物語 でぐち

そこに出口があった。
君の目の前だ。人が丁度くぐれる高さの、明るいペンキが塗られた、ベニヤ板製の出口だ。学童が作ったかのような下手糞な色紙で飾られたアーチ状の門はカーテンで仕切られ、向うを垣間見る事は出来ない。空色のカーテンは安っぽく、薄くて、風にひらひらと揺れていたが、やはり向うを見ることは出来なかった。君がこの門を出口だと認識した根拠は、門の上に大きく『でぐち。』と油性マジックで書かれてあったからで、出口と書かれているからにはその通り出口なのであろう。君は森を歩いてきた。長い、果ての見えない山道だ。何処までも歩けて、あの上り坂を越えれば終わるだろう、と歩いてきたが、坂の向うにも坂があった。君は歩き疲れていた。平穏に見えた森の現実は荒く、険しくて、足は悲鳴を上げた。棘が刺さり、虫が襲い、君は傷ついた。疲れていた。あの坂を越えれば、と思っていた。思っていたので歩き続けたが、坂の向うにも坂があった。一区切りだと思われた坂は、上から見れば、なんてことはない、只の坂だ。君は坂の向こうを山頂のように思っていたが、只の坂だ。区切など見付け様もない、道の途中だ。
君は門と対峙する。唐突に現れた門は木洩れ日に明るく、君はくぐれない。鍵はかかっていない。仕切りはカーテンだ。だから妨げられる訳もなく、容易にくぐれるのだが、君は動けずに立ち尽くす。君は何故動けないのかわからない。それは求めてきたものだ。歩き続け、傷口を腫れあがらせながら、求めていたものだ。あの坂を越えたら、と、欲していたものが出口だ。それが目の前にある。躊躇う必要はない。門をくぐればいい。坂を越える度に思い描いていた願望を現実とすればいい。けれど君は立ち尽くし、門をくぐらないでいる。
「どうしてくぐらないの?」
君は振りかえる。そこに君がいた。同じ顔、同じ体、同じ歳をした君がいる。一人だけではない。沢山の君が君の後ろに並んでいた。行儀よく列を作り、期待を露わに、順番を待っている。
「早くしてよ。後がつかえてるんだからさ」
君の一人が言う。君は、ああ、そうだね、と曖昧に返事をし、門をくぐろうとする。けれど動かない。出口を前に君は君の先頭で、動かずに列を作っている。動かない君に君が不満を口にする。早くしてよ。門をくぐりたいんだ。目的地が見付かったんだから…。君は上の空で頷いて、ぼんやりと門を眺める。門をくぐりたい君達の先頭で、君は動かない。
「ねえ、進まないならどいてよ。先にいってもいい?」
動かない君を押しのけて、君の一人が門をくぐった。君は言葉にならない言葉を呟いて、門をくぐる君の背中を見る。君がどくと君達は次々に門をくぐり、向うに消えていく。カーテンが揺れて、君は順順に吸いこまれていく。君はカーテンの隙間を覗くことも思いつかずに消えゆく背中を見ている。君は何人いるのだろうか。君の姿は一様ではない。ある者は足を引き摺り、ある者は腕の傷を押さえ、指の隙間から血を流している。左目を潰した君が君を見て、それから門をくぐった。感想を思う隙もなく次の君が門へ消える。足を失った君、小刻みに震える君、酷くうなされる君。歌を唄う君も、こざっぱりとした君も、門をくぐっていった。君の列は出口へと消えていった。君は静かに戻った山道で、横にどいたまま門を見ている。風に揺れるカーテンの色を、ただただ見ている。
君は一人の君を発見する。門の前で一人、君が佇んでいる。君とよく似た君だ。君達は目と目が合って、軽い会釈を交わす。
「君は行かないの?」
君は君に似た君に言う。君は小さく頷く。君達はなんとなく近づいて、並んで草の上に座る。君はもう一人の君が気になって、君達は会話をする。
「みんないっちゃったね」
「うん」
「君は行かないの?」
「…」
「君だって列に並んでいたんだろ。なんでくぐらなかったの?」
「…わからない。君は?」
「俺は……なんでだろう」
君は考える。視界を歪ませながら考える。山道は果てが見えず、区切ない緑は君たちふたりきりだ。他にあるものは空の青と、『でぐち。』と書かれた門だけだ。
「俺はさ」
君は今まで歩いてきた方向を指差す。
「あっちから着たんだ。ずっと歩いて。君もかい?」
もう一人の君は頷く。
