物語 おなかのなかにはなにがある?


今日の理科の授業はにんげんの体についてだった。体の中には骨がいっぱいあって、胃とか大腸とか小腸とかいうものがつまっているんだって。教科書の中に絵がのってた。その絵は人間の形をしているんだけどにんげんにあまり似ていなかった。だってぐちゃぐちゃしたホースみたいなものがついているのだもの。
「にんげんの体の中にはこういう『ないぞう』っていわれるものがあるんだ。こうして食べ物を栄養にかえているんだぞ」
先生がそう教えてくれた。なるほど、ぼくのおなかのなかもそうなっているのか。ぼくは服の上からそっとおなかをなでた。でもそんな気はぜんぜんしない。服をめくってみたけどぽにゃっとしたおなかがあるだけで、そのなかにぐちゃぐちゃしたものがあるなんて信じられなかった。

 

家に帰ってからぼくはお母さんにカッターを貸してくれるよう頼んだ。
「いいわよ。はい。なにに使うの?」
「おなかを切ってみるの。今日ね、にんげんの体のことを習ったんだよ。おなかのなかにはないぞうっていうのがつまっているんだって。それ見てみたいの」
「そう。使いかたに注意してね」
「うん、わかった」
カッターをうけとって自分の部屋にはいったぼくは上半身はだかになって、おへその上あたりからよこに切ってみた。きゅうう、くすぐったいようなへんな感じ。このくらい切ればいいかな。どれどれ、ないぞうってどんなものだろう? 自分がドラえもんになったみたいで、わくわくしながら切ったおなかを開けてみたら、ぼろぼろっとなかのものがこぼれてきた。それはホースみたいなのじゃなくて、泥のかたまりみたいなのだった。石みたいな大きさで、ぼろぼろといっぱいこぼれた。なんだこれ? 習ったのとちがうぞ。ぼくはまさかそんなものがでてくるとは思わなかったからびっくりした。ひとつ拾ってかんさつしてみる。さわった感じも泥とそっくりだ。ねちょねちょして、ちょっとへんな臭いもする。ぼくはおなかのなかにそんなものがつまっていたことが急にこわくなって、どうしよう、どうしようという気持ちでいっぱいになった。なんだこれ、なんでこんなものが入っているんだ? おなかのなかにはないぞうがあるんじゃなかったの? なんでぼくのおなかのなかにはこんなのが入っているんだろう。手をつっこんでかきだしてみたけど、泥みたいなのしかでてこなかった。ぼくは自分がにんげんじゃなかったように思えて、どうしようしか考えられなくなった。どうしよう。ぼくってこんなだったんだ。こんなへんなのがつまってるやつだったんだ。怖くてこんなことなかったことにしたくて、こぼれでた泥みたいなのをあつめて、おなかのなかに押しこんだ。そして切ったおなかをのりでくっつけた。ぼくのおなかは見た目は同じになったけど、前と同じおなかには見えなかった。だってこのなかにはへんなものがあるってことを知ってしまったんだもの。にんげんのおなかの中にはないぞうがつまっているのに、ぼくのおなかには別なものがあるのだもの。ぼくは自分がこんなやつだって知って、このことが知られたらみんなから仲間外れにされちゃうような、とんでもないやつあつかいにされちゃうような、ううん、それ以上のもっと怖いことになっちゃう予感がして、いろんな悲しさがおしよせて「どうしよう、どうしよう」だけになった。

