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パンとフィルムの考察記事(前編)

1.はじめに

 このnote記事を訪れられた皆様.初めましての方は初めまして.Twitterその他もろもろの媒体でお会いしたことのある方はおはこんばんちわ.反応なしと申します.この度は,こんな駄文をわざわざ読んでいただきましてありがとうございます.そして,この狂気の沙汰にお付き合いよろしくお願いいたします.変な名前ですよね.でも,この名前で干支を1周しておりまして今更変えられないんですよ.
 ここで,初のnote記事になりますので,本題に入る前に軽く私の自己紹介でも.私は,アイマスコンテンツにはシンデレラガールズから入りました.デレはデレステリリースの頃からやっており,彼此5年半ほどお付き合いしているコンテンツになります.担当は智絵里と森久保を担当してます.気弱そうな子が好きっていうやつは表出ろ.
 ミリにつきましては,虹色lettersをイベントでやってる頃にミリシタをインストールして,約4年かけじっくりこのミリオンライブの沼にもはまりました.ライブの遍歴(ミリオンに限って)としましては,6th福岡をLVで,7th ReburnをLVと配信で視聴しました.そして去る2022年2月12日,いよいよミリオンライブの初現地である8thライブ Day1に参戦してまいりました.
 Day1の興奮冷めやらぬ今のうちに,パンとフィルムの歌詞について語りをしていきたいと思います.といいつつ軽く1週間は過ぎてます.えらいこっちゃ.なお,筆者は割と最近まで担当が決まらなかった(ASのほうを先に履修しており,伊織は前から好き)のですが,ここ1年でエミリーと亜利沙が担当に加わりました.亜利沙が担当になった最大のきっかけは≡君彩≡で,本当に今回のライブは感動が一入でした.語らないと自分の気持ちに整理がつかないのでとりあえず自己満足で語らせてください.なお,この語りは,端緒はTwitterでの考察が基になっております.時間のない方はこちらから追ってください.


2.歌詞語り

 では早速曲の歌詞を順に追っていきましょう.またここで一つお断りなのですが,別に筆者は音楽に精通しているわけでもなく,作詞経験があるわけではないので,特に込み入った話は出てきません.そういったお話をご所望の方は苦しみながらこの後の文を読んでいただければと思います.ここでは,単なる世界の端に住む1オタクの戯言と思って読み進めてくださいな.

2.1 イントロ

 と言いつつ早速歌詞ではないですね.優柔不断オタク.巻き戻しで過去を振り返るというメッセージが込められているはずです.また,このイントロからDJ主体のインストであることも触れておきましょう.今回DJをやっているのは亜利沙です.歌いだしと最後も亜利沙という点で関連性を持たせているところもこの曲の面白いところです.ちなみにですが,ReTaleはピアノ主体で,ピアノを弾いている恵美が歌いだしとシメを歌っているところからもこの曲の一体感が感じられると思います.
 また,この曲のお洒落さがとても好きです.初めて聴いた時に,YOASOBI系の曲調かなあと思いました.ちょうどYOASOBIの曲調にはまっていた頃だったので,つかみは十分でした.

