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ラブソングをエイリアン化したXG "SOMETHING AIN'T RIGHT"における空っぽの渋谷

XGの"SOMETHING AIN'T RIGHT"について遅ればせながら、思ったことを書いてみたい。

定番ラブソングをエイリアン化:やっぱり今回も新しかったXG

はじめに曲だけ聞いたとき、歌詞がデスチャのSay My Name(1999年リリース)みたいだなと思った。「このごろ態度がおかしいけど、二人だけでいるときも、わたしの名前を呼んで。悪いけどわたし、遊ばれるようなタマじゃないからね、舐めたらいかんぜよ!」的な歌だ。この手の言い回しはなんというか、もう演歌みたいな感じだから、あぁXGも、ついにこういうBoyを連呼するような、普通のラブソングを出したんだな、と思った。

しかし、この歌、MVが完全に裏切ってくる。歌だけ聞いたら、100%おかしな態度をとる男の子が出てきそうなのに、「何かがおかしい」のはXGなんだから。宙に浮いてたり、大きくなったり、小さくなったり・・・XGは特殊能力をもった宇宙人なんだけど、隠しきれなくなっちゃった!という設定らしい。恋愛ソング王道の歌詞をフリにして、ユーモアたっぷりの言葉遊びをしたわけだ。

恋愛ソングのテンプレフレーズを、全く別の概念につなげているガールズグループのMVを、私は、はじめて見た気がする。ミュージックビデオで、男の子が出てこず、鍵を探したり、絵画の中のミューズになったり、みたいなことをやるグループはたくさんいるけど、基本的には、発想を飛ばすというよりは、恋愛や女性性を既存のモチーフに置き替えているだけだ。

わたしは、メタファーのようなズラしじゃなくて、発想をぶっとばして、違う要素に接続させることが、新しさだと思っている。だから、「イノセントな女」とか「アブない女」のような、イシスとかパンドラのような古代の女神からつづく女性像をなにかにズラしただけのMVは、キレイだな、かっこいいなと思っても、新しいなとは思わない。

そういう意味で、”SOMETHING AIN'T RIGHT”は新しいなと思った。さらに面白いのは、具体的なラブロマンスやセクシュアリティーの視覚描写から退いた結果、どんな性的嗜好をもっていても、このラブソングを、自分のものとして楽しむことができるようになっていることだ。とにかく、90年代、2000年代のこの手のラブソングが繰り返し生成してきた「ラブロマンス」のイメージの数々を思うと、時代は進んだんだな~と思った。

ちなみに、HIPHOPに造詣が深いShotGunDandyさんは、歌詞に出てくるBoy=Drake説を唱えていて、面白かった。なるほど、そうなると、ラブソングの体をとったビーフ参戦なので、それはそれでワクワクする・・・。

セット化した渋谷という街

あともう一つ、このビデオは「渋谷」という街の概念を考えさせられた。"SOMETHING AIN'T RIGHT"の映像に感じる既視感をずっと考えていて、やっと思い出したのが、2002年にリリースされた、マライアキャリーの"Boy(I Need You)"のMVだ。実際に、渋谷でゲリラ撮影された映像も差し込まれている。

このビデオの東京は、いつも怪獣が火を噴いていて、日本刀を振り回すようなイケメンすぎる任侠サムライサラリーマンがストリートファイトしてる、みたいな、ファンタジーな場所として描かれている。さらに後半から、マライヤとCam'ronの親密そうなツーショットが差し込まれることで、あちらとこちらのふたつの世界があるように感じられる。東京は「あちら側の世界」だ。

一方で、"SOMETHING AIN'T RIGHT"の渋谷のスクランブル交差点は、明るくて、ガラガラで、やたらと見通しがきく。欧米人が見たがるブレードランナー的なネオン街じゃなくて、昼間のフツーのビル街、フツーのオフィス、フツーのコンビニ。めっちゃ光を照らして、グラマラスな謎がひとつもない空間にすることで、渋谷への眼差しにたいする幻想をアンインストールしているようだ。

そんな昼間のスクランブル交差点で、歌舞いているXGを見ていたら、ふと、かつて、渋谷にはリアルライフで歌舞いていた人たちがいたんだよなぁと思った。昔のギャルを思い出したのだ。

いまの「ギャル」は、ポップで明るいイメージだけど、90年代後半のギャルはもっと混沌とした存在だったように思う。そもそも、90年代中頃から2000年代初頭まで、ギャルは黒い女の子たちのことだった。ガングロとかゴングロ、そして、それよりさらに奇抜なヤマンバ、マンバとよばれる人たちだ。かれらはほんとのかぶき者だった。

久保由香さんの『ガングロ族の最期 ギャル文化の研究』という面白い本があるのだが、元渋谷ギャルたちのインタビューを読むと、90年代は、渋谷界隈でイケてる高校生になるためには、街に出てコミュニティに入る必要があったという。ようするに、ネット普及以前、マスメディアと渋谷界隈のイケてる高校生のトレンドには乖離があって、ローカルなトレンドを学ぶには、その場にいくしかなかったけど、一見さんじゃ記号が読み取れないから、四六時中、渋谷にいて、いろんな人付き合いをしていたわけだ。そうやって、マスメディアが作れないスタイルを発展させていった。

いままで、いろんな海外ミュージシャンが渋谷の映像をMVに使ってきたけど、それは、そういったカルチャーの中心地としての渋谷を映し出していた。でも、"SOMETHING AIN'T RIGHT"のがらりとしたスクランブル交差点は、そうは描かれない。ただのセット。(ほんとにセットだそうだ)このビデオでは、渋谷という場所に深い意味がないのだ。なんというか、これまでのMVも含めて、XGにとって、場所のオリジナリティというか、その場所がもつ固有の性格、ナショナルなものとか、そういう要素をあえて消してる感じがする。それも面白い。

XGの実験的なカブきスタイルは、本当に元気が出るのだが、風の時代とよばれるグローバル、SNS時代に、カブくってどういうことなんだろう。そういうことを思いながら、これからもXGのクリエーションを楽しみにしたいと思う。



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