「自分セカンドというエゴ」2022/1/6

・普段noteを自宅のパソコンで書いている。が、最近は何故か機器の操作が鈍い。通信環境・速度のスペックを見るに問題ないはずなのに、重く、ページが開きにくかったり、文字入力にラグが発生する。ストレス発散のために文章を書いているのに、その過程でじわじわストレスが溜まっていてここしばらく匙を投げていた。

・それ故、M-1、クリスマス、正月をスルーしての投稿。スマホからのフリック入力。PCより操作性は落ちるけど、そのうち何とかなるでしょう。

・PCの方はありとあらゆるソフトをアップデートして最新版にした。これでまだ動きが遅いようなら私はお終いだ。



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・東京では雪が降った。初雪ではないが、ここまで降雪の勢いがいいのは今冬初だ。寒い。

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・神社の前を通りかかったので写真を撮ってみたが、絵になる。何百年も季節を越えてきた堅牢な建造物と、すぐに溶けていく動きのある雪のギャップが絵になるのかな。



・こんなツイートを見た。


灯 架
@touka_o0O
子ども欲しくない理由として「自分ファーストの人生を送りたい」って十分すぎると思う。馬鹿にされる筋合いない。
午後3:06 · 2022年1月3日·Twitter for iPhone

・このツイートがかなりバズっていた。リプライもほぼこの意見を肯定する(持ち上げる)ものだった。自分と180度真逆の考え方だったのでとても面白いと思った。

・私は子供がほしい。その理由として「自分ファーストの人生を送るのが性格的にできない」という我儘がある。他者に自己の存在を委ねなければ、自己を自己たらしめることができず、生きていけないという厄介な性格を抱えている。

・自分のカタチを構成するのは他者からの認識だと思う。友人から見た「友人」、恋人から見た「恋人」、親から見た「息子」、上司から見た「部下」が私だ。私を見てくれる人の前で私をロールプレイするのは楽だ。「善き友人」「善き恋人」「善き息子」「善き部下」をこなしておけばいいだけなので。相手から見る「私(友人・恋人・息子・部下)」を意識的にプレイする時、往々にして自分セカンドとなるが、それがいっとう楽なのだ。

・一人でいる休日は不安だ。どう「自分」をやればいいか分からないから。映画を見ても本を読んでも、コンテンツを己の空洞に集積しているに過ぎず、自分が存在しない気がしてしまう。美味しいものを食べても、生物を管を通して排泄物に変換している過ぎず、自分が存在しない気がしてしまう。自分ファースト、自分がしたいように趣味を浴びて一人で過ごすと、そこにどうしても自分がいないような感覚がある。

・何も生み出さず、何にも影響を及ぼさない、人と会わない休日の自分は存在意義がないような気がしてしまう。

・だから私は人の親になりたい。「親」をやることで実在根拠が生まれると思い込んでいる。完全に歪んだ自己中心主義だ。どれだけ滅私奉公してもいいと思っている。その方が一人でい続けるよりはるかに楽だ。子供が欲しい。自分セカンドでありたい、それによって自己を確立したいというエゴを叶えるために。

・あと、男性視点の現状の婚姻制度、育児観、家父長制度には思うところがあるが、ここには書かない。



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・めっちゃビンが割れていてテンションが上がった。わーい。



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・先般、卵の消費期限がそこそこ過ぎていたので味付け煮卵を作った。美味しくできた。


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・味付け煮卵の残り汁(+料理酒)を使って釜飯を作った。美味しい。


【今日得た知識】
・ランジャタイの芸名の由来は「蘭奢待(らんじゃたい)」。天下第一の香木として東大寺正倉院に収蔵されている。

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