物語 何処までもいけるようなヒマワリ

 今は亡き祖母と手を繋いでいた幼き夏の頃から、そのヒマワリはわたしの記憶に出現します。わたしの中の最初の記憶です。祖母のさらさらした皺の手の感触は鮮明に思い出せますし、風呂上りのような夏の暑さと蝉の合唱も、デジャブのような奇妙な感覚として思い起こされます。わたしは祖母に連れられ、おそらく買い物にでも出かけたのでしょう、家から国道までの一本道を歩いていました。田んぼを突っ切るこの道はまるで30センチの定規で、何処にも迷う要素がなく、わたしは得意げに歌など唄いながらの行進です。その定規の15センチの地点で、わたしの足は止まりました。横に立派なヒマワリが見えたからです。
 それは逞しいヒマワリでした。田んぼと田んぼの区切の場所に生えているそれは、唐突に、たった一本きりで生えていたので目立つのです。ヒマワリというものは大概強く、当時のわたしの身長を優に越えているものですが、そのヒマワリは特にノッポでした。3メートルはあるでしょうか。濃い影を地面に落としながら、お日さまを直視して、背筋を伸ばして立っているのです。祖母は「立派なヒマワリだね」といいました。わたしは視線をそちらに吸いこまれたまま、頷きます。成長し過ぎのヒマワリに興味は奪われ、わたしは酷くそちらが気になってし方がありませんでした。横に手を引く祖母がいなかったらずうっとヒマワリを見ていたことでしょう。その頃のわたしはヒマワリの濃い花の色や、太い茎の棘などよりも、ひたすらにヒマワリが帯びている生命の強さを見ていたような気がします。そしてその感想は今となっても同様なのです。

 その幼い記憶からずうっと、ヒマワリはわたしの生活に登場してきました。あのヒマワリは枯れないのです。秋を過ぎ冬となっても、ぴんと張った花弁に雪を被りながら、ヒマワリは立っていました。「なんとも奇妙なもんじゃねえ」と祖父がいい(その祖父ももう亡くなりました)、わたしはその言葉にまるで自分が誉められたような、不思議な誇りを感じました。わたしはヒマワリの面倒をみていました。晴れが続く日は水をやりにいったり、雪が被っていれば茎を揺らしてはらってやったり、まるで持ち主のように振舞いました。けれどあのヒマワリはなにをしなくてもきっと立派に生きていたことでしょう。幼いわたしはヒマワリが冬でも枯れないのを自らの功績と思いこみ、祖父の言葉に自慢だったのです。
 一年が過ぎ、新しい年のヒマワリが花を咲かせるようになっても、そのヒマワリは逞しく成長を続けていました。何処までも伸びるのです。通常のヒマワリからは予測できないような高さを、そのヒマワリは持っていました。その頃には名前をつけていました。わたしはヒマワリをキャシーと呼んだり、ノリリア、或はサナエと名付け、友達としました。気紛れに名前は次々と変わって、結局はただヒマワリと呼ばれることになるのですが、わたしはヒマワリと多くを共有していたと思います。想いをです。わたしはヒマワリに沢山の話を語りました。その日あったこと、人間の友達のこと、将来の夢や自作の物語などを。わたしとヒマワリは親友でした。この物語らぬ友は想いを無言で受けとめ、静かに頷いてくれる気がして、嬉しいことや楽しいこと、感傷的なことを、わたしは様様に語りかけたのです。母親にもいえないことでもヒマワリにはいうことができる、そんな仲でした。