「ねえ、お母さんは自分のおなかのなか見たことある?」
ごはんを食べながらぼくはなんでもないふりをしてたずねた。ぼくのなかに泥みたいなものがつまっていたことはないしょのままだ。怖すぎていうことができなかった。
「あるわよ。ちょうどあなたの年の頃だったかしら。お母さんも授業で習って、自分のおなかのなかを見てみたくなったの」
「どんなだった?」
「習ったとおりのものがあったわよ。切ったおなかを鏡で見てね、こんなのが入っていたのかってびっくしたわ」
「そう…。お父さんは? 見たことある?」
「俺は習う前に見てたぞ。気持ち悪かったけどへんなもんで、なんべんも見ちゃうんだよな。ぷにょぷにょしたいも虫がふくらんだみたいなの。あれあんまりいじるとおなか痛くなっちゃうんだ」
そうか。お父さんもお母さんも普通なんだ。ちゃんとないぞうが入ってたんだ。ぼくだけなんだ。こんなへんなのが入ってるのは。
「カズユキは今日見てみたのか。どうだった? はじめて見て、びっくりしだだろ」
「うん…」
ぼくは元気なく答えて、うつむいた。どうしよう。ぼくだけだ。お父さんもお母さんもちゃんとないぞうがあるのに、ぼくだけ泥んこみたいのなんだ。
「どうした? なにかあったのか?」
お父さんが声をかけてきて、ぼくは首をよこにふった。そしたらなみだがひざに落ちた。がまんしようとすればするほどなみだはでてくる。こらえようとしたけどくちびるがゆがんで声がもれた。
「おい、どうしたんだ。なに泣いているんだ」
お父さんがぼくの肩をゆさぶって、大粒のなみだが落ちる。雨漏りみたいにぽたぽたと。ぼくはついに泣きだしてしまった。おなかの中に泥みたいなのがつまっていたから、そのことが怖くてどうしようもなくて、なんでもないふりを続けることができくなった。ぼくは泣きながらおなかを切ったときのことを話した。ないぞうじゃないちがうものが入っていたことを。お父さんとお母さんはしーんとなって、「どれ、まず見せてみろ」といってぼくのおなかを開けた。のりはなまがわきだったからかんたんに外れた。泥みたいなのをとりだしてかんさつしているお父さんとお母さんの横顔はぼくを不安にさせる。ぼくが物みたいにあつかわれて、ますます怖くなって泣いてしまう。
「ねえ、これ、なんなの? ぼくのおなかのなか、なにが入っているの?」
2人はさわったりつまんだり、臭ったりしたけど泥みたいなものの正体はわからなかった。お父さんはだまったまま泥みたいなのをおなかのなかに入れなおし、のりでおなかをくっつけた。ぼくはされるがままだ。心細すぎて、でもお父さんにもお母さんにも頼ることはできない。だってぼくのなかは泥んこだから、お父さんとお母さんに見捨てられてしまうかもしれない。普通じゃないへんなやつだから嫌われるかもしれない。お父さんもお母さんもちゃんとないぞうが入っているから、泥んこが入っている子なんて嫌いになっちゃうだろう。どうしよう。どうしよう。ぼくはへんなやつで、普通じゃないんだ。みんなと違っているおかしな体なんだ。お父さんはぼくをあぐらの上に坐らせて「だいじょうぶだよ、心配することないからね。ないぞうがおなかのなかに入ってないからって、不自由なことはないんだから」といったけど、優しくされればされるほど不安だらけになる。
「なんでぼくだけこんななの。お父さんもお母さんも、ちゃんとないぞうが入っているのに。なんでぼくだけ泥んこみたいなやつなの。なんでお母さん、ぼくをこんな体に生んだの」
お父さんがかるいげんこつをしてきた。
「そんなこというもんじゃない。お母さんはな、痛いおもいをしておまえを生んでくれたんだぞ。生んでくれただけでも感謝しなけりゃならないんだから。お母さんに謝りなさい」
ぼくはしぶしぶ謝った。お母さんはぼくの頭をなでて「ないぞうがおなかのなかになかったからって、あなたがへんなにんげんだってことにはならないわ。そんなものなくたって、あなたはわたしたちのじまんの子どもだからね。だから泣くことないわよ」となぐさめてくれた。
だけどぼくは見ちゃったんだ。その日の夜の遅く、お母さんが泣いているところを。お父さんは泣いているお母さんをなぐさめながらも、悲しそうな顔をしていた。2人の話しはよく聞えなかったけど、「あの子が」「あの子が」という言葉が聞えた。きっとぼくのことだろう。やっぱり2人のいったことはうそなんだ。心配することないぞとか、へんなにんげんじゃないとかいってたけど、ぼくのおなかのなかに泥んこみたいなのが入ってたことはお母さんが泣いちゃうくらいのことなんだ。どうしよう。ぼくにないぞうが入ってないからお父さんとお母さんが悲しんでいる。ぼくがへんな体だからお母さんを泣かせてしまった。なんでぼくはこんな体なんだろう。ちゃんとないぞうが入っていたら2人を悲しませることなんかなかったのに。ぼくがちゃんとしたにんげんだったらよかったのに。

 

