精読『完本チャンバラ時代劇講座』第三講その三

浪曲、別名浪花節は講談と似ているが決定的に違うところがある。それは浪花節が歌うことである。浪花節は節と詞から出来ている。ひたすら語り理に訴える講談と異なり、浪花節は盛り上って歌うことによって情に訴えるものなのである。
その意味で浪花節は節=リズムのある音楽に近いものなのである。
この"リズム"がどのように扱われるか、橋本治は、大高源吾のエピソードを例に出している。
『義士銘々伝』で四十七士の一人大高源吾は、両国橋の上で、俳諧師の其角と遭遇する。そこで「年の瀬や 水の流れと 人の身は」と其角が詠んだ句に、大高源吾は「あした待たるる その宝船」と付句を詠む。
このエピソードは、義士のエピソードがない歌舞伎の『実録忠臣蔵』でも唯一出てくるエピソードなのである。
さらに浪曲師·吉田奈良丸による『大高源吾』でも「あした待たるる その宝船」と歌われる。
これが大正時代にヒットした『奈良丸くずし』という歌になると、「大高源吾は橋の上 あした待たるる 宝船」と歌われるのである。"その"の二文字が省略されている。そして一般的にはこっちのフレーズの方が有名である。
もともと其角の発句五七五に対する付区なので七七となる"その"が入るのであるが、語呂がいいという理由で"その"を省いた七五調に変えられているのである。
平気で七五調に変えてしまう人間にとって元々の七七調は、「なんだか知らないけど本格らしい」と思わせるようなものであり、これこそが"格調の高さ"だということになる。
格調の高さに憧れるのも通俗であり、通俗受けする"格調の高さ"がここで言うところの"本格"なのである。
では、本格である"その"の二文字のリズムはいったいなんであろうか。勿論それは"強調"の意味であり、"その"の二文字に含みを持たせているのである。句を発した大高源吾にとって"宝船"とは大望成就の討ち入りのことであり、「言いたいけど言えない。言えないけど言っちゃいたい」というのがドラマ中の大高源吾の心境で、それがこの二文字に含まれているのである。
だから、ドラマでこの台詞が発せられるとしたら、必ず、「あした待たるる、その(間)------宝船」という"間"がなければならない。この"間"をうまく演じきるかが芸で、人はその芸に感動するものなのである。この"格調の高さ"に対する"感動"、その正体は、"含みが多い"という曖昧模糊さを平気で抱え込んでいられる人間の存在に対するものだったのである。
この含みの多さのの本家本元は、なんといっても大石内蔵助であるが、その前に、大佛次郎の小説では大高源吾がどのように登場するかというと、まず其角と出会う場所が両国橋から深川に変わっている。なぜ深川かというと、其角の師匠松尾芭蕉の庵があった、という故事を踏んでいるからであろう。そして二人が会ってなにをするかというと、屋形船で一杯やりながら七年前に亡くなった芭蕉について語り合うのである。完全に大佛次郎の文学趣味で、そこには含みの多い、芝居っ気たっぷりでリズムのある"格調の高さ"はない。高尚なる近代人の"格調の高さ"しかないのである。
昭和初年の原作ではこうだが、昭和39年の大河ドラマ版ではしっかり芝居がかりに戻っている。大河ドラマの脚本は村上元三が担当しており、この人は芝居というものを非常によく心得た人なのでこの芝居がかりを出せたのである。
この大河ドラマ版は、原作を忠実以上に忠実にドラマ化しているのであるが、大佛次郎が嫌った大衆芸能的、大衆小説的なクサさが、ドラマ版にはすべて出てくるのである。
なぜそうなったのかを、橋本治は、長谷川一夫という大時代劇スターがドラマ版の中心にいたからだ、と説明する。大佛次郎の大石内蔵助像と長谷川一夫の演じた大石内蔵助像の違いが決定的な差を生んだと。
大佛次郎の大石内蔵助はなかなか面倒な人物で、仇討ちを決意するときでも「亡びようとしている素朴な精神の"武士道"の記念碑として」とかいう面倒なことを心の内に秘めてからでないと、決意をしないのである。
長谷川一夫の大石内蔵助はただ黙って余計なことは喋らない。なにかものは考えているのだがそれがなにかは分からない。
橋本治はこの部分をこう解釈する。大石内蔵助とは、その場その場、その時その時で、最も正しい答えが出るまでの間を平気で判断停止状態のまま過ごせる人物なのかもしれない、と。
平気で嘘をつく、平気で矛盾を冒す、平気で判断停止に陥る---大石内蔵助が黙ってものを考えているということはこういうことであり、それは勿論、チャンバラ映画では悪人になるしかない新劇俳優の持つ"近代的知性"というようなものとは全く異なっている。大石内蔵助は自分に忠実で正直だったのである。だからこそ、その場その場、その時その時の彼の言葉にはどこかしら説得力があったのである。
大河ドラマで大石内蔵助を演じた長谷川一夫は、二週間に亘ってズーッとなにかを考え黙っていた。それらしい顔の表情演技だけで二週間もたせたのである。それこそが大石内蔵助を演じきるために必要な役者の演技であり、それあったればこそ、沈黙を経て発せられた長谷川一夫の「おのおの方」という言葉には力があり説得力があったのであり、人に感動を与えるものであったのだ。
そしてこの沈黙がなにかと言えば、極めて日本的な"腹芸"という様式である。これは、言葉にしないで、黙ったまま"間"というものだけで意思の疎通をはかる、日本的コミュニケーションである。もちろん大高源吾の"その"という間も腹芸のリズムである。
腹芸というものがどういうものであるか先に結論をいってしまうと、"これ以上言葉に出来ない"というギリギリのところまでを言葉にした上で、「後は信じるか信じないかの信頼の問題である」というつきつけ方をするコミュニケーションなのである。腹芸という言葉を支えるものとして"腹が大きい""腹がある"という表現があるが、この"腹"とは、"信頼関係がある--ということを信じていられる"ということなのである。
この事を念頭に入れ、腹芸の代表『勧進帳』と『忠臣蔵』の中の『勧進帳』の詳細を見ながら腹芸の歴史を橋本治は語っていく。

その四に続く



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