 二人の関係は何年間も続くこととなります。そう、ヒマワリは何年たっても枯れることなく、天を目指すように伸びていくのです。わたしは中学校に通うようになりました。村から離れた学校だったのでバスで通っていましたが、遠いバス停からも、ヒマワリの姿は見ることができます。すでにわたしの村で一番高いものとなっていて、村の標識のような、そんな存在でした。毎日をわたしはヒマワリと過ごしました。家の窓から、あの道から、帰りのバスから、ヒマワリはどこからでも見えます。ヒマワリがある限りわたしはそこに『家』を感じるのです。厳密に言えば違うのでしょう。けれど明かにそれに近い感覚があって、わたしは安心するのです。そして、ヒマワリの見えない場所にいくと、それだけでわたしは違う人格を演じることができたのです。他人に合わせようとするわたしに。
 だからわたしは安心するのです。帰りのバス、夜暗い時刻でもぼんやりと影に浮かぶヒマワリを見ると、元に戻れることに力抜けます。幼い頃からのわたしを知っているヒマワリに、無理をしなくていいことを無言に教えられ、ただ安心します。そして帰り道に密かにヒマワリに寄り添って、幹のようになった太い茎に、そっと手をのばします。茎には棘があります。害虫から身を守る為だけとはいえない程硬く激しく伸びた棘が。しかし棘はわたしの肌を刺すことなく、むず痒い刺激だけを与えます。わたしはヒマワリに触れるだけで何故か涙することがありました。ヒマワリは力強いです。何処までも伸びいきます。すでに10メートルは伸びたヒマワリ、わたしを知っているヒマワリ、側にいてくれるヒマワリ。この傍らにいると自然と素直になって、頑なだったものが流れて涙となるのでしょう。わたしは何度も泣きながらそう思いました。安心するのです。
 不安もありました。ヒマワリがあまりに伸びすぎるためのものです。動かないのに、どこか遠くにいってしまうかのような感覚があります。誇らしいのに、いってしまわないでとすがるわたしがいます。ヒマワリがあまりに、伸びる、伸びすぎるので…。このまま置いてきぼりにされる、そんな恐怖が生まれました。ある日ヒマワリに羽が生え、長身をそのままに根っ子ごと、どこかに飛びいってしまうのではないか、と。そんなときにわたしは激しい不安に襲われます。そして否定するのです。否定は、『ヒマワリに羽が生える訳がない』という馬鹿げた空想の否定ではなく、『ヒマワリがわたしを置いていく訳がない』というものでした。そう、例えヒマワリに羽が生え飛び立とうとしても、わたしをその葉にそっとくるんで一緒に旅立ってくれる、そう信じたのです。そのくらいわたしはヒマワリに信頼をおき、わたしの生はヒマワリと共にありました。

 中学も3年生になり、わたしは進路というものに直面せざるえませんでした。それまで大人しく校内で暮らしなさい、と諭していた教師が急に「将来はどうするの?」「どこの学校にいくの?」「なにになりたいの?」と質問責めにするのには辟易しましたが、なによりいずれにも返答を返せない自分を怖れました。わたしはただ、勧められるものを勧められるままに過ごしてきただけです。そんなわたしにいきなり決定権を与え、さあ、今すぐにお決めなさい、などというこの大人達は何者なのでしょう? わたしは酷くうろたえ、何か詰問されると「どうでもいいじゃん」「勝手にしてよ」等と叫び、その言葉に逃げこみました。そしてヒマワリと過ごす時間が多くなりました。夜遅くにわたしは家を脱け出して、ヒマワリの茎の傍らに腰かけ、考え事をするのです。いえ、考え事などしません、考えているうちに考えは消え、時間は空気に溶け流れます。わたしは力を抜きたかったのです。なにも知らない無知な少女のままを、庇護を当然として受け入れていた頃を再現したくて、ヒマワリと共にいるのです。
 わたしをわかってくれるのはヒマワリだけです。もはや血縁もわたしを不快とさせるだけになりました。家に安心は無く、部屋は不安が膨らんでいくだけですので、わたしはヒマワリに寄り添いました。静かです。ただ静かです。静かに息づく虫の音が響いて、夜の風はわたしの心を柔らかく揉みあげます。わたしは不安でした。本当に不安でした。これからどうなっていくだろうという脅え、なにもない自分という存在、急に突き付けられた現実という化物に、わたしは恐くて恐くてしかたがありませんでした。わたしは何も考えていないはずでしたが、緩やかに夜に揉まれて、いつの間にか泣いていました。わからない涙です。何故わたしは泣いているのでしょう。ヒマワリは知っています。わたしを理解してくれるヒマワリなら、きっとわかってくれるのです…。

