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5月の小さな喜び

弦書房 小野静男

5月1日(水) 大分市の別府湾に面した大在(おおざい)と坂ノ市(さかのいち)を訪ねる。このあたり一帯は広大な平野となっていて、米作が盛んだった場所だ。戦時中、この平野に、「東京第2陸軍造兵廠坂ノ市製造所」(通称、坂ノ市2造)があった。

その跡地に遺された建造物や取水口・用水路を調査中のグループがあり、各所を案内していただく。当時140万坪という土地を専有し、弾薬を製造していたことがわかっている。地図も再現しているので、いずれ、熊本県の「荒尾2造」、福岡県の小倉造兵廠等と比較しながら、まとめる方向で動いている。
5月14日(火) 熊本市の渡辺京二さん(2022年12月25日逝去)宅を訪ねる。ご仏前に線香をあげて渡辺さんの書斎でしばらくたたずむ。静かな時間が流れている。長女の梨佐さんとしばし話しこむ。このあと、水俣市へ。昨年11月から石牟礼道子さんが暮らした家を一部改装してオープンした古書店「カライモブックス」を訪ねる。奥田直美さん順平さんに、『新装版 花いちもんめ』を渡す。

巻末にエッセイを書いていただき、19年ぶりに再刊できたことを喜ぶ。石牟礼さんが生前親しかった人たちがよく訪ねて来るようだ。思いがけず、意外なエピソードが聞けることを楽しんでいる様子がうかがえる。
5月16日(木) 西鉄二日市駅で、ヒキガエルの不思議な生態の観察を続けている田中先生とお会いする。すぐに近くの宝満山麓のため池に向かう。ここで生まれてくるヒキガエルたちは、宝満山の山頂をめざして一斉に登り始める。5月から6月、およそ1か月かけて登り続けるようだ。それがなぜなのかを調査し続けているが、その理由は今も分かっていない。
5月21日(火) 長崎市の「日本二十六聖人記念館」を訪ねる。この二十六聖人のひとり、聖パウロ三木の銅像を写真に撮るために訪ねたのだが、館内で思わぬ発見があった。展示物の中に、大分の丹生(にゅう)で発掘されたロザリオがあった。今回の訪問で初めて気づいたことである。5月1日に、大分市の「坂ノ市2造」跡地を訪ねた折、その一角に丹生という地名があった。このあたりが、キリシタンたちが暮らした場所だと聞いていたことと結びついてうれしかった。やはり歴史は、その場所へ行かないと正確に認識できないことが多い。


5月22日(水) 読者の方からうれしいお便りをいただく。静岡県島田市の男性(70代)と京都市の女性(60代)から。それぞれ渡辺京二さんの『黒船前夜――ロシア・アイヌ・日本の三国志>』と『万象の訪れ――わが思索>』に感銘を受け、豊かな時間を過ごしているという短信だった。このような便りを受けると「あしたからまた、頑張ろう」という気持が体の中から湧いてくる。

5月23日(木) 西日本新聞朝刊に《「不便な本屋」じわり人気――里山の自宅で不定期営業》という記事が出ている。また、この日送付されてきた「新文化」という業界紙(5月16日付)に、《紙の本の大事さを痛感――社会学者・岸政彦氏》という記事が目を引いた。『東京の生活史』『大阪の生活史』(いずれも筑摩書房)『沖縄の生活史』(みすず書房)を紹介しながら、記録された内容は映像よりも文字のほうが情報量は多いということを実感し「紙の本が各々の暮らしを記すメディアとして最も適していると改めて確信した」と振り返っている。小社でも1月に稲垣尚友さんの『平島(たいらじま)大事典――トカラ諸島・暮らしの中の博物誌』を刊行した。文字を読みながら、さまざまなことを思い浮かべられることが楽しい。トカラへ行ったことがなくても、自分の身のまわりの暮らしと比較しながらゆっくり読むことができるのがいい。

 先述の「不便な本屋」(福岡県那珂川市)は屋号を〈本屋くるり〉といい、「本と人をつなぎ人と人の輪をくるりと結ぶ存在」になっているようだ。水俣市の〈カライモブックス〉もそうだが、人が気軽に集まれる場所であってほしいと思う。
5月24日(金) 朝日新聞朝刊1面下にサンヤツ広告が予定どおり出ている。渡辺京二さんの最後の本格長編『小さきものの近代㈠ ㈡(全2巻、未完・絶筆)』、同じ志を持って学究の友のように親交した武田兄弟との書簡集『渡辺京二✕武田修志・博幸往復書簡集1998~2022』、石牟礼道子さんが70代でまとめた『花いちもんめ(新装版)』の3冊を載せている。読者のみなさんにこの刊行のニュースが届くことを願っている。

この日、早朝の高速バスに乗って、熊本駅へ。JRに乗り換えて新八代駅へ、ここから車で人吉市を訪ねる。「庭先に最近、野生の猿が出没して困っているんですよ」とあまり困っていない顔で、中世・近世のおんなたちに光をあてた執筆を続けている歴史家井上さん(女性)にお会いする。記録として残りにくい女性たちの姿を古文書から丁寧に呼び起してゆくその姿勢に胸を打たれる。
5月27日(月) 大阪から報道カメラマンの小柴一良さんが来社。1970年代から撮り続けている〈水俣病事件〉を自分なりに集大成するための打ち合せ。谷川健一さんのことばに「水俣は、水俣病より大きい」という名言がある。患者さんたち、一般の水俣市民、そして私たちは、〈水俣病事件〉と隣接したそれぞれの現実を生きている。ひとつの事件を狭い視角でとらえてはならない。
きょうは「日本海海戦記念日」である(1905年、日露戦争から120年が経つ)。
5月28日(火) 宅老所「よりあい」の村瀬さんと、第2宅老所でお会いする。広範囲のネットワークシステムを作りあげた後、介護を必要としているご老人のいる場所が特定できたとしても、具体的な行動を誰がやるのかで会議となり、いったい何のための組織なのかわからなくなる、といった現場の矛盾についていろいろとお話しをうかがった。「今」すぐに行動して介護を必要としている人のもとに駆けつけることを優先したほうがよいのではないか。ネットワークなどは結局形骸化してしまう。現場の厳しさを知る人の考え方に強くうなづいた。村瀬さんの鋭いところは、この組織化という近代システムが、ご老人たちや介護職の人たちに対して抑圧的暴力的になっているのではないかという発想につなげていける思考力だと思う。現場を知り、手ごたえのある仕事を続けていきたいものだ。

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