フォロワー数が100になった。いつもありがとう。

    こんにちは。8月もいよいよ終わりですね。私にとって8月は、楽しいことづくめの幸せな1ヶ月でした。いろんな人に会っていろんなところに行っていろんなものを食べました。人間は旅行をしないといけないと改めて義務を実感したし、これからもしっかりと義務を果たしていきたいと思います。1番印象に残っているのはコスモワールドの観覧車で見た夜景です。

    はのとです。初めまして。


    みなさんいつもありがとうございます。本当に嬉しいことに、ついにフォロワー数が100人を突破しました。最初に記事を書いたのは大学3年の春休みだったので、2021年2月頃。それから1年と半年ちょっとが経ち、のんびりさんの私はようやく3桁という大台に乗らせていただきました。

    元々フォロワーやいいねといった数字にこだわることなく、というのが私のモットーでした。良くも悪くもモットーを意識して生きてきたので、都度数を把握することもなく、のらりくらりとやってきました。そしてついに、こだわらなくても嬉しい100人という区切りを達成したわけですね。ありがたいことです。


すぐに減っちゃうかもと思ったのでスクショしておきました。

    自分の考え方だったり生活の一部を切り取ったり恋人のことだったり、特にまとまりもない記事ですが、書いていていいことはいっぱいあります。ありがとうでいっぱいです。


   もともと書き始めた頃は、誰かに宛てた手紙という体をとっていました。誰かと言っても私の知り合いですが。手紙の中身を覗いてみませんか? ということを謳っていたような。でも、手紙を書く相手もだんだんいなくなってしまったので、一旦やめました。

    そもそも手紙を書くのが好きなんです。普段は言えないことを、言いづらいことを、丁寧に文字にできる手紙が好き。この間も、付き合って1年が経った恋人にメンヘラ長文お手紙を贈呈したところです。迷惑がらずに受け取ってくれてさんきゅう。


    はたして、私とあなたはいつどこで出会ったのでしょうか。そもそも出会ったとも言えないのかも。オンライン上で私が一方的に文字を発信し、それを偶然見つけてくれたあなたがいる。ただそれだけで、関係性に名前がつくようなものでないような気もしますね。不思議な繋がりです。

    それでも私は、よくいいねをくださる方の名前はつい覚えてしまいます。こちらから「いつもありがとう」を伝える手段もなく、ただありがたく受け取ってばかりです。本当にありがとうございます。なんてここに書いても、この記事が偶然目に入ることがなければ伝わらないのです。もどかしい。

    だから祈りながら書いています。これも全部巡り合わせで偶然と偶然と偶然で、なんかすごいですよね。オンライン上の繋がりって希薄なのに、ある一定のラインを超えることは物理的にほぼ不可能なのに、それでもすごく私の支えになっているんです。


    例えば、落ち込んだことやショックだったこと、失敗したことがあったときに、直接的にではなくてもそれに関係していることを記事にすることがあります。悩んだこととかもそう。その答えを探して、インターネットの広大な海に投げかけるんです。

    それでね、どんなことを書いても、それが真っ直ぐでも曲がっていても、必ず誰かが読んでくれる。誰かがいいねをくれる。そのいいねで、私は背中を押してもらえるんです。それでいいんだよって、肯定してもらえる。本当は肯定のいいねじゃないんかもしれないけど、解釈は自由ですからね。怒らないで。

    そうこうしているうちに、何か悩んだことがあれば言語化してみよう、という気持ちになることができてきました。言語化って本当に大事で、書いているうちに自分が何に悩んでいたのか、今後どうしたらいいのか、が分かったりもします。全人類やるべきですね。人に相談すると少しスッキリするのも同じ原理かなと思います。


    という感じで、私はいつも、顔も名前も何も知らない方からいただいた「いいね」という小さな反応1つに、大きな力を感じるのです。いいんだよ、大丈夫だよ、なんて言われているようで、応援をいただいているようで、眠れない夜を迎えずに済んだりもします。これは大きなことです。非常に大きなことです。


    そして、基本的に継続が死ぬほどできない私が、1年以上も同じ行いを続けられているのも、いただくいいねの存在がとっても大きいです。要は、別に誰にも読まれないなら、誰にも読まれなくて良いのなら、日記でもつければいいんですね。自分1人が見えるところでやっていればいいんです。

    でも、こうやってネット上のツールを使って発信している以上、少なからず誰かに見てほしい、聞いてほしい、読んでほしい、っていう気持ちがあります。これは、インスタとかTwitterとかもそう。誰かが見ると思わなかった、なんて言い訳は通用しません。本当に見られる気がなければ日記でいいんですから。

    それをあえて人が見えるところに書くんですから、見られること前提で書いているんですよ。偏見ですか? 言い過ぎですか? ごめんなさい。


    ということで、私は多くはないけれど、誰かが読んでくれたら嬉しいな、くらいの気持ちで書いています。実際、本当に誰にも見られない文章は日記や鍵付きFF0のTwitterで呟いたりしているので、意識して使い分けています。

    だから、反応をいただけることがとても嬉しいのです。ありがとう〜!!!!!! って。心から叫びたくなるようなこともあります。恋人との在り方、友人との在り方、そういったことに悩んだときにいただいたいいねは、全私の味方になってくれるのです。ありがとう。

    だから、私には何が返せるのかな、って思うんだよ。「これからも記事を書くことでお礼にする!」なんて言えるほど私の記事に価値はないので、そうはできないですよね。書いたって、私のためになれど他人のためにはならないのです。もどかしいよね。

    返せるものが私にはちょっと思いつかないので、当面の間はとりあえず、どうしたらいいのかを考えながら生きていこうと思います。基本的には幸せになりたいので、幸せになるために生きていきます。頑張るぞ。


    定時退勤万歳!夏休み終わるな。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?