次の日の教室は、ないぞうの話でもちきりだった。みんな家で自分のないぞうを見てみたらしい。ぼくは注意深くみんなの話しを聞いていたけど、ないぞうじゃないものが入っていた話は聞けなかった。どうやらみんなおなかのなかにないぞうがあるみたいだ。どうしよう、ぼくだけなんだ。こんなへんなのが入っているのはぼくだけだ。ぼくは教室のなかで一人ぼっちになったみたいで、みんなが近いのに遠くにいるみたいだ。ぼくがみんなの輪の中に入らないでいると、ショウゾウくんが声をかけてきた。
「おい、カズユキ。なに一人でいるんだよ。おまえ、おなかのなか見てみたか?」
「うん…」
ぼくはあいまいな声をだした。ないぞうの話をするのは嫌だから、あまりショウゾウくんと話しをしたくなかった。
「びっくりしたよな。まさかおなかのなかにあんなのが入っているとはおもわなかったよ。教科書の絵とはまた違っててさ、へんなもんだよな、あれ」
そうなんだ。ないぞうってそういうものなんだ。ショウゾウくんはちゃんとないぞうがあっていいな。うらやましい。ぼくみたいに泥みたいなのが入ってなくて、みんなと同じで。
「おい、どうしたんだよさっきから。さてはおまえ、おなかのなか見ていないんだな」
そういってショウゾウくんはぼくの服をめくった。
「なんだ。切ったあとあるじゃん」
「やめてよ!」
ぼくはいそいでおなかを隠した。ショウゾウくんは驚いた顔をした。
「なんだよ。そんな隠すことじゃないじゃん」
そういってショウゾウくんはまた服をめくろうとして、ぼくは必死になって隠した。
「なに隠してんだよ。おまえもないぞう見たんだろ? ちょっと見せてみろよ」
ショウゾウくんは当然のようにないぞうのことをいって、もっていないぼくは泣きそうになる。
「やだ! 見せたくない!」
ぼくが嫌がれば嫌がるほどショウゾウくんは面白がって、ぼくのおなかを見ようとする。騒ぎをかぎつけてクラスのみんながあつまってきた。みんなも面白がって、ぼくの体を押さえつける。必死に抵抗するんだけどおおぜいの力には勝てなくて、ぼくのおなかはむきだしになった。
「どれ。じゃああけてみるぞ」
「やだ! やめてよ! やめてったら!」
どうしよう。ぼくの秘密が見られてしまう。ぼくがみんなと違うことがばれちゃう。泥みたいなのがつまったおなかが見られてしまう。そうなったら、そうなったらどうなってしまうんだろう?
「お願いだからやめて。離して。やめてよぉ」
ぼくはついに泣きだしてしまった。ぼくのなみだを見て急に気まずくなったみんなは手を離して、ちりぢりに去っていった。もうちょっとでおなかのなかがばれるところだった。ないぞうがあったら隠さなくてもいいんだけど、泥みたいなのがはいっているから隠さなきゃいけない。ないぞうがあったら平気で見せることができるのに。こんなことをされるとないぞうが入っていないことがますます悲しくなっちゃう。仲間外れされたときみたいになる。なんでぼくはこんな苦労をしなきゃいけないんだろう。
「ん。なんだこれ」
ふりむくと、ショウゾウくんがなにかをもっていた。黒っぽい、小石くらいの大きさのもの。ぼくのおなかのなかのものだった。さっきの騒ぎでこぼれちゃったんだ!
「返してよ! ぼくのだから!」
ぼくはショウゾウくんから泥みたいなのをもぎとって、床に落ちていたものも拾い集めた。そして驚いた顔のショウゾウくんに声をかけられないように、走って教室から逃げた。

 

