書物にとって税とはなにか、そして奥付とは ――だから消費税の総額表示義務化には反対なのだ

共和国 下平尾 直

本来であれば昨年12月初旬には書き上げ、最速では年末には掲載予定だったのにもかかわらず、その年末が到来しても入稿できないまま越年し、さらに旬日を経過してようやく送稿する、という編集者としても出版社としても破廉恥きわまりない所業となりました。

2年前にも落としたことがあるのに、再度ご依頼くださった版元ドットコム事務局のTさん、誠に申しわけありません。恥の多い人生を送っています。これに懲りてもう二度と著者訳者にえらそうに原稿の督促なんていたしません!


 というように、いっぱしに「出版社をやっています」という顔をしているくせに、本当は古書に囲まれたカビ臭い部屋に引きこもって史料とくんずほぐれつしたり、美麗な本であれば頬ずりしたり矯めつ眇めつしたり、そんなことだけしながら暮らしたい……と老後を夢みているような人間にとって、昨年来のコロナ禍では飲みに出歩く機会と宿酔の時間が激減したぶんだけ、順調な引きこもり生活が送れているのであった(これはもちろん経済活動さえしなくてよければ、である)。
 新刊書を世に出して禄を喰んでいるとはいえ、それも売れてひとたび初代オーナーの手を離れれば古書として流通しはじめるので、そもそも古書を生産しているといえなくもないのだが、一読者としては、古い本ほど好ましい。わが陋屋を埋め尽くしているのもいわゆる「黒っぽい本」ばっかりだ。いっぽう、そうした本のなかから、いまこそ読んでおきたい(とこちらが一方的に考える)表現者の著作を再刊することもあるので、そこは持ちつ持たれつというか、まあ要するに古かろうが新しかろうが、そこに一貫する精神なり思想なり、人間のドラマに関心があるということでは同じなのだろう。

 そういうわけなので、新古かまわずどんな本でも手にすると、最初の1ページ目からではなく、最終ページから目を通すのがならわしだ。古書の場合は売値が最終ページに記されているからだが、奥付に記された刊行年、あるいは初版なのか重版なのかで市場価値にダイレクトに変換されるからでもある。
 読書に親しみはじめた小学生のころは、本の最終ページまで読み終わると、その余韻をぶっつぶすように作者や出版社以外にその本の内容とはにわかに関係がなさそうな会社名や人名やなにやらよくわからん記号や文言が羅列してあるのを見るたびに、いったいこれはなんの意味があるのだろうか、と素朴に疑問を感じたものだった。しかしよくよく考えると、奥付というだけあって奥が深かった。

 よく知られているように、奥付は、敗戦後の1949年5月、半世紀にわたって続いてきた「出版法」の廃止によって義務化から解放され、現在にいたっている。だからいまでは奥付がなくても罰則はないし、実際に簡素化している版元もある。しかし、そもそも3世紀も前の1722年に江戸幕府による検閲や言論統制のために設けられて以来、そのページは、だからこそ、書物にとって最も国家権力とのせめぎあいが集中し、表現される場ともなったのだ。内容をのぞくその本にまつわるいっさいの情報が、ここにすべて集約されているのである。一冊の本の成り立ちや歴史を考えるうえで、こんなにおもしろいページはない。いわば出版と国家権力との結託の痕跡が残された場であり、支配が表象される場なのである。ついでにいえば、これはほとんど日本独自の「文化」でもあろう。
 そう考えると、「出版法」や検閲が存在していた時代であればともかく、(建前上は)撤廃されている現在こそ、あらためて奥付に価値と意味と責任を与えて、後世の出版史に残すことが、ますます重要になるはずだ。ウェブ上の情報より、紙に記載された情報のほうが、長く遠くまで残るにちがいない。

