見出し画像

小さな出版社のつづけ方 ~能美舎編~

能美舎 堀江

 はじめまして。琵琶湖の最北端にある賤ヶ岳という山の麓で飲食店をしながら、「能美舎」という屋号でひとり出版社をしている堀江昌史(ほりえ・まさみ)と申します。能美舎は2016年に設立し、2018年にISBNを取得。これまでに、ISBNをつけた書籍は9冊刊行しました。

小さな出版社のつくり方』を読んで、本当に作ってしまった出版社

 私の前職は全国紙の記者でした。婦人病を患って退職後、友人の永田純子さんの旅行闘病記『「がん」と旅する飛び出しぼうや』(2016、ISBN無し)をまとめたのをきっかけに、「能美舎」という屋号を名乗り、細々と同人誌活動を始めました。 その頃はまだ「文章を扱う仕事」という点で、記者と冊子作りは「似ているなあ」と思っていました。(本当に「点」しか見えていなかったのだと、すぐに思い知るのですが。)
 そして、2017年の春頃、京都のホホホ座さんで、永江朗さんの『小さな出版社のつくり方』(2016、猿江商會)に出会い、「トランスビュー方式」の存在を知りました。読後すぐ、石橋毅史さんの『まっ直ぐに本を売る: ラディカルな出版「直取引」の方法』(2016、苦楽堂)を取り寄せ、すっかりその気に。
 安直な私はトランスビューの工藤さんに出会うため、2018年の「版元ドットコム」の総会を狙って上京。会場で工藤さんを見つけて厚かましくご挨拶差し上げ、その後に再会の約束をこじつけて「トランスビュー方式」の仲間入りを果たしました。
 勢いって、こわいですね。

しんどくてしんどい「出版社」

 断言すると、私は非常に浅はかでした。出版社を運営するということが、こんなに大変で、苦しいとは思いませんでした。前述の2冊を読んでわかった気になっていましたが、1ミリたりともわかっていませんでした。

「本なんて、お金を積めば誰でも作れる。売るのがどれだけ大変かわかってる?」

 ISBNを取得し、初めて営業に行った先で書店主に掛けられた言葉は忘れられません。確かに私は作ることばかりで、印刷したらそれでおしまいと思ってはいなかったか。そのお店から、注文はいただけませんでした。情けなくて、帰り道はトボトボ歩きました。
 出版社の業務とは、企画、制作(制作と一言でいっても、幾度の打ち合わせ、アポどり、素材集め、校正、デザイン、印刷…と仕事は山のよう)だけでなく、流通を管理し、広報に努め、著者に協力を仰いで書店さんの販促を助け、重版を検討しつつ、そろばんを弾いて資金繰りをし、支払いを済ませて、並行して次作の準備を進める…。
 それを全部ひとりでするのが「ひとり出版社」。
制作までが序の口で、その後の工程の方が長いだなんて!!
 記者時代は、入稿し校正すれば、私の仕事はほぼ終わりだったんです。

 そもそも、私は出版だけで暮らしていけるほどの稼ぎはありません。出版業の資金は前職で稼いだ貯金を運用しています。コケたら終いの綱渡です。
 木工作家の夫と2人で営む小さな飲食店の売上が生活の糧ですが、その店も豪雪地帯のため、冬季は休業します。その分はライター業でまかないます。4歳になる息子のお世話も大事な仕事の一つです。
 余裕のない暮らしの中で、生活の柱とはいかない出版業に、どれだけ経済的に、身体的に、時間的に割けるのか。家族に負担を強いれるか。
 例えば、編集作業の終盤戦や、こんなふうにこのコラムを書いている時、私は夫に家事を押し付けて、ネットカフェにこもります。子どもが寝静まった頃に帰宅して、朝焼けをみることも珍しくありません。
 新刊発売前、県内各地の書店に直接本を納品に回るときも、3日間ほどは家事を気にせず、朝から晩まで出ずっぱりです。フェア棚を作らせてもらったり、既刊本を引き上げたりしながら、店員さんの視線や言葉に一喜一憂してヘロヘロになります。
 帰宅する頃には、父子は夢の中。発売後の土日もしばらくはイベントが続きます。(喫茶店も営業している期間に新刊発売を迎えると、事態はさらに壮絶です。)
 滞るメールのお返事。苦手な事務作業…。
 もちろん、売れないと製作費の回収もできません。
 稼ぎになるのか見通しのつかない仕事のために、喫茶店やライターの業務、田畑の耕作、どれも中途半端になってしまうこと。何より家族に皺寄せがいくこと。
 このまま続けてよいのだろうか。
 いつも気持ちは揺れています。