ぼくは屋上で泣いていた。一人ぼっちでなみだを流していた。人のいるところにいたくなかった。ろうかを走る間もたくさんの人とすれ違って、ああ、この人たちはみんなないぞうがあるんだ、と思うとますます泣きそうになってしまって、ぼくは屋上に逃げこんだんだ。広いところで一人でいるとぼくがきゅうくつになっていく気がする。知らない間に少しずつなくなっていくみたいだ。こんな感じになるのはさびしいからだ。ぼく以外は全員ないぞうがあって、ぼくだけ泥んこみたいなものだから、ぼくの心は一人ぼっちになっていくんだ。お空の青さも、空気の匂いも、みんなやさしくない。他人になってぼくをきゅうくつにさせる。ぼくは体育坐りになって、ないぞうのつまっている自分の体を想像した。みんなと見せ合いっこして、「お、ちゃんとないぞうがあるね」って話しているところを。想像のなかでぼくはしあわせだった。ぼくはそういうぼくになりたかった。
「カズユキくん。こんなところにいたんだ」
ぼくを探しにきたのか、リョウコちゃんがやってきた。同じクラスの女の子だ。
「帰ろ。みんな心配してるよ」
ぼくは黙ったまま首をふった。すっかりいじけてしまった。
「ねえ。あれさ、カズユキくんのおなかのなかのものでしょ。ショウゾウくんがもっていたやつ」
リョウコちゃんの言葉にぼくは固まった。体の内側から、すうっと中身が落ちていっちゃうみたいになって、「どうしよう」で壊れそうになった。
「…見たの?」
「うん。みちゃった。おなかからでたところ」
どうしよう、みられちゃった。ぼくのへんなおなかがばれてしまった。ぼくの体が普通じゃないってことが知られてしまった。ぼくは動くこともできず、なにもいえないでいると、リョウコちゃんが手をぼくの目の前にもってきた。手の平の上にはビー玉があった。
「これ、わたしのおなかのなか」
見るとリョウコちゃんはおなかを開けていて、そこにはビー玉がいっぱいきらきらとつまっていた。ないぞうじゃなくてビー玉があった。
「わたしもないぞう入ってなかったの」
リョウコちゃんはよくわからない顔をしてた。さびしそうなのか、やさしいのか、なんでもないよなのかわからない。でもぼくはその顔を見て安心した。どんな言葉よりもほっとした。力がぬけて体がやわらかくなっていった。
「リョウコちゃんのおなかのなかもないぞうなかったんだ」
「うん」
「ぼくも。いっしょだね」
「そうだね」
「ビー玉なんだ。リョウコちゃんのおなかのなかは」
「そう」
リョウコちゃんのおなかのなかからビー玉がこぼれ落ちた。コンクリートの床にあたってコツン、コツンと音を立てて四方に転がっていく。ぼくは転がるビー玉を拾い集め、リョウコちゃんに手渡した。ビー玉は体温でほんのりと、女の子のやわらかいぬくもりがあった。リョウコちゃんはちょっと照れた笑顔をした。
「あのね。ホントはちょっと恥かしいの。見られるの」
「そうなんだ。なんでぼくに見せてくれたの?」
「だってカズユキくんも同じだから」
「うん。ぼくもないぞうもってないよ。よかった、ぼくだけじゃなくて」
「カズユキくんのおなかのなかは、なにが入っているの?」
「なんか、わからないんだ。よくわからない。泥みたいなのなんだ」
ないぞうをもっていない子がぼく以外にもいるって知ってほっとしたけど、リョウコちゃんのおなかのなかはビー玉だった。ぼくのはなんだかよくわからないものだ。ぼくはまた不安になった。なんだろうぼくのおなかのなかは。これってなんなんだろう?
「どんなものかちょっと見せてくれない?」
「えー…。恥かしいよ」
「いいじゃん。わたしの見せてあげたでしょ。カズユキくんのも見せてよ」
「でもぼくのなんだかわからないものだもん」
ぼくだってビー玉だったら見せてあげただろう。でもなんだかわからないものだから、見せるのはちょっといやだ。
「なんなのかな、これ。だれか知っている人いないかな」
「先生に訊いてみよっか」
「えー、でも…。ないぞうのある先生に見せるのはいやだな」
「わたし、ないぞうもってない先生知ってるよ」
「だれ?」
「体育の先生で山岡先生っているでしょ。あの人もないんだって」
「ほんと?」
「そうだって。ねえ、これから見せてもらいにいこっか」
「うん、そうしよう」

 