 とは言い条、ここでは奥付の歴史や魅力のすべてを語る紙幅も時間もないので、奥付史にとって最も激動の一時期だったといえる第二次世界大戦前後に限定して略述してみたい。奥付から垣間みえる戦争と出版、そして消費税の関係を眺めることは、それがそのまま、2021年4月から義務化されようとしている書物への消費税の総額表示に、わたし/小社が反対する理由にもなるだろう。

 ☆
 奥付と戦争について考えるうえで、まず1939年9月18日という日付から始めたい。
 その1カ月後の10月18日、政府は膠着する日中戦争と、そしてドイツ軍のポーランド侵攻に始まる第二次世界大戦開戦によるインフレを防止するために、国家総動員法に基づいて、この9月18日時点での価格を上限とする「価格等統制令」を公布する。このときかつて米騒動のさいに定められた「暴利取締ニ関スル省令」が、商工省・農林省によって「暴利行為等取締規則」へと改正され、書籍の奥付には(停)という「価格符号」が記されることになった。ちなみに本の「定価」は、「出版法」に先立つ1875年の「改正出版条例」のころから戦後まで、長く奥付に記載されていた。
*図1:里村欣三『第二の人生』の初版(右)が同年9月に九版(左)を数えたときには、奥付の定価の下に(停)マークが附記された。ちょっと違和感を感じないだろうか

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 9月に予定されていた東京オリンピックの開催権が返上された1940年、すなわち皇紀2600年は、出版業界がおおきく再編された年でもあった。
 政治的にも左翼が一掃されたこの時期に内閣情報部が介入し、文化統制をすすめるための出先機関として、日本出版文化協会(出文協)や日本出版配給株式会社が設立される(そればかりか「出版新体制」に便乗して日本編集者会なるものまで結成されるのだが、このあたりはナチス・ドイツと連動しているか)。
 実質的には物資不足を理由とした出版用紙の統制と配給というかたちでねちねちと外濠が埋められ、太平洋戦争勃発前夜の41年6月には、出文協が「出版用紙配給割当規定」「出版物配給調整規定」を出して出版行為そのものに嘴をはさみ、奥付に「配給元 東京市神田区淡路町2ノ9 日本出版配給株式会社」と記載するよう会員社に通達を出す。
*図2:1941年8月に刊行された浅野晃『青春の再建』にも「配給元」は記載されているが、定価の価格符号が(停)ではなく、「暴利行為取締令」で「新製品」をあらわす(新)になっている。こういう不統一や誤差は少なくなかったのだろう。

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 いわゆる第二次世界大戦勃発後の1942年3月、すべての出版企画に発行承認制を採用して、4月以降に発行される書籍の奥付に、出文協による承認番号が記載されることになる。こうなると奥付がますますうざったくなってくる。
*図3:日本放送協会編『愛国詩集』では、検印紙の上側に承認番号が記載されている。他方、(停)マークは記載漏れか。

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 戦局が悪化しはじめた1943年1月1日(わたしの誕生日のわずか25年前!)、出文協は書籍の外函の廃止を決めている。これは5月に強制的に廃止となるが(とはいえこれも例外はあったもよう)、21世紀の現在では函付きの新刊が珍となり、製函業者が激減していることを思えば隔世の感があるだろう。
 3月には国家総動員法を根拠とする「出版事業令」の公布により、日本出版会が設立される。これは出文協会員社を参加資格社としつつも、「文化」の文字を抜き去ることで、完全に内閣の御用団体となった。
 そして、この3月末日付で「特別行為税」という消費税が公布となり、翌4月1日より施行される。この「特別行為税」は戦争完遂を目的とした間接税のひとつだが、「写真の撮影、現像、焼付及び複写」「調髪及整容」「被服類、蒲団、敷物等の仕立」や「書画の表装」などとともに、「印刷、製本」も課税対象となったのである。これだけだとなぜ出版業や書籍に課税されるのかあいまいだが、つづく同法第一条七項に、
「出版業者其ノ他印刷又ハ製本シタル物品ノ製造又ハ販売ヲ為ス業ヲ営ム者ガ自ラ印刷又ハ製本ヲ為ス場合ニ於テハ之ヲ当該行為ヲ為ス業ヲ営ム者ト看做ス」
とあって、出版物もまた不要不急の「特別行為」であり、「奢侈品」に仲間入りした。税率は「印刷製本」で20%、その他はなんと30%である。
*図4:1943年4月北村小松『基地』初版(右)では、発行日が1943年4月25日付になっているものの、まだ特別行為税が表記されていない。1943年8月20日付で四版(左)になったさいには、特別行為税相当額4銭が外税表示され、「定価」(本体)と税込総額と三種が併記されている。もうこうなってくると、国家の横やりのみならずレイアウト的にもめんどくさい。なお、累計部数4万部となっているが、実際には他の刊本への転用や闇市場への横流し分なども含まれていると思われる。