2.2 金木犀だった→桜だった

 この表現で時間の経過を表現するの天才のそれか??センスの塊でしょこんなん.これだけで色の情報と匂いの情報,季節の情報が盛り込まれててこの曲の世界観が一気に色づいてくるし,素晴らしい表現でしょ.この後に続く「風の匂い」も即座に金木犀の匂いであることが感じ取られると思います.
 音の情報,視覚情報は曲の歌詞として出てきやすいものですが,なかなか嗅覚情報まで緻密に書いてあるものって少ないですよね.これもこの曲の歌詞が素晴らしいと思う理由です.更に,風という描写から,肌を撫でる秋風の感触も伝わってくると思います.(流石に味覚はまだ出てきてないですが)この1フレーズだけでこれだけ五感を意識させるというのは,この曲の歌詞が「きみ」によって彩られている世界なのだと感じさせますよね.「きみ」がいたことによって,「あたし」の見ていた世界はこんなにも鮮やかに見えていたんだよ,というメッセージが込められているように感じます.とても良いですね.
 「左手は誰か探していた」という歌詞からもう別れてしまった後ということがわかりますね.直接的に言わなくとも,こういった詩的な表現でにおわせるのとても好きです.こんな何の変哲もない表現なのに孤独さがじわじわ伝わってくるのやっぱり素晴らしですねぇ.パンとフィルムは文学(大事なことなので太文字です).
 ここから少し歌詞とは離れてしまいますが,好きポイントを語らせてください.き↑んもくせいだった,という入りのところのりえしょんの歌い方もめちゃくちゃうまいですよね.初手ファルセットって実際音程が安定しなさそうですし,めちゃくちゃ難しいと思うんですよ.何回かリテイクしたかもしれませんが,それでもめちゃくちゃうまいなって思いますしすごく好きです.
 この曲のVo力の高さもまたこの曲が好きな理由です.恵美はフローズン・ワードなどで歌唱力の高さは容易にイメージされやすいと思います.亜利沙も,夜に輝く星座のように,リフレインキスなどかっこいい歌い方もできることは知られていると思いますが,今回のReTaleやパンとフィルムのようなめちゃくちゃ伸びやかなビブラートは,たぶんあまりお披露目していなかったと思います(こちとら新米亜利沙Pなので,実は僕が知らないだけでめっちゃかっこいいソロリミがあったりするんですかね.あったらごめんなさい).この2曲は,確実に松田亜利沙のファンを増やしたと思いますし,亜利沙の今まで知られていなかった一面を露わにしたと思います.りえしょんの亜利沙とりえしょん本体の絶妙な配合も本当に素晴らしいと思います.亜利沙をちゃんと残したままこういう歌唱ができるのは,流石プロデビューしているアーティストだなあと感じます.
 可奈も,今までとは違った印象を与える歌い方だなあと感じますよね.可奈の歌唱と言えば可愛かったり朗らかな印象を与えると思います.ギブミーメタファーで多くのオタクたちが崩れ落ちたのも記憶に新しいと思いますが,矢吹可奈のPはこの曲,及び忘れてはならないReTaleの2曲でのしっとりした歌唱でもまた崩れ落ちていることでしょう.
 お三方とも,本当に素晴らしい歌唱だと思います.あら,気付いたらめちゃくちゃ語ってますね.目次見ていただければわかると思いますが,まさかの1曲の語りであるにもかかわらず2.13節までセクションが分けられております.自分でも狂っていると思う.

2.3 髪の毛絡んだ花びらを

 ここ,たぶん何気なく読み飛ばしてしまうところだと思います.でも,よくよく考えたら普通の語順なら「花びらが絡んだ髪の毛」と,髪の毛にフォーカスすると思うんですよ.花びらにフォーカスすることによって,花びらに物語性が生まれるんですよ.花びらをとってくれる「きみ」がいたことを思い出してしまう「あたし」という情景を,書いていないにも関わらず,自ずと想起してしまう.ここでも佐高氏の作詞力の高さを感じてしまいます.
 また,これに続く「からかう声 聴こえた気がした」というフレーズにも2つの時間軸が存在してますね.昔のからかわれたあのころの記憶,そしてそれを回想している現在という2軸.前節で出てきた「金木犀」「桜」といういわば季語のような存在のお陰で,Aメロの段階で月日の経過がかなり立っていることが暗示されています.やっぱりこの作詞素晴らしい.

2.4 椅子の足・パン

 さて,ここまで長かったですが,これにてようやく1番Bメロです.椅子の足・パン,文脈見ずしてこの2語に何の関係性があるんだと問われても些か難しいと思います.IQサプリのような番組でこういう語群に関連性を見つけさせるとかありましたね(世代がバレそう).ところで,「こんな些細なところにも『きみ』のことを思い出してしまうんだよ」という歌詞であるのは,「どこでもきみがいて」という歌詞がこの後に続くので皆さんご承知のことと思います.ここでは,歌詞の深掘りをしていきましょう.
 ところで,「椅子の足」「パン」とは何を指すのでしょうか.しかも,パンには湯気が立っています.焼き立てパンでしょうか.この2語の関連性として,カフェという可能性も一種あるでしょう.焼き立てパンが供される話題のカフェで語り合ったあの日.青春じゃないですか,筆者にはなかったものですけど.他方で,給食という可能性があります.給食のパンから湯気が出るかは微妙ですが,給食の間に「きみ」と語り合ったときの回想かもしれないですね.ここは,解釈がいろいろ広がるところでもあり,人によって分かれるところだと思います.
 佐高氏の絶妙な言葉選びも素晴らしいですね.氏の中にはもしかしたら何らか具体的なスト―リーが描かれていたのかもしれませんが,敢えて様々な解釈ができるような言葉をピックアップして歌詞に組み込んだのでしょうか.しかも,この曲の作詞の軸となっている「五感の豊かさ」を存分に生かした具体的な事物を持ってきたのでしょうか.だとしたら,ここでも氏の才覚が光っています.
 ところで,一旦話を戻し,先ほどの給食という解釈で考えていくと,「きみ」と「あたし」の関係は抽象的なものから一気に限定的になっていきますね.ともにパンを食べた間柄だとすればクラスメイトに恋人がいたことになります.しかも,小学生か中学生に絞られるところも重要ですね.高校進学で別々の高校に進むことになり「きみ」と別れたのでしょうか.ここまでシームレスに論を進めることができます.湯気という点が引っ掛かりますが,本考察ではこの論を推し進めていきましょう.
 ちなみに,この節でタイトルにも含まれる「パン」という単語が登場します.もちろんこの考察も行っていきたいのですが,語るととんでもなく長くなりそうなので,一通り歌詞について考察した後,また後編でここに戻ってきましょう(本当は1つに全部まとめようと思ったのですが,納期の問題と圧倒的な分量のせいで分割することにしました).

