だ。
なぜか他のヘビの瞳孔がマンマルなのに対し、彼の瞳孔は猫のような縦長なんだ。

調べてみる。

1、「夜行性」説

なるほど、縦長瞳孔代表の猫は夜行性だ。
じゃあ、マムシも夜行性なのか?
よく昼間にうろついて農家さんに踏み殺されるって聞くけど?

2、「ハンター」説

縦長の瞳孔は立体感度が高く、距離がより正確に把握できる、と。
ゆえにハンターとして優れているのやもしれない。

面白いことに、ネコやキツネは縦長瞳孔だけど、ライオンやオオカミは丸瞳孔だ。
単独行動か、群行動かの狩りの仕方で違うのか?
そんじゃ、ヒョウやチーターはなんなんだ?単独行動で丸瞳孔じゃないか。
謎は深まるばかりだ。

とにかくだ、マムシはおとなしくずんぐりなれど他の蛇よりもより正確に咬み付いてくるやもしれぬ、と言うことで非常に怖いやつだと思うんだ。


外見が伝える情報。
マムシを見たぼくはキャワユイとは思えなかった、正直、ちょっとコワイと思ったもんだ。死んでたからか?どうだろう?
先日ヤマカガシの幼蛇が轢かれているのを見たときはそうは思わなかった気がする。子供だからか?どうだろう?

確かに大きさはあるかもしれない、けれど、アオダイショウはものすごくでかい、けれど、あいつを見てコワイと思ったことはない。

マムシ、毒を持つ者、彼が己の体で放つメッセージであるあの模様「オレハ毒ヲモッテルゼ」はぼくにも伝わったらしい。
それにあの「眼」だ。
目の周りを黒く囲み、瞳孔は縦長。
これが非常に悪そうなイメージをぼくに与えたね。
そんなイメージを纏うことで「近づくんじゃねえ」と伝えている。

こう言ったイメージというのは人間様の中にも溢れているのだけど、目の周りを黒くした女子をみると、ぼくはゾッとしたもんだ。
何か彼女らの中の闇のメッセージを見たというかね。
そんな彼女らは「近づくんじゃねえ」だけれど、本当はかまってほしいという人間様ならではの複雑メッセージなのやもしれぬ。
もて女子どもがこぞって瞳孔を大きくマンマルに見せたがるのも(そのための瞳孔拡張コンタクトレンズまでつけるという)、このクリクリマンマル瞳がキャワユイという印象を与えるからだろう、しかし、こいつらが本当にキャワユイ者かは定かではない、人間様は詐欺師なのだ。

けれど、マムシ以外のヘビどものお顔を見てぼくはまんまとそのイメージに引っかかるってもんだ、奴らのお目目を見て「キャワユイ。。。」と思ってしまうんだ。


「目は口ほどに物を言う」、とは良く言ったもんだ。


ポウくんの目を見ると、キュンとした。
彼のぎこちない愛情、内向的な繊細さのようなものをぼくは感じた。
彼らの瞳は不思議で、瞳孔の境界線が曖昧だ、そう、瞳孔がボヤッとしているし、小さめの丸はそんなに強い印象も与えない、なんとなくどこを見ているのか、何を考えているのかわからないのだ。

その印象の弱さが、印象的だった。
ひどくか弱い存在に見えたんだ。
もちろんそれはぼくが勝手に感じた印象で、人によって捉え方は違うと思うけれど、「我が、我が」の人間社会の押し付けがましいほどの印象に比べて、「儚く」思ったのだ。

ぼくら人間はヘビたちと違って「白眼」があることによって、明確に何を見ているかを示す。それはイヌも同じで社会性の強い動物たる所以だろう。
ゆえにマンマルの大きな瞳孔は「あなたを見ている」と、強すぎる印象を与える。
ポウくんの目にはそこまでの圧がないのだ。
彼の目力は控えめだった。
そんな目で見られた時、ぼくの心はキュンとした。
琥珀色の金星みたいな目が大好きだった。


「外見なんか、対して関係ない」

ぼくは言う、さも聖人ぶって。
けれど、誰よりも外見を重視しているのはぼくなんだ。
確かにぼくは他人に対して外見の好き嫌いはあまりない。
きっとそこには愛着も、関心もないからだろう。

ぼくの隣にいてほしいのはポウくんであって、彼の外見はぼくにとってあまりにも重要だ。
そういうとき、ああ、ぼくは「犬好き」ではないんだな、と思う。
なぜなら、他のイヌを見てもキュンとしないからだ。
ポウくんが見えなくなって、隣人はいろんなイヌをぼくに紹介した、そう、彼の代役たるイヌだ。
けれど、どのイヌを見てもただ悲しかった、「ポウくんじゃない」ことが悲しかった。
「イヌ」でくくれる執着じゃないみたいだ。



「中身が大事だ」、聖人はいう。
けれど、その者の外見には、その者の中身が滲み出ていることだろう。
何かしら「私はこう言う者です」というメッセージを外見に纏っているはずだ、マムシのように誠実であれば。