汗かきさん! この指とまれ~
木立の文庫 津田 敏之
わたしは真夏のこの季節でも 明け方に
重い布団を二枚かぶって 自家製サウナ状態で
汗を2リットルかくのがルーティンになっています
(汗を吸ったシーツ2枚の重みで 2リットルとわかるのです)
夕食で水分2リットル注入して 翌朝に2リットル放出する道理です
(1リットル放出の頃に目覚めて 着替えて水500ml補給して 二度寝しながら残り1リットルの放出に取り組みます)
これぞ「いのち」のリ-インカーネーションです
(+2-1+0.5-1で 日ごと500gが蓄えられる道理)
ところで皆さん シェア自転車に
乗ったことありますか? 電動の…
わたしは通勤や打ち合わせ移動に使い始めました
京都市内の駐輪場クライシスにあっては
乗り捨てOKの シェアポートが有難いのと
毎日500gの体重増に待った! をかけるには
「10分以内無料」システムを使って“爆漕”するのが
タダで500mlの汗をかけて効果的 ということが判明したのです
ちなみに皆さん
ふだん自転車はお使いですか?
ところがですよ
楽ちん減量生活のわたしでしたが…
たった2箇月で 自転車生活に戻りました
電動アシストを漕いでいて違和感が積もってきたのです
「自分で動こうとする」気概がマシンから伝わってこなくて
“自分”のない乗り物で汗かいても「生きた心地」がしないのです
なにも応えて来ない相手といても「話」にならないのです
それでやめました――晩の水分補給を500ml減らすことに…
ひるがえって自転車は
「生きもの」だと思うのです
外からの力に応えて ひとたび動きはじめると
自分のなかの“つながり”が目覚めて 次の動きに転じていく
そんな「つねに動いてる」生き物のような様子からは
電動車が固体(外から動かされ/動力が無いと停まる)だとすると
自転車は液体(流れを伝え/新しい力を生む)のように感じられるのです
「いのち」は液体なのでは?
老荘思想の“タオ”観も思い出しますが――いわく「上善如水。水のいいところは、あらゆる生命的なるものに恵みをもたらしつつも、水自身は何とも争わず、それでいて多くがそこに行かないようなところに自足する」〔小川環樹訳『老子』中公文庫, 1973〕
わたしはいま準備中の翻訳本の“ソーマsoma”観が推しです――いわく「ソーマは、bodyとは違ったliving bodyを意味します。物体としての身体というよりは、“生きていて変化している『プロセス』としての姿”が強調されます。」(M.Eddy『マインドフル・ムーヴメント』木立の文庫, Coming Soon!)
モノとして在りながらもコト(プロセス)として瞬間瞬間に“成り”続けている
そんな「液体」性のことを
考えることが多い 木立の文庫のこの頃です
“ゆで卵”好きな人
この指とまってくださ~い
ところで ゆで卵って…
しなやかな殻に護られてプリプリの白身に
まだ「いのち」が残っているような感覚がないですか?
茹でられて形は出来ていても 固体ではなくて液体だと思うのです
そんな“ゆで卵”を眺めながら、朝のコメダ珈琲で
「版元日誌」を書きました
木立の文庫 since 2018 October
毎朝ひとタマ年間350日 食べつづけること6年
“2,000個”記念のひとタマは
「おはよッ」と呼びかけると ぷるんと出て来てくれました