2.5 間違えない恋なんて恋じゃない

 やっとこさ1番のサビです.サビサビここがサビ! (M@STER SPARKLE 04に収録のAIKANE? より)
 「嗚呼ありふれた けれど美しい日々よ」という歌詞も,ここまでの景色の鮮やかさを鑑みれば当然だなあという気になりますね.金木犀にしろ桜にしろ椅子の足にしろパンの湯気にしろ,脳裡にこれでもかと鮮明に焼き付けられた”光景”なわけです.ただ,ここで「美しい」と評しているにもかかわらず「間違えない恋なんて恋じゃない」と,恋に対して過ちがあったことを言及します.美しい日々に,一滴淀みを垂らしてしまった.ちょうど白の絵の具に黒の絵の具を一滴落としてしまったようなものでしょう.それはもう白ではなく,くすんだ灰色です.こういった心境を,「間違え」と下しているのでしょう.
 また,この曲の特徴として,サビになるといきなり歌詞が詩的になるという特徴があります.詩的な歌詞は,抒情的である一方非常に抽象的でもあります.振り返ってみれば,Aメロ,Bメロとこれでもかと具体的な色を見せてきました.しかし,サビになると「美しい」といったつかみどころのない言葉であったり,「鮮やかすぎるフィルム」という明らかな比喩表現も出てきます.この記事では「彩度が落ちる」という表現でこのことを表現していきたいと思います.これも先述の通り「きみ」がいたことで「あたし」はこんなにも色鮮やかに,多感になっていたんだよというメッセージが込められていると受け取ってよいでしょう.この対比として,「きみ」がいなくなった「あたし」はこんなにも外界に対する解像度が落ちた,つまり彩度が落ちてしまったんだよというニュアンスを受け取ることができます.
 この彩度の差で「あたし」の感情をこうまでにまざまざと表現するか.佐高氏の表現力には天晴れというほかないです.

2.6 幼いあたしを見つめる おとなの瞳が好きだった

 佐高氏の表現力の高さは,具体的な事物の描写にとどまりません.こういった感情表現においても非常に素晴らしい表現を用いております.恐らく学生であるとされる「あたし」を”幼い”と吐き捨てるのはまだいいにしろ,自分を客観的に見て,そう見てくるおとなの瞳が好きなんて表現はそうそうみられるものではないです.ほんと何食ったらこんな表現出てくるんだ.
 ”幼い”という表現は,自分に対して使う場合は「稚拙である」という意味合いをもってして使われると思います.これは,前節の「間違えない恋なんて恋じゃない」というある種の粋がりを表現しているものと言えましょう.粋がっているという自覚を客観的には見えるわけです.
 しかし,普通は粋がっている自分なんて振り返ったら恥ずかしいものです.厨二病という言われるものも”粋がり”に断ずることができます.人によっては思い出すだけでむず痒くなる黒歴史でしょう.しかし,それを周りの大人が微笑んでいたことに,あろうことか「あたし」は安堵感すら覚えているのです.
 このことから,「間違え」に対して肯定的に歩んでいこうとする「あたし」の性格が垣間見えます.どんな理由で破局に至ったか,それは当事者同士のみが知りえることと思います.悔いもかなり残っていることでしょう.そんな時に強がって「間違えない恋なんて恋じゃない」と色鮮やかだったあのときを明らかなる「恋」だったんだと自分に認めさせつつ,「寂しさ 遥か過ぎ去って」とその終焉を徐々にではあろうと受け入れ,「空は変わらずそこにあって」とそれも一つの思い出として前向きに歩いていこうという成長していくわけです.この一連の歌詞は,今まで過去に拘泥していた「あたし」が,未来に向けて確実な一歩を歩みだしたというわけです.
 ここでも1番の前後半における歌詞の彩度の違いが意味を持ちます.過去のことは,当然ながら彩度を濃く思い出すことができますが,未来のことは当然わかりません.彩度を落として抽象的に描くしかありません.これを詩の力によって表現していくわけです.非常にギミックが仕込まれておりますね.