「うん。だよな。それでさ、歩いていて…。気付いたときは歩いていたんだ、いつの間にか。山道をずっとさ、登って。なんでかわからないけれど、歩いていたんだ。上り坂ばっかりだろ、ここ。下から坂の上を見て、あそこまでいけば、って思ってた。そう思いながら歩いてた。そう思わなきゃ歩けなかったかもしれない。だってずっと坂でさ、足痛いじゃん。ぱんぱんに張ってさ、辛くて、時時立ち止まって揉んだりしたり。それでも頑張って歩いた。坂を登ればきっと、って思ってたからさ。こうやって辛いのも終わるんだって、思ってたから。だけど坂を登っても、また坂があるだけで、終りはなかった。ちょっとした下り坂はあったけどさ、それで、あー、これでもうすぐ終わるな、って思ったけど、でもまたすぐ上り坂があって、そんなんの繰り返しで、今度こそは、今度こそは、って思って登っていたんだけど」
君は話しながら足をさする。傷だらけの足だ。痛ましく残った痕もあれば、いまだに膿をしたたらせる痕もある。最近できた、新鮮に腫れあがる痕を撫でながら、君は話しを続ける。
「歩きながら考えていたんだ。なんで俺は歩いているんだろうって。こんなに辛いのにどうして歩いているのか…、考えながらも歩いてた。何故かさ。立ち止まらないで、足痛くて痛くてしょうがないのに、ずっと考えながら歩きつづけた。それで思ったのはさ、歩いているのの答えは、どこかにいく為なんだなって。俺はきっとどこかにいく為にこんな思いをしてまで歩いているんだって。それがきっと坂の向こうにあるって信じて、俺は歩いた。いつかきっと出口にいけるんだ、辛いのは全部その為なんだからって、無理しながら頑張った。この道、酷いじゃん。でこぼこで、荒れてて、登るにちっとも楽じゃない。ゴミは落ちてるし。俺の足の裏、画鋲だらけなんだよ。びっしりと刺さっててさ、抜くとすんげー痛いんだ。踏んだときはそんなじゃないのに、そのままで歩くと鈍く痛んで、抜くときは痛くて痛くて。靴、なくしちゃってさ。前は履いてたのにな。だけど道が長くて、長すぎて、ぼろぼろに穴が開いて、いつの間にか脱げちゃったんだ。だから裸足で歩いてて、画鋲刺さっちゃって。抜いても気がつくと刺さっている。地面注意しているんだけど、大丈夫そうな所選んで歩いているんだけど、やっぱ刺さっちゃうんだよな。いくら抜いても刺さるから、抜くとまた刺さるから、もういっそのこと刺さったままでいっか、って、そのままで歩いてるんだけど、やっぱ痛い。歩くとかちゃかちゃ音してさ、石踏むと飛びあがりそうなくらい痛くて、泣きそうになって。そんなの我慢しながら、坂を越えれば楽になれる、もうこんなの終わるって、耐えて、耐えて、さ。
だからずっと、出口を探していたんだ。坂を登り終えた先にある坂を睨んで、もうかんべんしてくれよ、どこまで行けばいいんだよって、もう歩けないって思っても、今度こそは、ってなんとか力を振り絞って。どこまで行けばいいんだ、出口はどこにあるんだ、って、半分泣きかけでさ」
君は顔を上げ、門を見る。揺れ動くカーテンの向うを垣間見た気がする。
「なのになんでいかないんだろう」
考えることも出来ずに思い返す。門を前で立ち止まった君を。君はあの時、門を見付けたとき、わからずにいた。あれほど求めていた出口が目の前に現れたとき、わからなかった。出口などというものが本当にあるということを、現実として存在したことを、わかれずにいた。出口へ次々と消える行列を見て、いくつもの背中を見ていただけだった。
「出口、あったんだ」
「うん」
「…そうだよ。出口、出口だよ! あったんだよ! 出口なんだよ、これは! なのになんで、俺、いけないんだ? あの向うにいけないんだ? ずっと探してたのに。ようやく道が終わるのに。もう痛い思いをしなくても、辛いのも、終わるのに、終えることができるのに」
君は声を荒げ、拳を握り締める。強く空気を殴りつける。君は君の行動がわからない。何故出口をくぐることができないのかがわからない。何故か君は出口をくぐる気になれない。わからずにもどかしく思う。君は考える。考えて考えて考える。考えは一向にまとまらない。途方にくれた君は君の隣にいる君に問い掛ける。