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 この年の2月には、日本軍がガダルカナル島から撤退し、4月には上製本が承認制となる。5月にはアリューシャン列島のアッツ島守備隊が「玉砕」し、首都としての行政機能強化のために東京市と東京府が廃止され、東京都が誕生したのが、7月のことだ。8月になると日本出版会は各版元から企画届や原稿・ゲラを事前に提出させ、出版審査制を強化する。各種の年表をみていると、翌44年にかけても日本出版会による細々とした出版統制が続き、当時の版元担当者の苦労や消耗が偲ばれてならない。
 1944年10月、日の丸を背負った神風特別攻撃隊が出撃を開始し、米軍がフィリッピンのレイテ島に上陸するこのとき、日本出版会は全書籍に価格査定を実施することになる。それにともなって、定価の価格符号も(停)から(許)へと変更になり、査定番号が記載される。この敗戦濃厚になった段階で、特別行為税の表記も内税の総額表記へと変更になるのである。
*図5:田中英光『わが西遊記(上巻)』の初版(右)から再版(左)になった段階で、外税表示が内税となり、(許)マークへと変更になっている。もっとも、停止価格(停)では戦局が悪化して物価や資材が高騰しても定価を変更できず、重版が困難となってしまうという問題があった。(許)となり総額表記された『わが西遊記』再版でも、初版(2円80銭+税25銭=3円5銭)にくらべると、15銭値上げの3円20銭になっている。たしかにこの表記にすれば、消費者の重税感は軽減されるように感じられてしまう。

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 1945年6月の空襲によって日本出版会は事実上機能停止となり、企画審査も廃止になっていたというが、たとえば「1945年8月15日発行」の奥付をもつ田邊平学『不燃都市』(河出書房)は、「1945年8月15日印刷」の奥付をもつ火野葦平『陸軍』(朝日新聞社)とならんで知られているが、手書きで印刷された本書には「禮級Ⅲ類」と記されている。これは「書籍等価格査定規則」によるもので、「禮」は学術書・高級専門書、「Ⅲ」は活字ないし文字を主としたものを指す。これもまた現在のISBNコードの先駈けだ(*図6)。

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 いずれにせよ、敗戦をはさんで9月25日にGHQの指示によって日本国内の言論統制法令は効力を失い(廃止になるのは1949年5月)、同月29日には日本出版会も解散する(翌月には日本出版協会が設立される)ので、以上に縷々述べてきたこれらの表記もすべて無効となる。
 また、1946年3月には「価格等統制令」も廃止になるので、(停)表記も不要となるのだが、裏が透けすぎるほどに薄い本文用紙で製作されているため、奥付の撮影もスキャンも難しい安積得也『底を叩く時』(機械製作資料社、1945年12月)は、(停)のほかに(税込)と記載があるので、この詩集はじっさいには奥付より早い時期に印刷されていたのかもしれない(*図7)。

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 では、この特別行為税がいつ廃止されたのか、管見のかぎりでは紙媒体で確認することができなかった。新聞等の逐次刊行物までは追えていないのだが、国税庁のサイトによれば、1946年8月に廃止されたという。敗戦直後の混乱期もきっちり納税されていたのだろうか。

