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飯能市立博物館 きっとす

初めまして。
飯能高校探究部顧問のMr.Sです。
新年度より探究部顧問は、Mr.MとMr.Sの2人体制となりました。
早速、note毎日更新の仲間に加えていただきまして。初記事です!

今回訪れたのは、飯能市立博物館。愛称は「きっとす」です。

念願の、きっとす。
やっと来れました。飯能高校から徒歩10分。
明日行こうと思って、3年の月日が流れていました。

とっても良かったです。きっとす。大満足でした。
どんなところが良かったのか、「きっとす」の魅力について、3点でまとめてみました。

1 飯能の歴史を学べる
2 親子で楽しめる
3 収蔵品展が面白い

では、一つずつ紹介します。
(写真は全て筆者が撮影したものです)

1 飯能の歴史を学べる

原始のくらしから現代にいたるまで、飯能がどのように発展してきたのか、展示や写真を見ながら学ぶことができます。
貴重な資料がとても見やすく展示されており、飯能の歴史について知識を持っていなくても楽しく学べます。

原始のくらし
明治末期から大正中期頃の広小路の様子を復元したもの
飯能の思い出 写真コーナー

飯能の歴史について、以下のサイトで予習してから行くと、さらに学びが深まるかと思います。

2 親子で楽しめる

特にこの点を強調したい。声を大にして言いたい。
近くの飯能中央公園で体を動かし、屋外でランチを食べ、博物館で学ぶ。
博物館周辺は、親子の散歩コースにぴったりなんです。
さらに近隣には能仁寺や天覧山もあり、お子様の年齢や、掛けられる時間に応じて、コースのアレンジも可能です。

博物館では、実物に触れられたり、クイズが用意されていたり、小さなお子様でも楽しく学べる工夫が多くされていました。

体験コーナー
矢颪テフラの観察
タッチコーナー
クモの巣パズル

丸太を見て、木の種類を当てるというクイズがありました。
見た目だけで、どの種類かを判断するのは結構難しい。しかし、実際に触れてみると、木の幹の質感がそれぞれ全然違うことがわかるんです。
へぇ〜、この木って触るとこんな感じなんだー。

体験的に学べるって素晴らしい!

他にも、ペンでタッチすると鳥の鳴き声が聞けるパネルなどがありました。

見て、聞いて、触って、楽しめるものが沢山あり、子どもも大人も存分に楽しめます!


3 収蔵品展が面白い

収蔵品展 おふだ大集合Ⅱ

おふだ大集合II、とても興味深く拝見させていただきました。

家にお札が置いてある、お守りを持ち歩いているという方は少なくないかと思います。
お札やお守りは、身の安全を守り、災厄から逃れるという願いを込めたものです。

襲いかかる悪霊や災厄を除けるには、さまざまな方法が知られるが、多くは神秘的性格を持つ呪術的な行為であった。神仏に無事安全を祈ったものを所持することによって、人々は精霊を駆使したり、悪霊を撃退できると考えた。

『知って役立つ民俗学」福田アジオ(2015),ミネルヴァ書房

ただ、不思議といえば不思議ですよね。特に科学技術の発展が著しい現代において、神秘的性格をもつ呪術的行為が人々の心の拠り所の一つになっているというのは不思議に感じます。
このような信仰の中に、日本人の精神性が見えてきそうな気がします。

『福翁自伝』に次のようなエピソードがあります。
諭吉少年は、お稲荷様の社に入っていた石を他の石にすり替え、さらにご神体の木の札を捨ててしまいました。そうとは知らず人々は、祭りのときにのぼりを立て、すり替えた石にお神酒をささげています。それを見て、諭吉少年は「馬鹿め」と面白がった、という話です。

ソレカラ一つも二つも年を取れば自から度胸も好くなったと見えて、年寄などの話にする神罰冥罰なんと云うことは大噓だと独り自から信じ切て、今度は一つ稲荷様を見て遣ろうと云う野心を起して、私の養子になって居た叔父様の家の稲荷の社の中には何が這入て居るか知らぬと明けて見たら、石が這入て居るから、その石を打擲って仕舞て代りの石を拾うて入れて置き、又隣家の下村と云う屋敷の稲荷様を明けて見れば、神体は何か木の札で、之も取て棄てゝ仕舞い平気な顔して居ると、間もなく初午になって、幟を立てたり大鼓を叩いたり御神酒を上げてワイワイして居るから、私は可笑しい。「馬鹿め、乃公の入れて置いた石に御神酒を上げて拝んでるとは面白いと、独り嬉しがって居たと云うような訳けで、幼少の時から神様が怖いだの仏様が有難いだの云うことは一寸ともない。

『福翁自伝』福沢諭吉,青空文庫

これについて、鈴木(2018)は、諭吉少年の一連の洞察に間違いがあったと論じ、次のように述べています。

お稲荷様を祭り、祈る人たちには、石のすり替えは本質的に関係ありません。彼らの祈り、心にある悩みの対極としての救済への希望の投影が、臨在感の根源的な発生源だからです。
(中略)
御神体の木の札や石は、あくまでも脇役としての舞台装置にすぎなかったのです。

「超」入門 空気の研究,鈴木博毅(2018),ダイヤモンド社

人々が持っている救済への希望(きっと救われる)を石に投影しているに過ぎない。救済への希望は石から生まれたものではなくて、人々の心から生まれたものである。
だから、石のすり替えによって、救済への希望が失われるわけではないし、信仰が揺らぐわけでもない。
そんな風に解釈しました。

私は、人々の救済への希望がお札によって引き出されるのでは、と思いました。
見えない恐怖によって希望が失われそうなとき、「きっと大丈夫」と思えるきっかけになってくれる。そんな機能をお札は持っているのではないかと思います。

そういえば、新型コロナウイルス感染症が拡大する中で、アマビエが話題になりました。
ステッカーや、キーホルダーなどのアマビエグッズを見たことがある人もいるはず。
先の見えない不安な状況下で、アマビエのステッカーをスマホに貼って、「きっと大丈夫。良い未来が待ってる」と思えた人もいたのではないかと思います。

ぜひ収蔵品展に足を運んで、日本人の信仰の形について、感じていただければと思います。

とまあ、なんやかんやであっという間に1時間ほど見学しておりました。
とても楽しく有意義な時間を過ごすことができました。

丁寧に対応してくださった学芸員さん、ありがとうございました! 

今回の収蔵品展をきっかけに新たな興味も湧き出てきたので、今後記事にしていければと思っています。

あえて言うことでもないんですが、これだけ楽しめて、きっとす入館料無料なんです。
みなさんも、ぜひ「きっとす」に足を運んでみてはいかがでしょう。
きっと素敵な時間を過ごせますよ。

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