精読『完本チャンバラ時代劇講座』第一講

『完本チャンバラ時代劇講座』は1986年1月31日に初版が発行された。書下し1400枚、橋本治渾身の大著である。
"講座"というだけあって、その章立ては第一講、第二講···というように進んでいく。
第一講はチャンバラ映画の定義である。一般的にチャンバラ映画とは、殺陣·立回りを見せることを眼目にした映画となるが、この本で橋本治は、"「結局は最後のチャンバラでカタがついちゃうんだろう」と言われてしまうような外観を持った時代劇映画"としています。純粋なチャンバラ映画よりももう少し雑多で大まかなもの、どこかに必ず「くだらない!」と言わせるだけの要素を持った、そして種々雑多にして膨大なる広がりを持った時代劇映画である、と。そして、通俗の極致をこそ"チャンバラ映画"という表現で呼ぶのだ、と考えている。
橋本は、チャンバラ映画の"面白い"ところを浮かび上がらせるために、チャンバラ映画の"くだらない"と思われている要素を列挙している。
1.「チャンバラである」から
2.時代劇だから
3.映画だから
   ↳4.映画は小説じゃないから
     5.映画は舞台芸術じゃないから
1の「チャンバラである」というのは、チャンバラ映画が、子供が真似られる程度、真似をするとしたら子供だけだという程度のものであるから、ということなのだが、これを、結局「子供騙しじゃないか」というのは、大人のテレであり、十分な子供騙しだったとしたら、それは十分に"大人騙し"にもなれたものだった、と橋本は言う。
「くだらない、程度が低いとしか言われなかったようなものが実は面白かった。そして、そのことに対して面白いと思っていた自分てなんだったんだろう?」というようなことの内実が今迄明らかにされたことはあまりなかった。この本は、「くだらない」で簡単に放り出されてしまったものの中に、こんなに重要なこともあったんだ、ということを示す講座なのである。
2の時代劇だから、ですが、チャンバラ映画は江戸時代を舞台にした時代劇である。明治以来、「日本は遅れている」と分かったことにより、時代遅れは悪とされ、時代劇は時代劇である限り、いつも"後ろ向き"というレッテルを貼られることになる。
しかし橋本はここで問う、「じゃあどうして多くの日本人は平気で時代劇を見ていたのか」そして「なぜ明治以降も江戸時代はあったのか」と。
そしてそれは、「時代劇はどうして現代が舞台じゃないのか?」と逆転の発想で考えれば答えは簡単である。
「現代ってそんなに魅力的な時代じゃないもの」ということを、日本人は黙って、チャンバラ映画を見ながら言っていた、ということだったのである。
明治以降の日本人たちは「あそこからやり直すんだったら、自分はすごくスッキリと自分の人生に筋を通すことが出来るんだけどなァ」と思い続けていたのだ。言わば江戸時代というものは、もう帰ることが出来ない自分の子供時代のようなもので、子供のまんまでいたら世の中にはついて行けないけれど、でも子供の時はそれなりに何かが満ち足りていた----あのときの状態がそのまんま素直に続いていたら自分はもう少しうまく落ち着いてなんでもうまくやれていたんじゃないか、そう思わせるものが娯楽としての江戸時代、娯楽としてのチャンバラ映画だったのである。
3の映画だから。映画は新しい芸術だった。新しいからこそなかなか"芸術"とは思ってもらえなかった。つまり芸術ではないからくだらない、と判断されたわけである。では芸術と見なされない映画はどのように論じられたかというと、物語を語るものとしては、小説と比べられ、俳優が演技するものとしては、演劇と比べられたのであった。3の派生として4,5が登場するのだ。
4の小説ではないから、という考え方は、映画が多く"小説を映画化する"という形で存在しているところから出てくる。
小説はある意味で、くどくどと細かい説明をするものであるが、映画はそういった説明なしでただ映像だけで見せるものである。そしてその分だけ映画は小説より軽く見られていたといえるのである。
しかし、小説を映画化するということは、その小説からエッセンスだけを抽出して、そのエッセンスをもう一度、映画として豊かに再展開していくことであるので、言ってしまえば、エッセンスが濃厚であれば、原作の小説がくだらなくたってつまらなくたって失敗していたって未完成だって、一向に構わないのである。つまらない小説が面白い映画に変わっていることはザラにある。