 ☆
 本当はもっと詳述するべきところだが、戦時下の本の奥付と定価と消費税との関係には、おおむね以上のような経緯があった。ほかにも送料として「内地/其他(外地)」が記されているなど、本体以上に(?)奥付は能弁である。

 ここでは奥付に直接的な刻印を残した「特別行為税」を中心に記してきたが、明治期に「定価」が奥付に表記されるようになって以来、これに税額が併記されるのは、特別行為税が導入された1943~44年と、1989年以降の現在のみである。そして現在またもや総額表示へと向かっているわけだ。
 そもそも1989年に導入された消費税の前史である「物品税」が、盧溝橋事件の勃発によって新設された「北支事変特別税」に始まることはご存知だろう。これももともとは宝石や貴金属、写真機や映写機といった(やはり)「奢侈品」に課せられていたのが、戦後、生活必需品との境界があいまいになり、消費税にとってかわられる。
 そしてまた、特別行為税が導入された1943年8月には、日本経済聯盟会(現在の日本経済団体連合会)会員各社のあいだで「報国税」を創設し、「広く全国民をして報国の一端として戦費の一部を分担せしむる」ことが議論されているが(これは実現しなかったようだが)、この一行に、国家と税にまつわるイデオロギーが過不足なく集約されているだろう。
 消費税が導入された1989年は、昭和から平成への改元を経て、PKOによる「戦闘行為」がなされ、アジア諸国をはじめとする経済侵略、民生用を謳った兵器の海外進出は、現在もますます活発に続いている。このかんの消費増税が(日本経済聯盟会の後継団体に所属するような)大企業の法人減税に転嫁されているとの指摘もある。
 こうしてみてくると、消費税の総額表示が、「消費者や書店の現場の混乱を防止するために」という理屈は、こうした出版統制の歴史的現実を利便性に転嫁するためだけのお題目にしか思えないのだ。この公共性を建前にした利便性のまやかしは、マイナンバーカードにいたるまで、すでに何度もなんども繰り返されてきた。とりわけ出版業の場合は、このかんの軽減税率導入の議論のさいに、「有害図書」の自主規制を課すことで、実質的な検閲を認めさせようとする政府与党の意向が明らかになっているが、これも公共性を謳った露骨な建前論だろう。

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 ――というのが、奥付を媒介にした本と消費税についての、小社の現状認識である。小社といっても、本当に小さな、社長兼パシリしかいない零細中の零細出版社なので、今回にかぎらず、消費税率がときの政権によって変更になり、そのたびに在庫品のカバーやスリップその他の表示を変更することになれば、あっというまに廃業になるのはまちがいない。なので、2014年の創業時から数点は、本や外装に「定価+悪税」と表記して、消費税そのものに反対してきたし、その考えは現在でも変わっていない。
 だからといって本稿も、なにも一世紀近くも前の証文を突きつけて、安易に過去の一時期との相似を語りたいわけでもない(片道だけの燃料で特攻をかけている時代という意味では同じかもしれないが)。こうした歴史がありましたよ。で、また同じことを先方が押しつけてきている現実があるなかで、あんたはどうするんですか、と自分に問いかけているわけである。

