きよしこの夜

「ブルー・クリスマスだね」
そう言ったキミは、眉を下げて笑った。
空の癖に空気が読めないなんてどうかしてる。
なんで今日に限って?
雪が降らないだけならいい。
寒いとか、風が強いとか、それならまだいい。
これじゃあせっかくの真新しいブーツが台無しだし、イルミネーションだって見られない。一緒に街を歩いていられればそれだけでも良いのに、まともに歩けやしない。
それに雨の街は暗くて、重くて、とても息苦しい。
間が悪いなぁ、と思った。
いつも雨女だと言って笑ってた、自分のジンクスを呪った。
空を責めればいいのか、私を責めればいいのか、天の運を責めればいいのか、もう分からなくて、私は傘の下で唇を噛んでいた。
「ごめん」
「なんで君が謝るのさ」
「わかんない」
雨に打たれる広場の床に、キミの表情が映っているようだった。
スピーカーから流れるキャロルは、すっかり雨だれにかき消されてしまっている。
だから、広場はとても静かだった。
「雨の日のサンタさんの話、知ってる?」
キミがふいに口を開いた。
私は首を横に振る。
「サンタさんは空飛ぶソリと、九頭のトナカイでプレゼントを届けるんだよね。ソリとトナカイは雪に強いから、どんな吹雪の中でも飛んでいられるんだ」
よく知ってる。
去年のこの日、キミが教えてくれたんだ。ダッシャー、ダンサー、プランサー、ヴィクセン、コメット、キューピッド、ドナー、ブリッツェン、そして赤鼻のルドルフ。
トナカイにそれぞれ名前があるなんて知らなかったけれど、すっかり覚えてしまっている。
「そして、靴下の中にプレゼントを入れてくれる」
去年、キミがくれた『魔女の宅急便』のジジのぬいぐるみは、今でも鳥籠の中に座って部屋の中に吊り下がっている。
「サンタさんにとっては、街全部が雪原(ゲレンデ)になるんだろうね。だから、トナカイに引っ張ってもらって、街の上を自由に飛んでいられる」
それも覚えてる。
展望台に登って、白い街を望んだんだ。
上から見たら、街は一面真っ白だった。まるで雪原みたいに。
だから、サンタさんはそこを滑っているんだ、とキミは語ってくれて。まるまる雪に沈んだ街と、そこをぽつんと駆けるサンタさんたちの姿を、私は夢に見た。
だけど。
「じゃあ、今日はサンタさん、滑れないよ」
私は思わず言った。
隣の傘の下で、キミが苦笑する。
「そうだね。雪が積もってなきゃ、ソリは滑れない。積もってないだけならトナカイは走れるだろうけど、これじゃあね」
肩を竦めるキミ。
傘を持つ手指が、少し掌に食い込んだ。
キミとの間を隔てる雨降りが、重たいビロードのように思えた。
「でもね、雨の日でもサンタさんはちゃんと来るんだ」
けれどキミの声は、傘を叩く雨音の中でもよく届くんだ。
「どうやって来ると思う?」
私は首を横に振る。
雨のビロードの向こうに、キミの表情がよく見えた。
「雪降りの日は、街全部が雪化粧になって、空から来るサンタさんには雪原に見える。じゃあ、雨の街はどうだろう?」
私は必死に空想を巡らせる。
あの展望台の景色を思い浮かべた。
雨の街は暗くて、重くて、とても息苦しい。
まるで――
「まるで、水に沈んでしまったように」
キミが微笑する。
「ね。想像してごらんよ」
私は夢に見た。
「まるまる水に沈んでしまった街。僕らは水底のベッドで眠ってる」
出かけようとしたサンタさんは、おっと今年は雨降りか、なんて言ってソリを片付けるんだ。
「ソリじゃ水の上は走れないもんね。だから、代わりを用意するんだ」
「代わりって?」
「もちろん、船さ」
それはおもちゃみたいな小さな船。
サンタさんと、プレゼント袋が乗るだけの大きさ。
「『蒸気船ウィリー』とか……そうだね、『ポニョ』みたいな感じじゃないかな」
私も、それを想像した。
サンタさんの大きなお尻で折れてしまいそうになる煙突と、それで動いてる両の車輪。水車みたいなやつ。
サンタさんの服やルドルフの鼻と同じ、赤い船。
「引っ張ってるのは何だろう?」
アヒルとか、ハクチョウとか、イルカとか、いろんなものが浮かんだ。
どれも可愛いと思う。けれど、サンタさんを引っ張るのはやっぱり。
「そうだね。じゃあ、トナカイたちは水を泳げるように特別な訓練を受けてるんだ」
彼らは犬かきのように器用に水を泳いでみせた。
まるで、水の上を走っているかのように思える姿で。
やがて、トナカイが曳く船は私たちの街へやってくる。
水底に沈む街並み。
サンタさんの目には、きっとそう映ってる。
ベッドで眠る私達の鼻先を、小さな魚がかすめていくんだ。
立派なヒゲを撫でたサンタさんは、それからいつも通りに良い子と悪い子のリストを取り出した。
「……ねえ、雨の日も靴下に入れてくれるのかな?」
「ん?」
「靴下、雨の日はべちょべちょになっちゃうよ」
「そっか。そうだね。じゃあ、きっと代わりに長靴の中に入れてくれるんだ」
寒い雪の日は明日の為の靴下を用意するけれど、雨の日は長靴を用意するから。
サンタさんはそこにプレゼントを入れてくれる。
起こさないよう、枕元の魚たちへシーッと人差し指を立てたりしながら、次のおうちへ船を走らせる。
私がプレゼントに気づくのは朝のこと。
「さ、目を開けてごらん」
夢を見るのをやめて、目を開ければ――
「おはよう」
キミと私の傘が重なって、間にビロードなんて見えなくて。
私の手の中には、可愛く包装された箱が乗っていた。
「ほら、雨でもサンタさんは来た」
メリークリスマス、とキミが頬を掻いて、広場に流れるキャロルが、やっと聞こえた。

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