2.7 天気雨がアスファルト叩く匂いがして

 2番に入りました.ここまで段々真面目に語るようになり,ネタを仕込まなくなりました.どうせ面白いことが言えないオタクなので,ネタ仕込んで冷めさせるよりは真面目に語った方が性に合います.
 さて,ここでまた変態的な才能で殴ってくる歌詞のお出ましです.要所要所拾っていきましょう.恐らくそれだけで原稿用紙5枚分くらい書けそうです.夏休みの読書感想文は嫌々書いていたくせに,どうしてこういう文章はそんなに書けるんですかね.とても謎.
 「天気雨」は晴れながらにして降る雨なわけで,唐突に降ってきた雨であることが多いわけです.そんな状況なので,どこかの庇に二人身を潜め寄り合っていたのでしょうか.
 ところで,ここの表現は普通の雨ではいけなかったのでしょうか.音の数からして,と言えば元も子もないので,ここでは歌詞の意味から推測していきましょうか.普通の雨は,鈍色の空で非常に重苦しい印象を与えます.雨の情景描写は陰鬱というのは,あまりに陳腐な表現でしょう.しかし,天気雨とすることで,そうした陰鬱さから解放されます.厚い雲から陽射しが一条,また一条と射し込み,やがてそれは厚い雲を切り裂きます.光は,厚い雲によって遮られた太陽を呼び戻すかのような力を持っています.すなわち時間的・空間的な描写がこの1語には存在しています.モノクロだった雨が,射し込んだ一条の光により,徐々にカラフルな世界へと変化していく.二人からすれば,傘もなくあえなく狭い庇の下談笑しあうことでしか彩ることのできなかった”モノクロ”な世界を,外に出ていくことでまたいつものような”カラフル”に縁取られた世界でデートすることができます.でも,「あたし」からしたら,雨宿りでこんなに近くにいられるのに,止んでしまったらそうもいかなくなってしまう.止まないでくれ.こうした葛藤もひょっとしたらあったかもしれないですね.これが,「天気雨」である必要性です.たったこの3文字,5音の表現でこれだけ想像を膨らませることができます.これだけでもここの作詞の素晴らしさは伝わるかと思います.しかし,このワンフレーズの恐ろしさはこれにとどまりません.
 これをどうして雨宿りと断定できるか.それは「アスファルト」という表現にあります.陽射しが差し込んでいようと,視線の先はその目の前の歩道にあることでしょう.だってほかに見るものもないんだから.立ち止まっているからこそ,全国どこにでもあるアスファルトに目が留まるのでしょう.直接的な表現にしなくても,本人視点で一番視界の面積を大きく占めるもので表現することによって,状況をかくも鮮明に表現するというわけです.私は実はアイマス関連でちょっとしたSSを書いたことがあり,物書きには少し関心があるのですが,この考察を行うにあたって,そんな細かいところまで気を配るのか,そんな技法で表現できるのかと驚嘆させられることばかりです.本当に佐高氏の技量に恐れ入ります.一人称がブレブレの筆者は特に文才なんてないですね.好きが高じてこうして長文の考察を書いてるだけです.
 さて,このワンフレーズ,まだまだ出汁が出ます.「天気雨」「アスファルト」ときたら,普通は雨音を連想すると思います.しかし,この曲の作詞は,「叩く」という表現に雨音の表現を託しています.この1音たりとも無駄のない表現.これが詩です.そして,余った音数で「匂い」という情報まで追加します.雨という情景から,びしょびしょになっているという触覚情報が得られ,更に雨音という聴覚情報も加わるため,ここまでで御の字だと思ったのですが,ここで更に嗅覚情報も付加されます.1番Aメロの金木犀・桜と同じような五感のうち4つが含まれています.厳密には,1番Aメロはさほど聴覚情報に重きを置いていないので,こちらのがより色濃く五感を意識させてきます.「余った音数で」としれっと書きましたが,余ったところで何かもう一個仕掛けてくるって正気の沙汰でないですよ.
 ところで,雨が降ったときの「匂い」はわかるにしろ,この正体って何でしょうか.ここからは,以下の記事を参考にしてみましょう.