「なあ、なんでなんだろう。俺はなんで出口をくぐらないんだろう。なんでだ。君もくぐらなかったろ。沢山、あんなに沢山くぐっていったのに、君と俺だけがくぐらなかった。なあ、君はなんで出口に行かないんだ? どうして行列に並んでいたのにくぐらなかったんだ?」
尋ねられた君も途方にくれた顔をする。不理解に眉間を歪ませた。
「わからない。いこうと思ってたんだ、並んだ時は。いく気だったんだ。だけど、なんだか…行列が進んでいくにつれて、昔のこと思い出して」
「だからいけなくなった?」
「うん。なんだか、いろんなことを思い出したら、いけなくなった。本当はいきたかったのに」
「なにを思い出したんだ?」
「昔のことだよ。本当に…いえないくらいの…昔のことを。沢山のものを…」
「いいことか? 幸せなことを思い出したのか?」
「違うよ、それだけじゃない。幸せも辛さも、苦しみも。とにかく、沢山だよ。そんなものたちをいっぺんに思い出して…そうしたら…」
君はもう一人の君が涙ぐんでいることに気付く。君はなにか想えそうなことに気付く。気付いたが、それがなにだかはわからない。わからないが、心の奥底がひっぱられるような、落ち着きなさが、深くをかき乱す。君はなにかを探そうとして、空の色を見た。どんな思惟も求められないような薄い青が果てしなく覆っている。
「…だからか、いけなかったのは」
「うん」
その言葉を自分に探そうとしたが、君は見付けられない。君は出口の前で、何者でもなかった。君もなにか思い出しただろうか。だからいけなかったのだろうか。否、違う。君はなにも思い出さなかった。けれど出口へいかなかった。君はただ単にいかなかった。君達は出口へと進んだが、君は違った。君は沢山を思い出し立ち止まったが、君は違っていた。
「俺は……なんでだろう」
君はもう一度呟く。考える。考えているようで、考えていない。安物の門は薄っぺらく、足から流れた血を受け入れるには足りなすぎる。君は足の裏から画鋲をひとつぬきとり、ゆっくり滲む血を眺める。疼きのような痛みを、どこか遠くで感じる。君はなにかがわからない。わからないということすらわからない。
「……」
長い間考えかけている君の頭が少しずつ腫れあがる。赤く熱を帯びて、徐徐に腫れあがっていく。君は忌まわしい時間がきたことを知り、引きつる皮膚をそのままに心を沈ませる。痛みや辛さをまかせ、君を君から遠ざかせる。その為の準備のような舌打ちをして。
「どうしたの?」
もう一人の君が心配そうに声をかける。君は平気な振りをして、いつも失敗する。自分に対しても成功したためしがない。
「すごいよ、頭……。腫れあがって…」
「大丈夫……いつものことだから…」
「いつものことって…」
「風船病……。すぐ、治るから…」
君の頭はぱんぱんに腫れあがり、名の通り風船みたく膨れ、視界がぼやける。毛細血管が破れ、眼球が充血する。耳は圧迫され聞えず、呼吸するだけで精一杯だ。脈打つ音が脊髄まで響き、耐えきれない痛みを生む。風船病だ。幼い頃から君を苦しめつづけてきた風船病だ。痛みのリズムを数えながら、君はただ、耐えるだけしかできない。極限まで張った肌は内側から裂けそうに、熟れすぎた果実のようで、風からも敏感に痛みを受ける。君からの視線が惨めさを産む。君は倒れる。ふらふらと首を揺らしながら、虚ろな思考で、死にたい、と思う。辛さが心に穴をあけ、限りなく爛れゆく。死にたい、だけを繰り返す。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。苦しい。助けて。死にたい。死にたい。もう嫌だ。嫌だ。死にたい。苦しい。死にたい。
君は震えながら這っていく。助けを求め出口へと這っていく。もうすぐだ。あと1メートル。そこにいけば、苦しいのが終わる。風船病からも逃れられ、どんな苦しみだってなくなるだろう。もう、なにもかも終わらせることができる。手にカーテンが触れた。さあ、出口だ。君が望んでいたものだ。ここをくぐれば君は解放される。なにからだって、君に対する絶望からだって、逃れることができるのだ。君はそこに救いを求める。救いだ。君は救われたがっている。なにをもから逃れる場所を、出口を、求めている。楽になりたい。もう、楽になりたい。ただ楽になりたいだけだ。毎日を苦しめるものから、逃れたいだけだ。
