求む! ロングセラー著書を企画した編集者のための賞
北烏山編集室 津田 正
3冊の本の話から始めたい。
昨年亡くなったアメリカ文学者の亀井俊介先生の代表作に『サーカスが来た!』という本がある。ハリウッド、西部劇、ミンストレル・ショー、ターザン、講演興行、そしてサーカスなど、アメリカの大衆文化の魅力とその歴史を論じた本だ。日本のアメリカ文化論に画期をもたらした名著である。1976年、東京大学出版会から刊行。やがて、それが文春文庫に入ったが、のちに絶版。その後、岩波書店の同時代ライブラリーに収められ、それが品切れになると今度は平凡社ライブラリーに収められて今でも手軽に読むことができる。この本は3度の再生を果たしたことになる。
私が愛してやまない作家に山田稔さんがいる。山田先生には『スカトロジア』という名著というか奇書がある。1966年に未来社から刊行され、それが絶版となるも、その後、講談社文庫に入る。が、それもやがて絶版。しかし、この本を偏愛する編集者がいたのだろう、その後、福武文庫に入ったが、これも絶版。が、しかし、神様には捨てる神以外にも拾う神がいるのである。現在は、山田稔さんの著作をたくさん出している編集工房ノアから刊行されている。
いまをときめくブレイディみかこさん。人気作家だからどんどん本が出ていて、応接のいとまがないほどだが、私が読んだかぎりでいえば、誰がなんと言おうと、一番いいのは、ブレイディさんがまだ全く無名の時代の2005年に刊行した『花の命はノー・フューチャー』だ。ニヒルな書きっぷりが恰好よくて、そのくせ読んでいると涙があふれてくるような本だった。刊行したのは碧天舎。いまはこの会社は倒産している。この本は2017年に増補改訂されてちくま文庫に入り、それがきっかけとなってブレイディみかこブームが起こった。
亀井俊介、山田稔、ブレイディみかこ。いずれもその筋ではよく知られた書き手である。しかし、亀井先生が『サーカスが来た!』を出したときは、亀井先生には『近代文学におけるホイットマンの運命』という学術書しか著書はなかったはず。それがテーマ的にも文体的にも自由な『サーカスが来た!』を専門書出版が中心の東京大学出版会が出した。一方、山田稔先生にとっても『スカトロジア』は最初の著作。京大出身のお墨付きはあったかもしれないが、古今東西のスカトロジー文学についてウン蓄を傾ける一方で、みずからの痔の手術をユーモラスに語ったこの奇天烈というほかない本を社会科学方面の出版物で知られる未来社が出したのである。ブレイディさんにいたっては当時は全くの無名。碧天舎は自費出版の会社だったから、『ノー・フューチャー』も持ち込み原稿であったのだろうか。つまり3人とも上記の本を出したときにはまだみんな若くて、その実力も売れ行きも全く読めない時だったのだ。これを出版社の側から見るならば、この3人の書き手に賭けてみようと思った編集者がいたということになる。
もちろん、上の3冊の場合、それらの本を再発見した人たちがいたことも重要なポイントではある。しかし、最初の編集者の決断(あるいは蛮行)をこそ褒め称えるべきだと私は思うのである。その編集者たちも、自分が作った本が、別の版元で復刊され、それが長く読まれていることをひそかに誇らしいと思っているのではあるまいか。ほかの版元で出たということは、最初の担当者が作ったときにはその版元ではあまり売れなかった、あるいは売れてもロングセラーにはならなかったことを示している。しかし、ほかの版元に拾われることで、その本が長く読まれ続けているのだとすれば、その本を最初に出した編集者はみずからを大いに誇っていいし、なんなら、そういう著書を最初に刊行したことをもって表彰してあげてもいいのではないか。想像してみたら楽しいではないか。自分が刊行した本が、ずっと生き残って読まれ続け、初版の出版から20年だか30年だか経った頃、初版を刊行した勇気と先見の明ゆえに、どこからか連絡がきて、賞状と賞金が出るのだ。
古本屋さんへ行くと、そこには新刊本屋さんとは全く別種の序列が支配していることに気づく。例えば、古本屋さんでは澁澤龍彦と種村季弘はいまも大事にされている作家で、単行本時代の美麗な本が並んでいたりする。純文学系でも、小島信夫、庄野潤三、野坂昭如、後藤明生、野口冨士男、吉田健一といった人たちの本がずらりと並んでいたりする。こういった作家たちの本は文庫という形で生き残りもし、また古本屋でも、何度か目の(人生という言葉があるのだとすれば)「本生」を生きることになるのである。
日本の出版社の売上げは新刊依存体制である。出版してすぐ売れてくれればお金はすぐに版元に入ってくるし、そういう本を刊行した編集者は社内での地位も上がるであろう。その点、のちに他社から復刊してもらえるほどの内容でありながら、あまり売り上げが伸びなかった本の編集者は肩身が狭い。しかし、だからこそ逆に、私はそういう人たちの努力と勇気に報いるような賞があったらいいと思うのである。忘れた頃にありがたい賞をもらえるなんて、どこか遠いところにいる叔父さんの遺産が突然転がり込んでくるようなイギリス・ヴィクトリア朝小説のような話ではないか。
本の寿命とか影響力とかいうものは復刊とか古本屋で送る第二の「本生」とは別のかたちをとることもある。
昨年12月に北烏山編集室としてはじめての単行本を刊行した。デニス・ボックというドイツ系カナダ作家の『オリンピア』という小説である。訳者の越前敏弥さんの「執念の持ち込み本」である。訳書出版に賭ける越前さんの気持ちにお応えしたいということで刊行したが、この本を刊行したのには、もう一つの縁があった。
著者のデニス・ボックさんには、すでに河出書房新社から『灰の庭』という訳書が刊行されている(ご担当は、いまはフリー編集者として活躍されている田中優子さんである)。2003年の出版だからもう20年も前のことだ。広島の原爆を主題にしている作品ということもあって、1万部近くを刷ったものの(!)、残念ながらあまり売れなかったらしい。しかし、その初版1万部だかの1冊を弊社の編集者の一人が読んでいて、本が刊行されたあと、訳者である小川高義さんのサイン会まで行っているのである。そして、その本は自宅の書棚の、いつも座っているソファーから見える位置にずっと並んでいたのだ。だから、越前さんからデニス・ボックの作品を紹介されたとき、あのデニス・ボックさんの本なのか、とその偶然に驚いた。そして、会社の第一冊目として刊行する本には、その本を最初に出すための必然性や縁が必要だったので、私たちは、そういう偶然を必然的なことだと思うことにしたのだった。
さて、私たちは目下、次の本の刊行に向けて準備中である。1冊はノーベル賞作家のカズオ・イシグロについての文学評論、もう1冊は日系カナダ人作家のレスリー・シモタカハラの訳書である。意図したわけではないのに、移民作家が3人続くことになる。そこまではすでに決定しているが、その次はどうしよう。いま目の前に、英文学系の訳書が10冊積み上がっている。さる版元が20年をかけて刊行した全10巻の翻訳物である。よくぞ刊行したものだ。だが、残念なことにその会社は廃業してしまった。その貴重な財産をさてどう継承したものか、と思案中である。