化学的な話など,詳細が知りたい方はこちらの記事を参考にしていただければと思います.記事を要約すると,雨の匂いには複数種類があるようです.
1.カビや排ガスのような埃と水が混じり,アスファルトの熱によってにおい成分が気体になったもの(降り初めに感じることが多い)
2.土の中のバクテリアなどによって作り出される有機化合物のカビ臭い匂い(雨上がりに感じることが多い)
ここでは,上記の議論から2.を採用しましょう.アスファルトではなく土があるということは,歩道のそばに植え込みがあると考えられます.このことからも,雨宿りが単なるオタクの持論ではなくれっきとした科学的根拠を持った事実へと補強されていきます.
 2番Aメロ,それもAメロの前半だけだというにも拘らず,これだけの情報量を持っていることがわかりました.この作詞力は,最早神がかっているといってもよいのではないでしょうか.果たして,私のような愚凡な人間がこの非凡な才能をどういった美辞麗句をもってして言い表すことができるのでしょうか.
 あ,ところで,もうこういう日常の何気ない光景から君の面影を感じてしまうってことは触れなくてよいですよね.この曲の主題なので.ここまで歌詞の9割がたの表現を拾い上げてはああだのこうだの勝手に感想を陳述してきたので,ここも一応触れるべきかとは思いましたが,さすがにそこまで触れると冗長ですかね.
 さて,これだけ語ったのでもう十分かとお思いでしょうが,実はここまで歌詞についてしか語ってないんですよ.恐ろしい,こんなたった17文字の詞からこれだけの文章量を書けてしまった自分が怖い.ここからは,更にこの部分の歌唱についても少し語ります.タイトル部分のパートは可奈の歌唱パートですが,これだけの重力を帯びた歌詞を木戸ちゃんの明るい声で歌われるのはすごく心地が良いです.可奈の歌声は誰もを笑顔にする力があると思っているのですが,この場面では天気雨という事態が好転していくことに対する明るさのアクセントとしてばっちり効いていると思います.これに続く亜利沙の「立ちのぼった きみの気配」の”気配”の部分の歌唱が優しく頬を撫でるような,かといってか弱さ,儚さを感じさせるわけでもなく,少女性として強さを帯びているところがとても好きです.

2.8 シャツの襟・靴の紐

 これも日常の何気ない(ry
 2.4節の考察を思い出せば,シャツの襟は制服のカッターシャツ,靴の紐は学校指定の運動靴の紐のことなんでしょう.……と,ここだけだったらいちいち節に分けるほどのことでもないのですが,せっかくの考察記事です.深掘りしていきましょう.
 シャツの襟は,例えば「あたし」が「きみ」のシャツの襟を直したエピソードがある,とかでしょうか.襟が乱れているのに気づかないでそのまま着ている.靴の紐は,「きみ」の靴の紐がほどけてるのに気づいて指摘した,ないしは靴紐を結んであげたエピソードでしょうか.
 ここから,「きみ」の性格が浮かび上がってきます.恐らく,少しそそっかしい人間なのではないしょうか.「あたし」が見てないと心配でいられない,そういう関係だったのでしょう.そんな「きみ」だからあたしがついていないといけない.こうした生得的な義務感を感じてしまうのでしょう.今は「あたし」がいないけどどうしているのだろうかと心配になってしまうところもあるのでしょう.そうしたところが,この曲の軸・失恋に対する未練につながってくるのでしょうか.

