人生が嫌になる過去とそこで得たもの(後編)


【自分にも限界はあった】
はっきりと記憶している。
中1の7月29日。
その日は午前練のある夏休みで、2日のオフ明けだった。
いつものように起きようとする。
おかしい。体が動かなかった。
熱もない、低血圧でもない。
ただ金縛りよりも強い何かで拘束されているようだった。
無理やり起きた。早くしないと遅刻したら先輩になんて言われるか…。

顔を洗って練習着に着替えて食卓に行く。
その時、母は洗濯、父は出勤準備でバタバタしていた。
朝食は目の前にある。食べないと…。
体は動かない。
ーそして。
ここが限界だった。
大体朝7:30。今から急げば間に合うのだが、ここで力尽きた。
それを表すかのように練習開始の9:30まで食卓で泣き続けた。
止めたくても止められず、狂ったように泣いていた。
そこで初めて母に先輩にイジられ過ぎていると明かした。

こういった朝はそれから3日続いた。
今思えば、よくそんな体力があるものだと思う。
しかも、部活を休めたと分かれば、ケロッとしてすぐに泣き止み、大好きな国語や理科の勉強をするのだ。
これを経験して初めて知った。自分にも、自分の心にも限界はあったのだと。
この1件から3日後には親の助言もあり、テニスを辞め、陸上に転部した。
これで何とかなったと思っていた。

【続く恐怖】
 陸部に転部したわけだが、恐怖は続く。
まず、更衣場所がテニス部と同じだった。
嫌でも1日1回は先輩に会うことになる。ここで聞こえるような声で悪口を言ってきたり、すれ違い様に嫌味を言ってくるのだ。どうして辞めたの、なんて聞かれた時にはたまったもんじゃなかった。
第2に、引退しても挨拶は絶対だった。陸部の先輩に変な情報を流されないためにも、テニス部の先輩と新たな衝突を起こさないためにも挨拶は続けていた。
(当時、退部理由は「自分の技術不足で、練習しても上手くなれずチームに迷惑になるから自主退部」だった。もちろん、先輩には真の理由は明かされていない)
第3に、集会の時に並ぶ場所が地獄だった。
1番イジってきて、1番嫌いな先輩が男子を挟んですぐ隣だったのだ。
集会中もすぐにこっちを指差して笑ってくるし、聞こえる声で目の前の先輩の友達に陰口を叩いていた。集会中は気が気でないのだ。

加えて、クラスでも陸部の同期からもいじめられていた。と言うより、ボッチにされていた。原因は、同じクラスのテニス部の女子のように思う。
中心にいたその子が私が悪いやつと広めたのだろう。真相は知らないが。

こんな感じで先輩が卒業するまで2年間苦しめられたわけだ。
そして、綺麗に人間不信にもなった。
そんな私が唯一の逃げ道として得ていたのが高校入試だ。
幸い、私の中学はそんなに賢くない。
私は勉強で生きていたため(陸部も先生や同級生とうまくいかず2年間幽霊だった)、内申点も学力も十分。
地元で1番の進学校に行くと決めていた。そうすれば、同じくらいの学力が集まるから、いじめる人なんていない。まともな人ばかりなはず。
そんな闘志で見事推薦入試で合格。

ーこの先、3年間で私は消極的からアクティブに変貌するのである。
ここで得たものといえば
・言葉を選んで話す力
・周りを冷静に見る力(神経質になっていたから)
・いじめる側、いじめられる側の両方の気持ちを理解
・あんな人にはならない、という反骨精神

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