教務室に入るのはいつもどきどきする。用事がないと入っちゃいけないところだから、いけないことをしているみたいだ。ちょっぴりわくわくするけど。ぼくらは「失礼します」とおじぎをしてから山岡先生のところにいった。
「お、なんだおまえら。どうしたんだ」
「あの、先生ないぞうもってないって聞いたんですけど、ホントですか?」
先生はちょっとちゅうちょしたけど、「そうだぞ」っていった。あまりいいたくなさそうな顔だ。「ぼくらももってないんです」というと、「そうか!」と急にやさしい顔になった。
「そうか、おまえらもないのか。だから先生のところにきたんだな」
「はい。わたしのおなかのなかはビー玉でした」
「ビー玉か。なるほどなあ。おまえは? なにが入っていたんだ?」
「ぼく、なんだかよくわからないものなんです。なんか、泥みたいなのが入ってて。それで、先生に訊いてみようって思って」
「そうか。それじゃあ見せてごらん」
「ここでですか?」
教務室には他の先生もいて、ここでおなかを見せるのはいやだった。
「そうだな。それじゃ宿直室へいこう。あそこならだれもいないぞ」
「宿直室って?」
「先生たちが泊まり番をするときの部屋だ。タタミとふとんがあってな、テレビもあるんだぞ」
へえ、そんな部屋があるんだ。宿直室は教務室のうんと奥にあった。冷蔵庫もあって、学校じゃないみたいな部屋だ。山岡先生はドアを閉めて、「さあ、見せてごらん」といった。
「うん…」
「どうしたんだ? 先生もないぞうもっていないんだから、平気だろ?」
先生はそういうけれど、ぼくだけ見せるのはやっぱりいやだ。いくら頭のなかでわかっていても、いやなものはいやだ。そんなぼくをわかってか、リョウコちゃんが「先生のおなかのなかはなにがあるんですか?」といった。
「それじゃあ先生のおなかのなかを先に見せようか。そのあとでだったら見せられるな?」
ぼくはうなずいた。先生はジャージをめくっておなかをだした。ふとったおなかで、毛が生えている。大人のおなかだ。
「先生はいつでもおなかを開けられるようにボタンをつけてるんだぞ」
ほんとだ。ふとっちょのおなかにはボタンがついてた。先生はボタンをはずして、おなかに手をつっこんだ。ふとったおなかだからまるでドラえもんみたいだ。そしてなかからでてきたものは、プラスチックのライターだった。
「百円ライターだ!」
「そう。先生のおなかのなかは百円ライターでいっぱいなんだ」
のぞきこむと、赤色、黄色、緑色、その他の色のライターがいっぱい入っていた。タバコをすうときにべんりなんだぞ。先生はそういってニヤリとした。
「だからボタンをつけていつでもとりだせるようにしているんだ。ちょっとしたアウトドアのときにも使えるしな」
先生はとりだしたライターをつかってタバコに火をつけた。1回だけタバコをすって、すぐにあわてて消した。
「おっと生徒の見てる前でいけなかったかな。先生が学校でタバコをすったことはないしょだぞ」
ぼくとリョウコちゃんは笑った。山岡先生はライターをしまってボタンをかけて、「それじゃあおなかのなかを見ようか」といって、ぼくの服をめくっておなかをあけた。ぼくはされるがままでいた。くすぐったくて、またちょっと不安になった。
「ふーむ。なんだろうな、これ?」
先生はぼくのおなかのなかから泥みたいなのをとりだして、手にとってじろじろみた。リョウコちゃんも見ている。ぼくは恥かしくて顔が赤くなった。
「お父さんとお母さんもわからなかったんです」
「たしかに泥のカタマリみたいだな」
「やっぱり泥なのかな。ぼくのおなかのなかは泥なのかな」
また泣きそうになってきた。
「いやいや、そう決めるのはまだ早いぞ」
先生はぬれたタオルをもってきて、それで泥みたいなのをふきはじめた。ぼくはおなかをだしたままでしょぼくれてしまう。やっぱりぼくのおなかのなかは泥なのかな。泥が入っているなんてすごくいやだ。山岡先生のライターは便利で、リョウコちゃんのビー玉はきれいですてきなのに、ぼくのはきたない泥だ。ぼくもライターとかビー玉だったらよかったのにな。考えるほどみじめになって、べそをかいてしまった。
「お、これ泥じゃないぞ。ほらごらん」
その声にぼくははじかれたように顔を上げた。山岡先生が見せてくれたもの、泥のなかからなにかがのぞいていた。
「ほんとだ。泥の下になにかあるね」
「泥はこびりついていただけだったんだな」
「え、なになに。見せて」
「ちょっとまて。もう少しで全部ふきとれるから」
ぼくはこうふんをおさえることができなかった。ひょっとしたらぼくのおなかのなかは泥んこじゃないのかもしれない。ビー玉とか、ライターとか、そういうものかもしれない。どきどきする。
「ほら見てみな。これだったよ、おまえのおなかは」
それはクレヨンだった。使いかけですりへった、ちびた赤いクレヨンだ。
「クレヨンだったんだ…ぼくのおなかのなか。泥じゃなかったんだ」
他のをふいてみたら、やっぱりなかからクレヨンがでてきた。ぼくのおなかのなかにはクレヨンが入っていた! 泥じゃなくて、クレヨンだ。山岡先生とリョウコちゃんは泥みたいなのをふきとるのを手伝ってくれた。赤、白、黄色、緑に黒、だいだい色も。ぼくは泥じゃなくてほっとして、安心してまたなみだがでてきた。
「カズユキくんさっきから泣いてばっかり」
「だって泥だって思っていたんだもん。おなかのなか、泥がつまっているって。泥んこじゃなくて、よかった」
ぼくはなみだをふきながらそういって、山岡先生とリョウコちゃんはそんなぼくを笑いながら「よかったな」といってくれた。

