物語 毒男

この道を行ってはいけない。先は深い森に繋がっていて、呪われた男が住んでいる。
暗い森の一軒家は呪われた孤独な男の住処だ。だから行ってはいけない。恐ろしい呪いによって死に至るだろう。この村の誰でも知っている恐怖の伝説、憐れな、悲劇の男の森だよ。
男に関わるものは全て死ぬのだ。それは恐ろしい呪い、太古の魔女ポストが男にかけた忌まわしい言葉。呪われた男はバケモノとなり森に逃げ込み、それ以来ずっと森は禁じられた場所となった。
君は何故森から離れないのだと疑問に思ったかい? 恐ろしいバケモノがいるのなら、この地を離れ、どこか遠くへ住めばいいと、そう思うかい?
否、そうではないのだ。男は人を襲うバケモノとなった訳ではなく、その呪い故に人を殺してしまうという、憐れなる男なのだ。
わたし達は男を恐れてはいるが憎んではいなく、怖くはあるが傍にいてあげたく、こうして森の近く住むことを選んだ。

君に毒男の話をしよう。
可哀想なあの子の悲しみが少しでも癒されるように、あるバケモノの話を君に伝えよう。

 ***


昔、村にひとりの少年がいました。
それは皆から愛される少年でした。特別に容姿がいいというわけではありませんが、親によっぽど愛されたのでしょう、素直で健やかに育った少年は誰からも好かれていました。何処にいても誰からも声をかけられる、そんな少年でした。
村人は少年を好んでいましたし、少年も村人全てを好いていました。彼は人を好きになる天与の才能を持っていたのです。毎晩寝るときに、少年はにこにこと嬉しそうに笑いながらいったといいます。

「あのね、ぼく、みんなのこと好きなの。とっても、とっても好きなんだ」

そんな少年にある悲劇が訪れました。
母親が腐れ病にかかったのです。医者はもう治す術はないと諦めてしまいました。突然の出来事に少年は悲嘆し、古の森へと歩んでいきました。村には言い伝えがあったのです。森の奥には太古の魔女ポストが住んでいる。魔女に頼めば我が身と引き換えになんでも願いを叶えてくれる、という。
母親を救いたい一身で森の奥からポストを探し出した少年は、病を治す薬をくれと頼みました。
魔女はいいました。

「お前の願いを叶えてやろう。その代わり、お前に呪いをかけさせておくれ。災いの言葉を聞いておくれよ」

少年は薬と引き換えに魔女の呪いをうけました。どんな呪いをうけたのか恐ろしかったが、母親を救うことで頭がいっぱいの少年は駆け足で家に帰りました。さすがは魔女の薬です、腐れ病はあっという間に治りました。元気を取り戻した母親に少年は涙を浮かべて笑いかけました。

「治ってよかった。お母さん、大好きだよ!」

3日後母親は死んでしまいました。それだけでなく、父親も死にました。少年は魔女の呪いによって毒男となったのです。毒男が毒を感染させる媒体は『好き』という感情。毒男が好きになった人は3日後に死んでしまいます。少年は人を好きなあまりに、毒の感染力は強く、次次と村人は毒の餌食になりました。
少年は我が身を嘆きました。

「ぼくが好きになった人が死んでいく。ぼくが好きになったせいで死んでいく」

少年は人を好きにならないようにしました。しかしその性格ゆえ、どうしても好きになってしまいます。家に引きこもり、もう誰にも会わないように、好きにならないように努めました。毒男の噂は村に広まり、しかし憐れな少年を誰も責めようとはしませんでした。そんな村人たちに少年は涙し、そこから毒が伝わってまたひとり死んでしまいました。

少年はどうしたら人を好きにならずにすむか考え、憎むようにしました。目つきを鋭くさせ、乱暴な言葉を使うようになり、暴力を振るいました。食べ物を差し入れにきてくれた村人に横柄な態度で接し、以前の礼儀正しい少年とはまるで変わってしまいました。
少年は人を憎むようになり、世界も憎みました。それが魔女の目的だったのです。世界に悪意を撒き散らす。少年の変わり様は酷いもので、見る者に失望を与えました。少年が歪んでいくと同様に人人の心は荒んでいき、魔女の企みは成功したようでした。

そんなある日、毒男の家をひとりの少女が訪れました。少女は少年の同い年で、いつも一緒に遊んでいたふたりには、幼い恋心の時期があったといいます。
突然の訪問に吃驚した毒男に少女はいったのです、わたしを好きになってください、と。

「なにをいっているんだ。君はその意味が分かっているのか?」
「はい。だけれどわたしはあなたに好きになって欲しく、ここにきたのです」
「なにを馬鹿な。ぼくは世界を憎むバケモノだ。もう誰も好きになんてならないんだ!」