 敗戦直後、おなじく特別行為税の対象だった理容業界では、敗戦後に団体としてこの間接税の廃止を政府に要求したという(その記述をどこかで読んだことがありながら、今回どこをさがしても見当たらなかったので、ご存知の方がいらっしゃればご教示ください)。
 では、出版業界はどうだったのだろう? 一部の左翼をのぞいて、戦時中の日本出版会会員社のなかから、自発的に「日本出版会」や「特別行為税」の廃止を主張する契機や主張はなかったのではないか。あるいは戦争責任を言及されても、ほとんど他人事にしてしまったのではないか(今回は割愛するが、某大手版元が自分たちを免罪するために出した当時のパンフレットなら手許にある)。
 2015年に消費税率を10%へと引きあげることが問題となったさいに、大手出版団体や「有識者」で構成される「出版文化に軽減税率適用を求める有識者会議」は、「食が『身体の糧』であるように出版物は『心の糧』であり、生きていく上で欠かせないもの」との「提言」を採択している。
 出版や書籍が、戦時下に「奢侈品」として消費税を課され、さしたる抵抗もなく戦争遂行に協力してきた歴史を一行も顧みることなく、それでも出版物を「心の糧」だというのであれば、軽減税率を求めるのではなく、そもそも「消費税の廃止」を提言してよいはずではないか。そしてこの「提言」の考え方は、消費税の総額表示義務化にあたって、つい先日、2020年12月21日付で日本書籍出版協会(書協)が出した「ガイドライン」にも踏襲されている。いわく「今後も、書籍・雑誌への軽減税率適用を要望していきます」

 長い歴史と由緒のある(大手取次とも高正味で取り引きできるような)版元であればあるだけ、自身の過去と向き合い続ける必要があるだろうし、現実との折り合いもつけにくいのだろうが、創業わずか7年足らずのぽっと出の出版社には、その苦労や困難の内実をにわかに忖度しようがない。
 しかし、今回の消費税増税とそれにともなう総額表示義務化をめぐって、自分たちが辛酸を舐めたはずのこうした歴史について誰も語ろうとしないのはどうしたことか。いたしかたなく小社のような踏めば潰れるマイナー出版社が、版元ドットコム事務局のTさんに無言の圧力をかけられながら、古証文をたどり、憎まれ口を叩いているわけである。新参出版社に特権があるとすれば憎まれ口だけなので、ここは平に生意気をおゆるし願いたい。
(わたしがSNS等でこういうことを書くと、いつも「おまえはそう言うけど、おれたちは本を作って売って社員を食わせてるんだ」とか「ひとり出版社は気楽でいいね」というような脱線した返答が飛んでくるんであるが、こんな貧しい零細出版者にいちいちレスポンスするのではなく、言いたいことがあるならご自分でご自身の見解を自由にオープンになさるとよいだろう)

 ロハで自由に書いてよさげな依頼原稿ほど長く書いてしまう悪癖があるのでそろそろ終わりにしたいが、あと一点だけ。
 今回の消費税の総額表示義務化について友人たちと議論するなかで、このまま外税表示だと4月1日以降、店頭の本が違法な存在になってしまう、という指摘があった。なるほどそうかもしれない。
 しかし、本がもし「奢侈品」でなく、本当にわれわれの生に、日常に、社会に必需品であるとすれば、たとえ不法であっても非合法であっても、出版すればいいのである。それが出版社だ。もし本や出版が非合法な状態に貶められることになるのであれば、そのとき本当に「反社会的」なのは、それを強制する国家や政府(あるいはそれに同調し便乗する「社会一般」)の側である。そのことは、ここまで述べてきた歴史が語っているとおりではないか。 
 もともと本は自由である。なにも印刷されていなくても、どんな判型であっても、定価がいくらであっても、読者さえいれば出せばいい。そのときはじめて奥付は不要になる。それでも本当に必要な本は、確実に読者の手から手へとわたってゆくのではないだろうか。
(そして、なぜ戦時下の日本では、ヴィシー政権下のフランスのように「深夜叢書」が生まれなかったのだろうか、というのが本稿の裏モティーフである)

 そういうわけで、小社の2021年最初の新刊のスリップには、以下の文言を記載した。以後の新刊も、少なくとも発売禁止や流通禁止になるまで、あるいは罰金が科せられるまではこのままでいく予定だ。書店や流通のみなさん、読者のみなさんには、なにとぞご理解を――それが無理なら、せめて見て見ぬふりをお願いしたい。