 現に、創業以来、本を売って利益を上げることが、どれほど難しいのかを思い知る日々でした。それならと、別の手段であらかじめ制作資金を集めたり、定価設定を上げて作ればたくさん売れなくても良いではないかと目論んだ時期もありました。小ロットで印刷するため、重版出来がかかると売上は印刷費に消え、嬉しいはずなのに「重版したくない病」に悩まされることもありました。
 そんな時、「君は何のために出版してんの。出版は社会運動や。一冊でも多くの人に届ける努力をせなあかんで」と業界の大先輩から諭される機会に恵まれました。 
 「出版は社会運動…!!」
 目から鱗でした。読者としてはその役割を本に期待していたのに、本をつくる側となったときに意識していなかった自分の未熟さに気がつきました。
 以来、この言葉は私の出版活動の大きな指針になりました。今も判断に迷った時、方向がわからなくなった時、心の中で何度もこの言葉を繰り返し、道筋をつけるようにしています。

1年に2〜3冊、必死に作ってわかった「本をつくるのに一番大切なこと」
 そんなにしんどい出版業、それでも1年に2〜3冊のペースで新刊を刊行してきました。続けてきて、わかったことがあります。
 まず、なぜ本をつくるのか。
 一番は「楽しいから」です。
 やっぱり、本作りは楽しい。それは本当です。タイトルごとに著者やデザイナーなど関わる人が代わり、互いの価値観を尊重しながらスクラムを組んで面白いものを目指す。そうしてできあがった本が全国の書店に並ぶ、それを手に取って自宅に持ち帰ってくれる人がいる。何より嬉しいし楽しい。
 もう一つは「社会運動だから」です。
 私は「誰もが尊重され、生きやすい、豊かな社会を次世代につなげたい」と心から思っています。そう思い、新聞記者を志しました。退職し、その気持ちを持て余した私にとって、本づくりは新たに手にした「社会運動のための手段」の一つです。そのことを誰より理解し、応援してくれているのが夫です。だから、家族に応援してもらうに値する本になるかどうかは、私の本づくりには大切な基準です。

 企画が頓挫する時には、この二つのどちらかに適っていないことが多いと感じています。

 そして何より、本をつくる、だけでなく、届ける、までを完遂するために必要なこと、冒頭のテーマ「兼業ひとり出版社の私にとって、本をつくるのに一番大切なこと」の、今のところの答えは「著者を愛せるかどうか」です。

この人の思いを、活動を、ひとりでも多くの人に知ってもらいたい。
この人の存在が、誰かの生きやすさや豊かさにつながるはずだ。
この人のためなら、寝食削って苦手な業務も踏ん張れる。
そんな思いを著者に抱けるか。

思いは、一瞬で抱くこともあれば、徐々に醸成することもあります。
そう思えた人の本を、これまで作ってきました。
信頼関係が不安になった途端に、プロジェクトが進まなくなったり、営業ができなくなってしまうことも経験しました。上司のいない、ノルマのない、ひとり出版社の無責任さがそれを許すのでしょうが。。

あー、言ってしまった。こんなことを打ち明けたら、きっと著者陣に「重たい」と言われてしまいます。愛の告白めいてしまいました。
ここまで読んで下さったみなさんはお気づきの通り、私って「重たくて、面倒臭いタイプ」なんです。だから、著者の皆さんには、思いのボリュームは気づかれないように過ごしているつもりです。(バレバレ?)
もっとなんでも軽やかにできればよいのに、と思います。
もしもこれから版元になろうとする人は、私の言葉は参考にしなくて構いません。
できれば、軽やかに本を作ってください。

以上、個人的な告白を晒したような「版元日誌」になってしまいました。
私の愛する著者たちは、こちらのみなさんです↓↓ぜひ、一度覗いてみてください。
https://www.hanmoto.com/bd/noubisya
そして、私が営む喫茶店「丘峰喫茶店」は土日月曜の営業です。
お近くに起こしの際には、ぜひ遊びにいらしてくださいね。

能美舎の本の一覧


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?