チャンバラ映画の多くは、その原作を"大衆小説"から持ってきており、つまらないことを下手くそに説明している大衆小説よりも、つまらないかもしれないことを面白く見せているチャンバラ映画の方がズーッと優れているのである。
"面白い"大衆時代小説を書いていた作家は、徐々に"歴史小説"を書く国民作家に変わっていく。つまり講談のような、正義の味方という曖昧にして素性も明らかでない人間が出てくる大雑把な作品を書く作家から史実を書く歴史記録作家へと移行したのである。
チャンバラ映画の原作は、「講談→大衆小説→歴史小説→史実の確定」と移行する流れの中の、一番最初にしていい加減な段階に属していたということになる。
小説はこのような流れの中にあるがしかし、映画は違う。映画はカメラの前に存在してしまったら、簡単に実在してしまうものなのである。映画は平気でラチもない嘘をつく、なぜならその方が面白いからである。
チャンバラ映画は、"面白いか·面白くないか"という基準で出来上がっているという、それだけのことなのである。
5の舞台芸術ではないからについて、橋本は、この考えは既に死滅したかもしれないと言いつつ、舞台と映画の決定的な演技の差は声にあるとし、演技の質の差について語り、その質の差を考えないでいたことからきた錯覚によるものだったという。
がしかし、ここでチャンバラ映画の特殊性が出てくる。
チャンバラ映画のスターは、その多くが売れない歌舞伎役者から来ていたのであった。そして初期のチャンバラ映画というものは、歌舞伎をそのまま野外で演じたものをフィルムに収めるというような映画だった。そうなると、売れない歌舞伎役者が地べたで芝居をしている、ということになり、これが映画俳優に対する差別へつながったという考えも当然あったのである。
ここで橋本は、偉大なる"映画スター"長谷川一夫を例に出します。長谷川一夫は元々は歌舞伎の女方で、その美貌を買われ、映画に転向した。彼は"永遠の二枚目"という言葉と共に、"いやらしい流し目"というやっかみ半分の揶揄でも有名であった。
橋本は、この"エロ"と呼ばれるものと同質な直載さを例に、大衆芸能が"芸術"へ変わるプロセスを語る。
大衆芸能というものは、元々はみんな卑俗(エロ)で下品なものだった。人間はエロに弱いものである。と同時にポルノほど飽きの来るものはないということもある。なぜなら「下品なものは瞬間的なインパクトしかもたらさない」からである。だからこそ人間は、それを永続的で長持ちするようにと、"芸術"なるものを発明したのである。
下品でしかないけれども瞬間的なインパクトを持っているものの中から"永遠に飽きのこないもの"を摘み取り、それを育てて行く行為が"洗練"であり"表現"であり、そうして出来上がったものを"芸術"と呼ぶという訳である。
"芸"というものは洗練して行く力で、それ故にこそ、元は卑俗で下品だった大衆芸能が"奥行きのある芸術"に変わるのである。
そして橋本は、長谷川一夫の次の言葉を紹介する。
「一番苦しい姿勢を取っている時が、お客さんににとって一番"美しい"と思える時だ」
橋本は、この言葉を「ともかく無理なことをすれば、その無理加減は他人にインパクトを与える」というむき出しの技術論であるとする。そしてなぜ長谷川一夫がこうもいきなりむき出しに"技術"であったのかという理由について、彼がどのジャンルにも属さない"映画スター"であったからとする。
長谷川一夫は55歳になる年に、市川崑監督による『雪之丞変化』に出演する。そこで彼は、若くも美しくもないのに、若くて美貌の女方を演じてみせるという"芸=技術"を見せたのであった。これを可能にした根拠は「私は長谷川一夫である」という自信だけであろう。どこにも属さないとはつまるところ、「長谷川一夫は長谷川一夫である」としか言い様のないことであり、その意味で、チャンバラ映画は"長谷川一夫"とおんなじなのである。
小説でもなければ演劇でもない。時代劇のくせに歌舞伎でもない。立ち回りもあればレビューもある。忠臣蔵だってある。すべてが"チャンバラ映画"としか形容出来ない雑然としたものなのである。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?