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 その小社の新刊は、「昭和」という元号のはじまりから「特別行為税」にいたる時期に最も重要な仕事をなした小説家である武田麟太郎が、震災復興を経て1930年代に「大東京」へと成り上がってゆく都市の底辺や下層に生きる人びとを描いた作品集『蔓延する東京――都市底辺作品集』である。ご発注くださった書店には、すでに1月13日(水)よりトランスビューから発送ずみ。本の詳細については、版元ドットコムのサイトでも紹介されているのでご覧いただければ幸いである。

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[附記]
 日本ではじめて消費税3パーセントが導入された直後の1989年4月3日、浅草の仲見世でお菓子の詰め合わせを買った老人が、代金400円の消費税12円を支払わなかったことを難じたその店の女性を刺殺する――という場面から事件がはじまる島田荘司の傑作『奇想、天を動かす――札沼線五つの怪』が、「書下ろし長篇推理」と銘打って光文社カッパノベルスの1冊として刊行されたのは、その年の9月末日のことだった(現在は光文社文庫など)。
 この作品をいま「傑作」と書いたのは、消費税導入直後の社会の状況が巧みに描かれているから、ではない。この事件の捜査を担う警視庁捜査一課の刑事である吉敷竹史が、ホームレスのような生き方をしているその小柄な老人による「犯罪」と丁寧に向き合ってゆくことによって、わずか12円の消費税から、いわゆる朝鮮人強制連行をはじめとする近代日本が生んだ巨悪との対決を余儀なくされてゆくという歴史の掘り下げ方と、そのモティーフのためである。
 それから30年以上が経過したこの日本では、朝鮮人強制連行の事実すらなかったことにされつつあり、そうした時間の経過と併走するように、400円の商品の消費税額も12円から40円へと3倍以上に高騰してしまった。なぜこうなってしまったのか? という問いを手放さないためにも、今回の消費税の問題については、もう少し考えつづけていきたいものだ。

 とはいえ、冒頭にも記したとおり、わたしは経済学や経済史やその他の数字にまったく冥いばかりか、書誌学者や古書店主でもなく、文学少年が嵩じて出版業に従事している気の弱いチンピラにすぎない。ここまで述べてきたことも、たまたま手許にあったり入手できたりした古書や資料に頼っただけなので、もっと詳細な先行研究なども多いことだろう。理解の足らない分は、どうぞ遠慮なくご批判ご叱正をお寄せください。参考文献は以下のとおり。

『近代日本総合年表 第二版』岩波書店、1984年5月(関心をもつきっかけになったのは、四半世紀ほど前に別の原稿のためにこの年表の1943年の項を通読したことでした)。
『岩波書店七十年』岩波書店、1987年3月(本稿を書くにあたって大いに参考にさせていただきましたが、『八十年』は見ておりません)。
高梨章「戦時の本の奥付を見る」、『日本古書通信』2007年4月号(貴重な先行研究のひとつですが、つい一昨日入手できたばかり。それでも非常に参考になりました。もっと早く読めていれば!)。
『朝日年鑑』(昭和十七年版、昭和十八年版、昭和十九年版、昭和二十年版、昭和二十一年版)朝日新聞社、1941年10月~1946年6月。
『日本出版年鑑』(昭和十八年版)協同出版社、1943年12月。
『日本出版年鑑』(昭和19・20・21年版)日本出版協同株式会社、1947年7月。
『出版文化』(第33号)日本出版文化協会、1942年10月。
情報局編輯『週報』(338号)内閣印刷局、1943年4月7日号。
日本経済聯盟会調査部編『戦時税制の諸問題』産業図書株式会社、1944年9月。
寿岳文章「奥付雑考」、『アステ』第3号(特集:奥付)、リョービ印刷機販売株式会社、1985年11月。
布川角左衛門+加藤美方「奥付談義」、『アステ』第3号(特集:奥付)、リョービ印刷機販売株式会社、1985年11月。
下平尾直「編集」、『出版ニュース』2012年1月上・中旬号。

(2021年1月10日)

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