毒男は少女を家から追い出そうとしました。しかしすでに遅かったのです。少女の腕には毒による発疹が、久しぶりに少女に会った少年はすぐにその好意を少女に向けてしまったのです。彼は人を好きになる感情が抑えられず、それどころか、人を好きになりたい気持を募らせたあまり、瞬時に毒は少女にかかりました。毒はあっという間に少女を弱らせ、3日と待たずに死んでしまいそうな猛毒でした。
少年は嘆きました。そして死なないで、と少女の手を握りました。触れた手からも毒は流れ、少女の手は紫色に腫れていきます。毒の手だというのにかまわず少女は指を絡ませ、愛しそうに繋ぎます。

「なんで君はこんなことをしたんだ。ぼくはもう二度と人を好きにならないって決めたのに。好きな人が死んでいくのに耐えられない。だから世界を憎んで、バケモノとして生きていこうとしたのに」
「憎みながら生きていくのはいけないことです。わたしはあなたに人を好きになる感情を思い出して欲しかったのです」
「それが人を殺すとしてもか?!」
「憎んではいけません。好んでください。それがどんなに辛くても、悲しくても、好きになるのに怯えてはならないのです」
「ぼくの好意は毒なんだぞ。人を死に至らしめる災いだ。それなのに、どうして人を好きにならなければならないんだ」
「それでもあなたは好きになるのを抑えられなかったでしょう? それでいいのです。その感情は世界で最も美しいのです。魔女が妬み呪いをかけるほどに。あなたの好意は毒になりました。それでも好きになるのを止めてはなりません。その感情を失ったときこそ、あなたは真のバケモノになってしまう。好きになることから逃げてはいけません。あんなにも人を好きになれるあなただったからこそ輝きを止めてはならないのです」
「いやだ、ぼくはもう人を好きになりたくない。好きになりたくないんだ」
「わたしの体を猛毒が蝕んでいきます。わたしは毒で死んでいくでしょう。もうすぐ死に至るというのに大切な感情が次次と甦っていきます。わたしたちは毒男となったあなたに好きになられるのを恐れた。魔女の恐ろしい企てです、人と人が好き合うのを止めさせるなど。あなたは人を憎むバケモノとなり、世界全てを憎もうとした。かつてのあなたは人を好きになることに喜びを持っていました。魔女の企てに従ってはいけません。憎しみこそが破滅への道です。わたしはあなたの毒を受け入れました。たとえどんなに猛毒だとしても好きという感情は素晴らしいのです。毒男、人を好きになるのに怯えてはいけません。あなたの悲しみはいつしか美しい物語となって人々の間に語り継がれるでしょう。その時を待つのです。あなたのためになにもしてやれないわたしたちの、これが唯一の手段なのです」

少女は毒男にかつてを取り戻させようと覚悟したのです。自らを贄に少年に大切を思い出させようとその毒を身にうけたのでした。
毒男は泣きました。過ちを選択しようとした愚かな己を、そのために犠牲となった勇敢なる少女に涙しました。
ごめんなさい、と泣きながら謝る毒男に死にかけの少女はいったといいます。
「あなたのこと、とても好きです」


毒男はその腕に少女の骸を抱き、村人たちの前へと姿を現しました。彼は涙しながら少女の顛末を伝え、そして「ぼくは人を好きになりたい」と呟きました。
人と一緒に生活ができない毒男は森の奥へと居場所を移しました。その毒を誰にもうつさないように、今もひとりぼっちで人を好きになりたい気持を持て余していることでしょう。少女との誓いを守り、憎むことに逃げずに、人を好きになりたく寂しく過ごしているのです。

 ***


毒男はきっと今も少女の言葉を頼りに生きているのだろう。
ひとりきりの家でも心を閉ざすことなく、ひっそりと好きという気持を募らせているのだろう。
少女のしたことは残酷なものだったかもしれない。毒男は人を憎むバケモノとして生きたほうが楽だったかもしれない。けれど彼は好むことを選んだ。人を好きになるバケモノとして、好きになりたいのに好きになれない、憐れで愚かな少年の話だよ。
君にはなるべくこの話を伝えてほしい。彼が憎もうとした世界にどれだけ美しい感情があるかを確かめてほしい。
いつかきっと毒男の呪いがとける日が来るだろう。人と人とが憎しみよりも好き合うことを選べば、その輝きは結晶となって毒男の呪いをとくだろう。だから君にはこの話を伝えて欲しい。人を好きになりたい男にその願いを叶えさせてやりたい。呪いがとけ、男が存分に人を好きになれる日が来るまで、わたしはこの物語を繰り返そう。可哀想なあの子が少しでも癒されるように、彼が選んだ感情を世界に広めるのだ。

君に毒男の話をしよう。
あの子がいつか人を好きになれるように、この物語を君に伝えよう。


おわり

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