精読『完本チャンバラ時代劇講座』第四講その三

大正十四年二川文太郎監督、阪東妻三郎主演の『雄呂血』という映画がある。この映画を戦前派チャンバラ映画の巨匠伊藤大輔監督は"時代劇の悲愴美の極致"と表している。
この映画がどんなものかというと、阪東妻三郎扮する主人公の若い侍に御都合主義的に悲劇が襲ってくる、そういう映画である。ご都合主義的に悲劇に落ちていく主人公はまったく抗弁をしない。それがなぜかといえば、この映画がサイレント映画だからである。サイレント映画は映像描写で見せていく音のない世界なので会話は限定される。だから主人公の抗議という余計な会話が入ってしまってはもたなくなってしまうのである。
"見せる""見せ方がすごい"--それがサイレント映画なので、この『雄呂血』は最後の大立回りのすごさが語り継がれて行くのである。
この映画以前の日本のドラマでは、最後に救いがあった。しかしこの映画は主人公が転落していって悲劇のまま終わる。そんな救いのない映画だったが、この映画は非常に受けたのである。
自分が当たり前だと思っていた現実がズブズブと落ちていく。そんな経験を日本人は初めてする。主人公は公然と落ちていき、観客もみんなつられて落ちていく。
現実はなんとなく出来上がっていてスムースに動いているような気がするけど、それはどこかで抜け穴だらけのようなもので、それを知ってしまった自分は平静ではいられない。それが『雄呂血』のラストの立回りがカタストロフになる基本構造である、と橋本治は言う。
そしてこの"青年"の状況を着物の裾に例える。
ただ歩くことは可能な着物の下半身も、走ることには向いていない。意識せずに着物の裾をさばいて歩いていた人間がある時突然その不自由を意識したら、そのままもつれて歩けなくなってしまうこともある、と。
そしてこれこそが、青年が足を踏み出すことで"半歩"を記すことが出来た、ということに対する残りの"半歩"なのだ、と。
なぜここで着物の裾が出てくるのかというと、先に名を出した戦前派の巨匠伊藤大輔監督にこんなエピソードがあるのである。
昭和十七年嵐寛寿郎と初めて組んで『鞍馬天狗横浜に現はる』という映画を撮ったときの話である。
伊藤大輔監督は"移動大好"というあだ名があるくらい、役者を走らせるのが好きな監督だった。この映画では、嵐寛寿郎に全力疾走しながら敵を斬っていく、という三百メートルの大移動撮影をやっている。狙いは、無理な注文を出して"破調のリズム"を投じようというものであった。嵐寛寿郎は当初、出来ないと言って拒むも、最終的には挑むこととなる。
撮影された結果を見て、伊藤大輔監督はカブトを脱ぐ。あれほどの大移動で嵐寛寿郎の着物の裾が乱れてなかったからである。監督の狙いは、「裾が乱れるまで走れ。そして裾が乱れてからも走れ」であった筈で、そのことによって何かが初めて躍動する、というもので、それが破調のリズムだったのである。
しかし、嵐寛寿郎は更にその先をいっていたのである。
日本の着物というのは、ある意味で人の動きを限定するような衣服である。裾を乱せばそのことによって、現実生活の淡々としたリズムを乱したということが明らかになるというようなものだから。走れば着物ははだける。全力で走れば走るほど、着物は乱れる。着物というものは、着ている人間が動くことによって同時に動くものであるから、着ている人間は、着物の動きを事前に察知してその収拾を考えながら動く、ということになるのである。これが"裾をさばく"という技術なのである。
嵐寛寿郎は歌舞伎出身の役者でこの事を熟知していたから当初は無理だと断るのであるが、監督からの「あなたには無理ですか··」という挑発にカチンときて、やることになり、自分自身の役者としての本能的な技術にすべてを委ね、結果見事に監督の思惑を覆して、三百メートル全力疾走しながら裾をさばいたのである。

ここでの着物というものは"世間"である、と橋本治は言う。自分の動きが自分の動きのままに出来るわけではない。自分の動きが着物の静止状態に一石を投じてしまうということをあらかじめ考えて、それを収拾させるように動けなければならない。つまり、着物というものは、それを着て行動する人間に自主規制を要求するようなものなのである。
『椿三十郎』の"鞘"の話で考えれば、伊藤大輔監督は"鞘のない刀"である。"裾を乱すような破調のリズムを求める"="鞘"を投げ捨てることがまず必要だ、となるが投げ捨てた"鞘"のその後はまだ考えていない。一方の嵐寛寿郎は"鞘に収まる名刀"である。
だから監督は「見事!」とカブトを脱がざるを得なかったのだ。
"青年"というものは"技術"の前では言葉を失ってしまうものなのである。
青年は、自分の足許にまつわりつく裾に代表される"何か"がうっとうしくてたまらず、それをはねのけるようなドラマを作った。
息を乱し裾を乱して走る、そのことによって初めて、走るということは実に何かを蹴散らして行くことだということは明かになり、観客もそのことに興奮するが、裾を乱さずにキチンと走れてしまったら、今度はそれを見事と言うしかなくなってしまう。
嵐寛寿郎の鞍馬天狗は超人的なヒーローとしてそれをやってのけた。
ある意味で、正統なるチャンバラ映画というものはすべて、この見事に裾をさばいてしまう鞍馬天狗である、と橋本治は言う。カッコいいヒーローはみんな見事に裾をさばいてしまうのである。その収拾をつけてしまう技術の前に、すべてのドラマ作家は、手も足も出なかったのである。だからこそ、"巨匠"黒澤明は、そうしたチャンバラ映画の全盛を目の前にして、『用心棒』を撮った。そしてそれを見た人間は興奮という名のショックを受けて、後の残酷時代劇へと見当外れな道を歩むのであるが、この話は後にして、その前に、大正十四年に作られた『雄呂血』の製作が"阪東妻三郎プロダクション"というスター個人のプロダクションだったというところから派生する、そこへと至る日本映画の作り手側の歴史の話である。

その四へつづく


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