君の手はカーテンを掴んだ。そしてカーテンをひく。出口へと向かう。終りへと向かう。…いかない。手はカーテンを掴んだままだ。握り締められたままで、ひいていない。何故だ? 何故君はカーテンをひかない? 出口へといかないのか。君は拳を握り締め、苦しみに耐える。精神を削り責める痛みに耐える。出口はすぐそこだ。いこうと思えばすぐにいける。だが君は動かずに、じっと耐える。小さく丸まって、苦しみに耐える。何故君は出口へいかない? 全てを終わらせない? 痛みはもう耐えきれないほどだ。今は治まっても、すぐに次の痛みが襲いかかるだろう。終わらせよう。全部を終わらせよう。逃げてしまえばいい。逃げる場所はすぐそこにあるのだから。だが君は身を丸まらせ、ただ痛みに耐える。涙を流しながら耐える。耐えながら君はある人を思い描く。はっきりとした輪郭を持たないが、ある人の感触を思い、苦しみから耐える。
しばらくの刻が経っただろうか、腫れがひいていく。ゆっくりと治まり、頭が元に戻っていく。風船病が治まった。唐突に始まった腫れは唐突に治まり、君の心は置き去りにされる。君は涙と唾液だらけで、苦しく息をする。まだぼやける視界に、心配そうに覗きこむ君が見える。
「大丈夫? これ、水」
君は荒い息のまま、手の平から水を飲む。どうしようもなく涙が流れ、君は震える。君はまた出口へいかなかった。突き放されたような感覚が、水分と共に君の四肢へ広がっていく。
「落ちついた? …本当に大丈夫?」
君は頷く。風船病は慣れっこだ。いつまでも慣れることはないが、終わったら慣れっこだ。君は徐徐に回復し、弱々しく笑い、もう一人の君の隣に座りなおす。
「風船病なんだ、俺。1日に1回ああなっちゃうの。びっくりした?」
「…」
「すぐに治るんだけどさ、ああなってる間かなり辛いんだよね。あれは嫌だ。死にたくなる。毎回死にたくなるんだ」
「…出口にいこうとしてたよね」
「…ああ。でもいかなかったな」
「どうして?」
「……」
君達は黙りこむ。静かに森にいる。動悸が治まり君はゆっくりと息を吐く。時間は流れゆくが、なにも変わらない。日の高さも、森の色も、ベニヤの門も。唯一君の心だけが変わっていく。静かに時間をかけ、濁った水の底から徐徐に浮びあがるように、形を形にしていく。
「…俺はさ」
黙りこんだ後で君は話し出す。まだ形がわからないものを、手探りするが如くに。君自身もなにを話そうとしているのかわからない。わからないけれど、わかりたくて、君は話し出す。
「友達がいるんだ。そいつのこと好きなんだ。いいところばかりじゃなくって、嫌なところもあって、時時すんげームカついたり、うざったいって思うこともあるけど、友達なんだ。一緒にいて楽しいし、おもしれーし、でもつまんない時もあって、暇だったりもするんだけど、なんかさ、そいつとは会っていたいんだ。会っていないとさ、あー、会いたいなー、って思うんだよね。別になにか用があるわけじゃないし、なにをする、というのもないんだけど、会っていたい。ただ会いたい。別におもしろい奴ってわけでもないし、ふたりいてもやることなくて、会話とかもあんまりなくて、気まずいなーって思うこともあるんだけど、なんか会いたいんだよね。一緒にいたいんだよな。だから俺、そいつのこと好きなんだと思う。認めるのは癪なんだけど、でも、かなり好きだ。たぶんそいつも俺のことそう思ってくれてると思うよ。言い切れる自信ないけどさ。もし俺だけがそんなに好きだったらかっこ悪いからさ、そのことあんまりいわないんだけど、でも、そうだといいなーって思う。