2.9 2番サビ

 もうそろそろ長くなってきたのでざっくりした節タイトルです.と言っても,1番のサビの2つのセクションで概ねこの曲の特徴について語りつくしており,ここは繰り返しになることも多いのでやむを得ないです.
 「くだらない」のに「愛おしい」というパラドクス――いや,オクシモロンと呼ぶべきか.何に対しての「くだらない」なのかも解釈の分かれるところでしょう.自分に対してか,相手に対してか,過去に対してか.これだけでも様々な解釈ができます.私は,ここでは一意に判断することができないと思いますので,一旦保留します.
 「思い出さないでいいよ 二人描いたフィルムたち」も1番のサビ同様過去との決別,未来に向いて歩を進めるという解釈でよいでしょう.余談ですが,亜利沙のカメラと「フィルム」という単語がつながるところがこの曲の面白いところだと思います.じゃあ恵美は?可奈は?と言われても返答に窮してしまいます.有識者のコメントお待ちしております.

失った恋だけで進んでくには ちょっと長すぎるよな
いっそ涙ごとつれていけばいいか

THE IDOLM@STER MILLION THE@TER WAVE 16に収録の「パンとフィルム」より

 この歌詞も,高度に詩的なため解釈は難しいところがあります.新たな恋を見つけたい.けれど,やはり「きみ」との日々が忘れられない.また思い出して泣いちゃってもいいから,このまま忘れられないままでもいいから,とりあえずこの現実だけは受け入れよう.「あたし」の決意がうかがい知れます.
 しかし,未練は未だ拭えず,「終わっても 終わらない恋だった どこにでもある恋だった」と感情がブレブレです.この二人がいつか撚りを戻す日は来るのでしょうか.ここまで読んでしまうと,どうにも来てほしいという感情が勝ってしまいます.こんなドロドロした感情を引っ提げておきながら,結構軽めの曲調です.曲だけ流し聴いたらきっとこんなめちゃくちゃ未練タラタラでウジウジした歌詞だとは思うまい.これだけでもこの曲の旨味だと思います.

2.10 間奏

 お前歌詞の考察はどうしたんだというところはさておき.ピアノの弾き方がとても好きです.バックでクラップが入ってるのもとても綺麗だと思います.間奏の後半でピアノからベースに主旋律がスッと移っていくところも綺麗ですね.本当にこれだけのメッセージ性を持った曲であるにもかかわらず,こんなにお洒落なメロディラインをしているのが何度聞いてもおったまげそうになります.この曲は何度聞いても美味しい曲だと思います.

2.11 きみが残ってる→きみを残してる

 ちゃんとした節タイトルですが,Cメロの歌詞についてザックリ語っていきましょう.Cメロは,未練タラタラだった「あたし」が将来に向けて歩みだそうという要素が一番色濃く出ていると思います.演奏の盛り上がりもとても感じられ,「あたし」の感情の昂ぶりを感じられます.
 「時はいずれ あたしを変えるだろう」という吹っ切れ方,嫌いじゃないです.ただ,「誰かに合わせるように 踊るようにみたいに 歩いてゆくんだろう」(2022/4/1訂正:歌詞が違っておりました)だけは,正直よくわからないですね.実は,この考察の後編にて曲のタイトルについて考察を行うつもりなのですが,ここで少し関連してきます.首を長くしてお待ちください.
 さて,この次に続く歌詞について,少し語ってまいりたいと思います.

最後の夜に交わした(きみと) 最後の言葉消えないままで
まだきみが残ってる
耳のなかに きみを残してる

THE IDOLM@STER MILLION THE@TER WAVE 16に収録の「パンとフィルム」より

ですが,またこれは秀逸な歌詞だと思います.「きみが残ってる」は残響して頭の中に残っている(未練)なのかもしれません.しかし,これをたった2文字変えて「きみを残してる」とすることで,この歌詞が恣意性を帯びてきます.ここで残ってる/残してるきみの言葉については,触れるのは野暮ったいですので敢えて触れずに,読者の皆様のご想像にお任せしたいと思います.また,「最後」を2つ畳みかけることによる印象のつけ方も鮮やかですね.
 (きみと)を敢えてバックコーラスに持って行ったことにより,自分にも責任の一端があるのではないかと思わせる歌詞作りにも本当に素晴らしいです.この考察だけ見ると,歌詞だけで完成度の高い曲と思われがちですが,この曲は実際の歌唱をもってして完成され,更に何度も歌い継がれていくことによってブラッシュアップされていく曲だと思いますね.

2.12 落ちサビ

 またしても雑なタイトル.前節にてCメロは「最後」で畳みかけられると語りましたが,落ちサビは「日々」での畳みかけです.一旦ここでその歌詞を見てみましょう.