「でもなんでクレヨンなんだろう」
全部の泥を落として、クレヨンをおなかのなかに入れながらぼくはつぶやいた。泥じゃなくてよかったけど、やっぱりないぞうのほうがいい。なんでぼくはないぞうの入った体じゃなかったんだろう。
「そんなこといってもしょうがないじゃないか。ないぞうの入っていない体で生まれたんだから。先生も若いころは悩んだけど、ライターの入った体でも生まれてきてよかったって今は思うぞ」
「でもほんとはないぞうがあったほうがよかったんでしょ?」
「うーん、そうじゃないっていえばうそになるな。でもなあ、ないぞうじゃなくてライターが入った体だけど、自分の体だしな。体は大切にしなきゃいけないぞ。クレヨンがはいった体だって、りっぱなものじゃないか」
「でもぼく、やっぱりないぞうのあるほうがよかったな。そうじゃなくても、先生みたいにライターとか、リョウコちゃんみたいにビー玉が入っていればよかったのに。なんでクレヨンなんだろう」
「でもクレヨンっていいじゃない」
「ビー玉のほうがいいよ。きれいだし、きらきらひかるじゃん。クレヨンなんてかっこわるいや。それにちびたものばっかだもん」
「わたしのビー玉だってよごれたのあるよ。ひびのはいったのも、へんなもようのも」
「それでもビー玉のほうがいいや。そうだったらきれいなのにな。ライターだったらべんりなのに」
「クレヨンだってべんりじゃないか。そうだ。おまえは絵描きになればいい。おなかのクレヨンをつかって絵を描きなさい」
「そうよ。カズユキくん絵上手じゃない。だからクレヨンなんだよきっと。絵を描くためのクレヨンなんじゃない?」
「そんなわけないよ。絵を描くのとおなかのなかにクレヨンが入っているのと関係ないじゃないか。そんなんだったら絵の具のほうがいいや。きれいなアクリルガッシュの絵の具だったらよかったのに。クレヨンだなんて幼稚園みたいだ」
泥じゃなくって安心したはずなのに、ぼくはまた落ち込んでしまった。山岡先生とリョウコちゃんがなぐさめてくれようとしているのはわかる。でもぼくはないぞうのほうがよかったんだ。クレヨンなんていやだ。
「クレヨンなんてヘンだよね。おなかのなかにはないぞうがあるはずなのに。ぼくのおなかはちびたクレヨンだ。やだなあ、こんな体」
先生が顔をうんと近づけてきた。のけぞると、のけぞったぶんだけ近づけてきた。
「いいか、よく聞けよ。おれたちはな、生まれてくる全てことを選べないんだ。どんな国に生まれたかったとか、こういう親がよかったとか、男がよかったとか女がよかったとか、体のこととか。人はそういうことが一度はいやになる。こんなふうがよかった、とかいうのを考えてしまう。悩んで、どうしようもないことを夢見てしまう。おれたちみたいなのはとくにそうだ。あまりいないかたちで生まれたものは人一倍そういうことを考える。けれどどんな人間だってそうなんだよ。みんないろんなかたちで悩んでいるんだ」
「でも、みんなはないぞうをもっているんです。それが普通なんです。ぼくらだけなんで、こんなことで悩まなきゃいけないんですか。先生はそうじゃないんですか?」
「先生だってな、そう考えたことがあったよ。他の人をうらやましいって思ったのは何度だってある。そういった悩みをもったものはな、1回じっくりと、とことん悩んで、悩んで、悩みぬかなきゃいけない。そうやって受け入れるんだ」
「うけいれるって?」
「あきらめることだ。自分は普通じゃないってあきらめて、それでもいいって思うことだ。そうすれば落ちこむこともないぞ。落ちこんでもすぐ立ち直ることができる」
「先生はそうしたんですか? その、あきらめたんですか?」
山岡先生はちょっとだけ苦そうな顔をした。
「ああ。だけどな、そんなことたいしたことじゃないんだよ。だってこんなのちっぽけな違いだからな。生きていく上で、たいしたことじゃないんだよ。おまえはすごい違いだって思っているだろうけど、ちょぴっとしたことなんだ。他人に話したら、そんな悩むようなことじゃないっていわれるようなことなんだ。それにな、おれたちが思いもつかないようなことで悩んでいる人間だっていっぱいいるんだよ。みんなそれぞれ、自分が普通じゃないって、他人にあこがれているんだ。そうやってみんな、ありのままの自分をうけいれようとしているんだ。自分はこれでいいって思えるようにがんばっているんだ。きっと普通の人間なんていないんだよ」
そうかなあ。先生の話は説得力があるけど、ぼくはやっぱり普通の人間っていると思う。たぶんショウゾウくんにはこういう悩みはないんじゃないかな。自分が普通じゃないんだ、って悲しんではいないと思う。それにうけいれるなんてできそうにない。おなかのなかがクレヨンでよかったなんて思うわけないもの。やっぱりないぞうのほうがいいって、いつまでもあきらめられない。他人だったらいいんだよ。他人だったらクレヨンがあるおなかでも、ビー玉があるおなかでも、すごいやって思うことができる。そういうおなかの人間が世界に一人くらいいてもいいと思う。いいなあってうらやましがるかもしれない。けれどなんでよりによってぼくなの。ぼくじゃなかったらきっとクレヨンがつまったおなかをすてきだって思うことができるのに。
ぼくは山岡先生とリョウコちゃんと話しながらそんなことを考えていた。2人はいつまでもぼくを説得しようとしたけど、ぼくはいくらいわれても納得できなかった。2人にはわからないんだ。クレヨンのつまったおなかの悲しみなんてわからないんだ。ビー玉とライターのおなかには。