 季節は何度目かの夏が始まり、ヒマワリは咲き誇ります。けれどわたしのヒマワリはなによりも高く、高く、何処までもいけるかのようです。このまま伸びきって、新しい太陽となるのだろうかと思えるくらい、止まることなく成長しつづけるのです。わたしは空想します。いつかした空想です。ヒマワリに羽が生え、わたしを包んでどこかに飛び立つ空想を。わたし達は不愉快な全てを捨て、飛び立ち、青い空の彼方に吸い込まれていきます。絵の具が滲んで、消えていくかのように。わたしは何度もこの空想を密やかに想い、いつか、きっと、とヒマワリに全てを託しました。
 わたしは高校に進学することになりました。わたしが決めたことではありません。訳もわからず頷いていたらそういうことになったのです。親と教師に囲まれ「…お前にはここがいいと思うのだが、どうだ?」「どこにいきたい?」「どうしたい?」「……」「…」等、言葉はわたしの外を飛び交います。わたしが曖昧のままで頷いていたら、何時の間にかそうなってしまったのです。けれどきっとこれでよかったのだ、そうわたしは思いました。どうせ殆どが自分で決めたような気になって、進学させられるのだから、そういうものなのだ、とわたしは繰り返しました。
 将来等に感心はありません。わたしの希望はただ一つです。いつまでもヒマワリと共にいる。それだけです。そしていつの日にか羽の生えたヒマワリに連れていってもらい、何処かに、そう、何処かに…。此ではない違う何処かに連れていってもらいたい。この日々現実を帯びて疎ましさを濃くするものたちから、何処かへ…。何処までもいけるようなヒマワリに、わたしは本気で託していたのでした。ヒマワリは美しいです。そして果敢です。孤独もあります。奇妙過ぎるくらいに伸びきった姿は、醜悪でもあります。つまり、わたしです。わたしとヒマワリは分身なのです。わたしもどこまでも伸びるしかないのでしょう。引き返したいと願っても、引き返せる訳ないのです。わたし達に羽が生えない限り。違う何処かに飛び去らないのなら、此に根を張り、何処までも伸びるしかできないのです。

 

 わたしの空想は現実となることはありませんでした。ヒマワリはあの逞しさが嘘のように、あっけなく枯れてしまったのです。何年間も維持していた尽きること無き生命力は『あれは間違っていたんだ』という様に消え、後には抜け殻があるばかりでした。ヒマワリはたった一晩のうちに枯れ、根元から崩れ落ちていました。
 受験勉強でぼんやりとした瞳で骸を見て、わたしは信じていたものが根底から覆されたような、激しい喪失に震え、そして泣きました。祖父母が亡くなったときよりも圧倒的な喪失です。わたしはヒマワリが枯れたことに『世界は終わってゆくのだ』と嘆き、絶望をしましたが、世界はそのままです。まるでヒマワリが枯れたことなどなんでもなかったかのように、以前のように全ては変化ありませんでした。わたしは『なんで?』と問わないではいられませんでした。なんで世界はそのままなの? なにも変わらないの? ねえ、ヒマワリが枯れたんだよ? あのヒマワリが…。誰もわたしの深刻さを受けとめてくれず、「立派なヒマワリだったのにねえ」の一言だけです。その世界の態度にわたしはヒマワリが枯れた時よりも、深い、世界の果てに囲まれたと思える程の失望を感じたのです。

 そして失望はそのままわたしに向けられることとなりました。しばらくは深く落ちこんでいましたが、そのうちに悲しみは日常に消えていきました。迫る受験の日程に追いたてられ、悲しみに浸る暇もなく、いつの間にか、そう、いつの間にかわたしはヒマワリの元から離れてしまいました。わたしは無事に合格し、そのことを喜ぶなどという、かつての自分からは信じられない自分となりました。そのことが今わたしのなかに静かな悲しみとなって広がります。ヒマワリを見るとです。
 あれからいくつかの季節が流れ、今年もまたヒマワリが咲き出します。けれどあのヒマワリはもうありません。どこにも咲いていません。どこを探してもあのヒマワリは咲いていないのです。わたしの心の中にすら見出すことはできないのです。わたしはもうあのヒマワリの激しい色を、鋭い棘を、強い匂いを、軟らかな花弁とを思い出すことはできなくなりました。そのことがとても悲しく、切ないのに、反面どうでもいいとも思うのです。わたしは変わりました。親にいわせれば「大人になったね」とのことです。成長した、という人もいます。それを喜ぶべきなのか、悲しむべきなのか、今のわたしには判断がつきません。
 そんな時にわたしは目をつぶり、あの日の空想をそっと呼び起こすのです。羽の生えたヒマワリに包まれ、何処までも空を飛びゆくイメージを。何処かに向かってまるで宛のあるように、宛のない方向へ何処までも飛びゆくわたしとヒマワリ。その空想は世界で一番美しく、失われた、もう二度と取り戻せないものなのです。

 わたしはヒマワリといつまでもいたかった。
 本当に、何処までもいけるようなヒマワリだったのに。


終り

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