そういう奴がいるんだ。会っていたい奴が。すぐにまた会いたいなって思う。用件とかないし、話すこともないから、あんまり会わなくていいかなって思うんだけど、すぐに会いたくなる。わかんないけどさ。ずっと一緒にいたいっていうのとはちょっと違うんだ。だってつまらない時もあるし、合わない時もあるし、もういいやって思うときもあるし。だけどなんか、すぐ会いたくなる。会っていたいんだと思うよ。会わないでいるとそいつのことどんどん気になりだして、なにしてんのかなーとか考えて、もうすぐにでも会いたくなってさ。会う時はさ、あんまり会話なくて、『やあ』とか、『よお』、とか、そんなもんで、照れくさくてあまり顔見れなくて、愛想悪いかなーとか思ったり、今度はもうちょっとそっけなくないようにしようって思うんだけど、できなくって。あんまり満足する形っていうのはないね。ちょっとぎこちない。でも、会うのっていいよな。すごい会うまで楽しくいられる。あー、もうすぐあいつがくるなー、きてくれるなー、って、そんなことばっかり考えて。俺、そういうのすっげー嬉しくてたまらないんだよね。反面、約束の時間過ぎると、不安になって、なんだよ、とか思ったり、俺だってそんなにあいつのこと好きってわけじゃないからな、とか言い訳したりするんだけど」
話ながら君は君が気になる。どんな顔をされているのかが気になる。君はなんでもないふりをして、自分もどんな顔をしているのかが気になった。空はただ高い。いつまでも高いところにある。
「だから、…だから俺、そういう奴がいるからさ、また会いたいって思うからさ、出口くぐることできなかった。そうだと思うよ。あの時は何故だかわからなかったけど、そういうことなんだと思う。本当は歩くのすごく辛くて、疲れてて、嫌な思いいっぱいしなきゃならないし、風船病もあって、もう辞めたい、終りにしたいって思うんだけど、こうして出口を前にしてさ、そういうこと思い出して、だから、くぐれない。終わりはまだかっていっつも思っていて、出口を探していたはずなのに、いくことができない。そんな時に限ってこういうこと思い出しちゃってさ、もう疲れて歩けない、歩くの辞めにしようって投げ出しそうになった時も、そんなこと思い出して、もうちょっと頑張ってみようかなって思う。また会いにいこうかなって、会いたいなって思うから、続けようとする。それだけだったらいいのにな。辛いの全部すっとばして、嬉しいことばかりでいたいよ。だけどうまくいかない。絶対にどこか辛いのがついてくる。でも、辛い時に限って、人が親切にしてくれたり、優しくしてくれたり、そんなことされると余計に俺って情けないな、って落ちこんだりもするけれど、もう少し頑張ってみようかなって思う。なんで出口をくぐらないんだろうって考えた時、思い出したのが、そういうことなんだ。そういうのをちょっとづつ思い出してきて、だからかなってさ。辛いことばっかりだったみたいだけど、それでも少し、いいことがあったからって」
君は話していて徐徐に涙ぐむ。唇が震えているのに気付く。勢いよく鼻を啜って、泣くのを未然に防ごうとする。だが涙の量は増え、君は沢山の感情を思い出す。それらを一括りにして想い、ついに涙は零れる。涙をぬぐい泣くのを止め、君はわからなかった形を見出した。自分に言い聞かせるように、すぐに投げ出したくなる自分を戒めるように、君は声を大きくする。
「俺、あいつに会いたい。会いたくて会いたくてしょうがない。だから出口はくぐれない。いくら会っても満足できないから、終われない。会いたい気持ちの前だと、風船病だって我慢できるって思える。そうだよ。だから俺は出口をくぐらなかったんだよ。終わることなんてできない。沢山の俺が出口をくぐったけれど、俺はいかなかった。それはそういうことなんだよ。俺は会うのを辞めにできないから、そういうのを諦めることができないから、出口を信じられなかった。出口なんかいらないんだ。あればいいなって思っていたいだけなんだ。逃げ出したい時はそう思ってすがりつく。けれど本当にはいらない。俺は弱いから出口があるって思っていたいけれど、なくたっていいんだ。未練がましいから、どうしても期待してしまうから、まだ続けていたい。会いたいのとか、嬉しいのとか、そういうのがいくらあっても満足できないから、終われない。すっげー強欲だと思う。満たされることなんてないと思う。だけどそれでいいと思うよ。そんなのでもいいって、俺は思う」
立ちあがり、君は門に近づく。名残はある。くぐりたい、と思う。心が弱くなった時は、風船病の時は、いっそのこと、と、いつまでも出口を求めるだろう。しかし今の君は違う。君は深くなにかを信じこみ、それ故に、今も鈍く痛みを与える傷痕にすら我慢できる。背筋をしっかりと張り、勝気でいられる。