ただなにげなく けれどあたたかな日々
傷つきながら 二人で笑っていた
何もない けれどきみがいた日々

THE IDOLM@STER MILLION THE@TER WAVE 16に収録の「パンとフィルム」より

「最後」という単語は後にも先にも出てこずCメロのみに出てくる言葉なのですが,「日々」という単語は1番サビ,2番サビにも出てくる言葉です.思い返してみると,1番Aメロ・Bメロや2番Aメロ・Bメロを受けての「日々」という言葉でした.さて,ここでの「日々」も同じようにとらえればよいのでしょうか.この問いに対しては,恐らくYesで考えればよいでしょう.
 「傷つきながら 二人で笑っていた」という点が気になります.ここだけは,今までの要素で傷つく要素がなかったように思えます.何なら,世界観がつながっているはずのReTaleの歌詞ですら何かそんな要素を感じるところはありません.(2022年3月6日追記:ReTaleの歌詞に「傷つけあっても 痛む心を照らすのは」ってありますね.こことの対応がありそうです)ここは正直筆者の不明点ですので,コメント等でご意見いただけると幸いです.追々ReTaleの考察記事も書くつもりですので,そちらでまた照らし合わせましょうか.
 最後に一言,これだけ言わせてください.亜利沙の「何もない けれどきみがいた日々」がめちゃくちゃうますぎませんか?ここのロングトーンにかかってるビブラートがまあえげつない.この曲,この文章を書いている時点で50回は聴いていると思うのですが,その50回とも「うっっっま」って思いながら聴いてます.本当にりえしょんの歌が好きすぎる(ただのオタクの早口語り).

2.13 ラスサビ

 はい,やっとこさ最後のセクションです.長いことお付き合いいただいて本当にありがとうございました.これは前編ですけど.ここの部分,実は1番サビとほとんど歌詞が一緒です.どこが違うか比べてみましょう.

  寂しさ  遥か過ぎ去って
さよなら 遥か過ぎ去って

THE IDOLM@STER MILLION THE@TER WAVE 16に収録の「パンとフィルム」より

実はこれだけです.ここは転調もしているので,余計曲の印象が違って聞こえることでしょう.私は音楽の専門家ではないので,ここまでが○○で,ここで××になったので,作曲者はここで聴く人にこういう印象を与えたいのではないか,という込み入った議論はできません.最初にお断りした通り,ここは専門的議論をする場ではなく,1オタクの感想を語る場です.ただ,一つ言えることがあるとすれば,「あたし」が失恋から前向きに立ち直っていこうとするというこの曲の落としどころに向かうための転調ではないかと思います.それが,上述の1か所のみ変わっている歌詞にも表れています.「寂しさ」は基本的に過去が恵まれていたのに対して今が物足りないときに用いられる言葉なわけです.今に主軸が置かれています.それに対して「さよなら」は今から未来へと移り始めようとする人の使う言葉です.ここにも,その要素が色濃く表れております.
 では続いて.1番サビと全く同じ言い回しをした理由は何なのでしょうか.それは,あの時の楽しかった思い出を,新鮮なまま心の片隅に封印しておきたいという気持ちの表れではないでしょうか.思い返せば,1番で出てきたときのこの歌詞の意味は,あの彩り豊かな恋をしていた時期を払拭しきれない未練タラタラな状態だったわけです.しかし,こうしてCメロから落ちサビ,ラスサビに向かうにつれて,未来へと前向きに歩みだしていこうという方向に気持ちがシフトしていくわけです.「あたし」の成長が感じ取れるわけです.思い出として取っておきたい,その表れがこの同じ言い回しなのでしょうか.つまり,受け取り方は1番サビと大サビで変わってくるということになります.
 この局面からすれば,この後に続く

さよなら 遥か過ぎ去って
日々の記憶を残して
空は変わらずそこにあって

THE IDOLM@STER MILLION THE@TER WAVE 16に収録の「パンとフィルム」より

という歌詞も違ったように聞こえてくるのではないでしょうか.

前編のまとめ

 というわけで,長い長い前編が終わりを迎えようとしています.最後のほうが多少グダってしまった感じがあり申し訳ないです.ここまでで12,400字程度語ってます.原稿用紙31枚分です.これを出版してコミケで売っても良さそうな厚さがあります.売りませんけど.
 先のミリオン8thライブから3週間弱経っての公開となって,熱も落ちてしまったところもあるかもしれません.ですが,この記事でまた熱を盛り返していただきたく願います.それでは,後編もお楽しみにしてくださいませ!

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