 

帰り道の公園で小さな男の子が泣いていた。小さな、本当に小さな男の子だ。ぼくは近よって、「どうしたの?」って声をかけた。男の子はなみだ声で話した。
「ぼく、ふつうの体じゃないの。おなかのなかに、ヘンなものが入ってるの。みんなはいっしょなのに、ぼくだけちがうの」
ああ、この子もなんだ。ぼくのなかに人をいたわる心がうまれた。男の子の背中をさすってやる。丸まった背中からぼくと同じ悲しみが伝わってきた。
「なにが入っていたの?」
男の子は泣いたままだ。ぼくはそっと男の子のおなかに手をのばして、なかのものをとりだした。くしゃくしゃに丸められた銀紙がでてきた。甘いいい匂いがした。
「チョコレートの銀紙だね。これがおなかのなかにあるんだ」
うん。うなずいて、男の子はますます泣く。ぼくは「いい匂いだね」といった。その子は泣いたまま、ぼくを見上げた。
「きもちわるくないの? ぼくのこといやがらないの? みんなぼくのことヘンだって笑ったのに」
ぼくはおなかのなかからクレヨンをとりだした。
「ぼくもさ、おなかのなか、違うものが入っているから」
男の子はふるえる指でつまんで、「クレヨンだ」といった。
「そうだよ。ぼくのおなかのなかにはクレヨンがあるんだ。きみはチョコレートの銀紙なんだね」
「…うん」
クレヨンをじっと長い間見つめて、男の子はいった。
「おなかのなかにクレヨンがあるの?」
「うん」
「…ヘンなの」
「うん。ヘンだね」
そしてぼくらは顔を見合わせ笑った。

 

おしまい

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