君は門をそっと押す。ベニヤ板でできた門はゆっくりと倒れていく。門が建っていた跡には、出口を求めた沢山の君が折り重なって倒れいる。死んでいるのか死んでいないのか、わからない。きっとこいつらは死んだ振りをしているのだろう、そう君は思う。己に対して死んだ振りをして、死んでいたいのだ。倒れているのは君だ。しかし今の君は違う。
「これは出口じゃないよ。ほら、安物のセットじゃないか。出口なんてないし、こいつらだって俺じゃない。出口は求めるけれど、いつまでもたどりつけないでいいんだ。友達に会いたいから、好きだから、終わりはいらない。歩くのはどこかにたどりつく為だと思っていたけれど、目的地はいらないよ。俺が今まで歩いていたのはさ、どこかにいく為じゃなくて、友達に会う為でもなくて、そういうのに答えなんていらないんだな。どこに向かって歩いているのかわからないけど、そんな気がするよ」
出口を崩した君は振りかえる。そこにはもう一人の君はいない。いるのは友達だ。君が会いたい友達だ。腕組をして、にやにやと意地悪く笑う友達がいる。
「やあ」
「…」
「よっ」
「なんで、おまえ、いつから」
「最初っから」
君は今までの話しを聞かれてしまったことに動揺し、顔を赤くさせ慌てる。
「じゃあ、その、全部…?」
「そ。全部聞いちゃった。いやー、俺って愛されてるなー」
友達は君をからかいおどける。君は恥かしく照れくさく悔しく、全身汗びっしょりになる。
「いやー、まさかそんなに好かれていたなんて。嬉しいなー。光栄ですわ」
「なっ、そっ、そんなっ、違うって」
「すっごく俺に会いたかったんだね。知らなかったわー。いやーん、もう、いってくれればいいのにー」
「だからっ、違うっつってんだろ」
「俺のことが好きで好きでしょうがないんですねー。かーわーいーいー」
「なっ、ばっかじゃねえの」
「照れちゃって。きゃー」
「おまえ、それ以上言うと殺すぞ。すっげームカつく」
「あらあら正直じゃないのね。さっきはあんなに愛のある言葉をいってくれたのに」
「てめー、マジ殺す!」
君は怒って逃げる友達を追いかける。友達は逃げながらも笑い、さらに君を怒らせる。けれど友達を追いかけながらも、そんなに悪い気分ではない。不覚にも、君はそう思う。
友達を捕まえ、君は腕で首をしめる。怒りながらも、何故か顔が笑ってしまう自分を不覚に思う。照れ隠しにさらに首をきつくしめる。
「ひゃっはっは。わりーわりーギブギブ」
友達に腕を何度もはたかれて、ようやく君は力を緩める。怒った振りを続けるのは難しく、君は必死で努力する。
「いいか。今言ったのは全部嘘だからな。信じるんじゃねえぞ。忘れろ。忘れちまえ」
「はいはい。そういうことにしておくよ。でもなにもいわなくても本当の気持ちはちゃーんとわかってますから」
「てめえ…」
「あっ、ごめんごめんもう言わない。いやー本当に、はい」
いつまでもにやにや笑う友達に君は怒った振りを続ける。いつまでも続ける。いつまで続ければいいかわからないが、当分は続けなければならないだろう。気を抜くと笑顔になってしまいそうで、君は気を引き締める。恥で消え入りたい程だが、そんなに悪い気分ではない。悔しいことに。
友達は見透かした笑いを続けながら、意地っ張りの幼子をあやすように君の手を握り、走る。
「さて、それじゃいこうぜ」
君と友達はベニヤの門を越え、倒れている沢山の君をよけ、山道を突き進む。
「ちょっと、いくってどこへ」
「どこでもいいだろ」
友達は振りかえらずに、力強く君を引っ張る。道は上り坂だが、君と友達は快適に進みゆく。軽く足が進む。痛みは感じない。足の裏に刺さった画鋲はなくなっている。そういえば友達と会う時には画鋲の痛みを感じなかったことに、君は気付く。君と友人の横を木々がしなりながら流れていく。すごいスピードで流れていく。きらきらと緑は光り、音を奏で美しく輝き出す。美しい森の道を君達ふたりは走りゆく。
「そっか」
握られたふたつの手を見て君は呟く。
「どこでもいいんだ」


<終り>

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