精読『完本チャンバラ時代劇講座』第三講その四

『勧進帳』の大雑把なあらましはこうである。
源頼朝に追われることになった源義経が、家来の武蔵坊弁慶の発案で山伏姿に変装して、安宅の関を越えようとする。どこかクサイと感じた関守の富樫左衛門が、「勧進帳を持っているだろ、それを読め」と言う。弁慶は勿論そんなものは持っていないが、でっち上げた白紙の巻物を絶対に見られないようにしながら朗々と読み上げる。結局富樫は弁慶の主人思いに打たれて義経一行を見逃す。
この『勧進帳』に関して大きな誤解があり、それが腹芸に対する誤解となっている、と橋本治は言う。それは、主を思う弁慶の心に打たれた富樫と、安宅の関を通ろうとした弁慶との間に心の交流があったとする誤解であり、それあればこそ"黙って通す"という、日本的な馴れ合い=腹芸の典型と思われていることである。
もう少し細かく『勧進帳』をみてみる。
そもそも富樫のいる安宅の関は義経を捕まえるために作られた新しい関所である。富樫は義経を捕まえるために関守になったようなものである。そんな富樫の前にいかにも怪しい一行がやって来る。富樫は即座に「切ってしまえ」と命じるが、弁慶は動じずシラを切って「切られる前に山伏として最後のお勤めをします」とお祈りにかかる。それを見た富樫が、ひょっとしたら本物か?となって、勧進帳を読む件となる。ここは、見ようとする富樫と見せまいとする弁慶の、本当の"言葉による一騎討ち"である。ナァナァの入り込む余地は全くない。本当の山伏かを確かめる"問答"という言葉によるチャンバラがあり、富樫としてはこうなったら「本当の山伏だ」と信じるしかない状況になる。弁慶は知恵と勇気で富樫を騙したのである。
通ってよいということになった一行は関所を通過しようとするが、ここで関所の役人の目に留まったのが、一行の一番最後にいた色白の年若い強力(荷物持ち)であった。これはどう見ても義経以外の何者でもなく、富樫はこれを通すわけにはいかなかった。
義経は捕えられるがそこにすかさず駆け寄る弁慶。弁慶は六角の金剛杖で、義経をメチャクチャにひっぱたく。
「お前が義経に似ているからと言われて、関係ない俺達が迷惑する。憎い憎い憎い!さっさと通れ!!」とひっぱたいたドサクサに逃がそうとするが、富樫は見逃さず、通させない。
すると弁慶はこう言い出す。
「まだこの上にも疑いの候わば、この強力め、荷物の布施もろともに、お預け申す。如何ようとも糾明あれ。但しこれにて打ち殺し申さんや」
「こんな奴いらないから置いてく。それともこの場でこいつを叩き殺そうか」といった感じだが、ここに弁慶の賭がある。「ここで瀕死の重傷を負わせれば、まさか"それでも逮捕する"とは言わないだろう」という計算の下に""お預け申す---但し"という発言が出るのである。
富樫はこれにより騙されざるをえない状態に追い込まれるのである。この時の富樫の心理状態にこそ腹芸が入り込む。富樫は納得して騙されるという難しい心理状態を見せる。
富樫は、「こは先達の荒けなし」と言う。弁慶の荒っぽさにびっくりしているのである。すかさず弁慶は畳みかけるように「然らば、只今疑いありしは如何に」と攻める。富樫はうろたえ、「士卒の者が我への訴え」と家来のせいにする。弁慶は改めて「御疑念晴らし、打ち殺し見せ申さんや」と突っかかる。富樫は初めて事態を呑み込み、「いや、早まり給うな。番卒どものよしなき僻目により判官どのにもなき人を、疑えばこそ、斯く折檻もし給うなれ」と言う。
この一言が腹芸の腹芸たるゆえんである。
「判官どのにもなき人を」には非常に大きな含みがある。
この台詞は正確に書き直すと、「判官どのにもなき人を·····。(私が)疑えばこそ、·····。(あなたは)折檻もし給うなれ」となる。
「判官どのにも」と言いかけた時、富樫は「これは義経だ!」と完全に悟った。悟ったからこそ「なき人を」とその否定に力を込める。だからここでズーッと主語が"私は"だったのが、最後に乱れるのである。
富樫は弁慶のやり方に驚き、突っ込まれて、うっかり平静になって、「この人は本物の義経だ」と悟ったのである。そして同時に「自分は今この瞬間にすごいものを見てしまった」と思ったのである。"すごいもの"とは、そうまでして主人を助けようとする"関係"がこの世にはある、ということである。富樫は「これは主従関係というようななまやさしいものではない。人間同士ギリギリのところまで信頼関係の出来上がっている関係だ」と感じ取ったのである。相手が義経だから許したわけではない。相手が誰であろうと、そういうことを現出させてしまった以上それを認めるしかないという、相手の行為、そしてその行為を支える奥深いものに反応してしまったのである。
本当の腹芸とはこういうものである。その一瞬の、言葉に出来ない真実を持ったその人間の心境表現が腹芸なのである。
しかしこの歌舞伎の『勧進帳』には弱点がある。その話の前に、『忠臣蔵』のなかに登場する『勧進帳』はどういうものかを見てみる。
忠臣蔵映画はタイプ別に分けると以下の4パターンに分けられる、と橋本治は分類する。
A.戦前の『実録忠臣蔵』の系統を引くもの
B.大佛次郎『赤穂浪士』を映画化したもの
C.『仮名手本忠臣蔵』を映画化したもの
D.以上三つを適当にアレンジした映画オリジナル
このどのタイプにも"立花左近"という『赤穂義士事典』(史実俗説とりまぜた人名事典)にも登場しないなぞの人物が出てくるのである。しかも結構重要な役者が演じるものとして。
この立花左近がなんなのかといえば、『勧進帳』の富樫にあたる人物なのである。立花左近は以上の4パターンの中で、シチュエーションは微妙に違えど、いずれも大石内蔵助から黙って"白紙"を差し出されるという共通点があるのである。
大石内蔵助は立花左近に、"白紙委任状"を出したようなものなのである。この白紙委任状が身分証として通った唯一にして最大の理由は、彼が大石内蔵助だったからである。ここでの大石内蔵助は、「私はあの大石内蔵助である」という、傲慢·甘えをもったいやらしい大石内蔵助なのである。
既にして"大石内蔵助は立派な人物である"という常識が出来上がっていて、見逃すのが当然だという流れがあることにより立花左近なる人物がうまれた。腹芸への誤解、"日本的な腹芸"と言われる時「ナァナァでいやらしい折合いのつけ方をしている」という目で見られるようになるのはここら辺からである。そして"立派な人""エライ人"という権威主義的な知名度は平気でナァナァを見逃すようになるのである。
しかし実はこの誤解を生んだ元凶は、歌舞伎の『勧進帳』そのものにあったのである。それが『勧進帳』の弱点である。

『勧進帳』の成り立ちから"格調の高さ"の核心へ
その五へつづく

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