役には立たないけど、少しホッとするブログって話

 こんにちは。音楽を聴きながらの夜の帰り道ってさ、なんかエモいよね。私、都会の夜ってすごく好きなんですよ。なんかキラキラしていて、でもそこを行き交う人たちは忙しそうで。そういう光景が、なんか好き。田舎育ちだからかな。分かんないけど。

 はのとです。初めまして。


 ブログを書き始めて、一年が経ったような気がしなくもありません。正確な日とか分かんないし遡るのも面倒なので、感覚的に。大学二年の頃の春休みに始めたなってことだけは明確に覚えているので、大学三年の春休みである今は、確かに二年目に突入したんだと思います。

 って思ってたらさ、さっき通知来ました。今日でちょうど一年らしいです。すごいね。一年間も同じことを続けている。これって、日記がだいたい一日しか続かない、続いているとも言えないような記録しか持っていない私にしては、本当に衝撃的な事実。

 最初はね、何か新しいことを始めたいって思って、それから、何か続けられるようになったらいいなって、そう思ってひらめいたのが、ブログでした。運が良ければ収益化できるし、バイトしてないすっとこどっこいな大学生にはちょうどいいなって思って。収益化についてはよく分からな過ぎて早々に諦めたんですけどね。

 始めたときは、3つの媒体でやってました。同じ記事を3つのフリーブログサイトで載せて。で、結果的に残ったのがこのnote。なんでだろう。使い勝手が良かったのか、反応が良かったのか。それは忘れちゃったけど、とにかく色んなことのめぐりあわせで今ここで記事を書いています。


 最初のコンセプトは、手紙。今時手紙なんて、なかなか書くときないじゃないですか。でも、私は昔から手紙を書くことが好きなんです。ことあるごとに手紙を書いて、しかもメンヘラみたいな長文で、相当うざがられたことは少なくありません。それでも書いてた。普段言えないことを、文字に乗せる。それが、好きだったから。

 でさ、関係が途切れてしまった人たちに、というか、今も仲良くしている人たちはそれはそれで、手紙なんてもう書きにくいんですよ。大義名分はもちろんないし、でも、伝えておけばよかったと思うことはたくさんあるんです。だから、この場でそれを消化していこうかなって。そう思って始めたのがきっかけでした。

 それはそれでよかった。忘れかけていた記憶とかが蘇って来たり、何年越しにか、自分の気持ちをようやく理解することができたり。新しい発見もあったし、とても楽しかった。しかも、春休みということに乗じて毎日書いていました。ルーティン。


 そして休みがあけて、各頻度は劇的に減りました。一週間に一本、書いていたのかなって感じ。書きたいことがふと浮かんだときに、ブログの題名だけ書いて下書きにしておくのね。それで、時間が空いたときに少しずつ書いて、勢いで書ききった瞬間に投稿する。時間とか気にしたことない。推敲もしたことない。気持ちのまま、ばーんと。

 だから誤字脱字は多いですね。良くない。一日後とかに読み返して発見して、その度に訂正してなかったことにします。失敗を隠蔽します。誤字で読みづらいブログなのに、反応をくださる方々の懐の広さには感服です。

 この頃には手紙は一旦やめて、日記感覚で書いていました。今のスタイルですね。日記とも違うか。まあとにかく、考えることができたり、ふと昔のことを思い出したりしたときに書く。たまーに、愚痴や懺悔のときもあるけど、そういうときは大抵、反応が励ましに見えてとても元気が出ます。


 私が変わらず意識しているのは、全く何の知識も得られないけど、全く人生に生かせる教訓はないけど、なんか最後まで読んじゃった。なんか、この文字の向こうの人を想像しちゃった。なんかちょっと面白くなっちゃった。なんかちょっと励ましたくなっちゃった。なんかちょっと心があったかくなっちゃった。そんな感じの、【なんかちょっといい感じ】なブログを書くこと。

 誰かの役になるような記事なんて書いたことありません。有益な情報なんて、私の記事のどこにもありません。そういうのは、そういうのを一生懸命やっている人たちがいるからいいんです。私はね、ただ、私の独り言を寂しく発信しているだけなの。たまたま運が良く、その独り言を最後まで聞いてくれる人がいたっていうだけ。そのたまたまが嬉しくて、私はまた独り言を唱える。

 独り言。自分で言ってて、すごいしっくりきた。本当に、私のブログなんて独り言です。私の頭の中の具現化。普段ろくなこと考えていないことがバレちゃいましたね。まあいっか。本当のことだし。

 独り言なら、勝手に頭の中で言っていればいい。だけど、ちょっとだけ、誰かに共感してもらえたらいいなとか思っちゃったりして。ちょっとだけ、誰かをくすっとさせたいなとか、ちょっとだけ、誰かの考えを前向きにできたらいいなとか、そんなことを思っちゃったりして。

 こうやってインターネットの海に投げ込んでいるわけですから、もちろんそれは、誰かに向けたメッセージなんです。誰かに届くことを前提に書いています。だからこそ、届いたときの成就感というか、そういうのが病みつきになっちゃう。最近はコメントをくださる方もいて、あ、顔も名前も知らない誰かが、顔も名前も知らない私に言葉をくれたって、そう思うと、何とも言えない素敵な気持ちになります。

 そうそう、顔も名前も知らない、本当に存在しているのかどうかも怪しいくらいの私に、貴重な人生の時間の数分間を割いて、頭の悪い文章でつづられた私の言葉を読んでくれている、という事実が、私にはとても幸福なことに思えます。素敵なことだって、そう思います。


 誰にも見向きされていなかったら、きっと私はとっくに飽きて辞めている。でも、必ず誰かに届くんだって、そう思えるから、そう思えるほどに、多くの皆さんが反応をくださるから、私は続けられているのです。続けることが苦手な私が、一つのものを、一年間も。

 少しは成長できたかな、この一年間。文章力は上がっていないし、なんなら最初の頃の方が賢い言い方をしていたので、低下していると言っても過言ではないでしょうね。最初はね、今みたいな口語体じゃなくて、文語体で描いていたんですよ。

 この上なく堅い文章に、先に耐えられなくなったのは私の方だった。どうにも偉そうに感じられてしまう。どうにも、このままでは私の考えや気持ちに、別の何かを乗せてしまうような気がする。そう思い、私は文の調子を変えることを決意したのである。

 と言った感じでね。まあ、これはこれで事実だけを伝えたり、簡潔に伝えたりするのに便利だし、私が根底に抱える頭の悪い部分を露見せずに済んだと思うので、口語体にしたのは少しだけ後悔していますが。

 それでも私は、私という人間を通した感情をね、気持ちをね、考えをね、知ってほしいなと思ったんです。顔も名前も分からない。文字だけで伝えられることには限界がある。だから、話しかけているみたいに文章を書いてみようと、そう思ったんです。

 おかけで話は脱線するし、説明は冗長だし、いいことなんてむしろなかったかもしれないですね。まあいっか。それでこそ私。個性だからね。


 ということで、これからも何の役にも立たない記事を、不定期に適当に程々に書いていきたいと思います。だから、たまに見かけたら、たまにでいいから、会いに来てね。

 一年間、ありがとうございます。これからもよろしく。

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