ファントム・アンド・テイク・ファイブ

「♪立ち止まって少し話でも如何」
街灯の照らす路地。
眠らない街明かりからわざわざ一本離れて、五拍子を刻む男。
傍らには大きなギターケースの口が開き、帽子が逆さに置かれている。
中身は空だった。
「♪忙しい日から離れて話でも如何」
アコースティック・ギターの音は闇夜に溶けるようにくぐもって、口ずさむ声は囁くようだった。
だからだろうか。
「その歌は」
五拍子に割り込む不機嫌な少女の声は、その路地裏ではひどく浮いて響いた。
「嫌味ですか」
「♪日々何とか過ごし切ろうと努めているのに」
夜に溶け込んだ歌はしばらく答えなかった。
「♪私達は一言も交わさずにいる」
「無視するからでしょう!」
少女は憤慨する。
黒い外套を襤褸にして、裾から覗く肌にはあちこち擦り傷や土汚れが見えていた。
「もう演技は結構です、撒いたので」
「♪演劇ではなくパントマイム」
「どっちでもいいってんですよそんなのは!」
地団太を踏む少女。
「用事がないなら行きますからね!ご存じの通り忙しいんです」
「♪まだ私達の目は合うのだと知ってる」
「…………」
少女の口元がへの字に歪む。
「♪足までぞくぞくしている」
外套の裾をもぞりとさせる。
少女はきょろきょろと暗い通りに視線を送った。
「……わかりました。わかりましたよ」
ため息をつく。
「ネズミの巣穴です。ありますか?」
「♪君の微笑みは控えめすぎる 追い払われてるようだ」
「払いますよお!ほら二枚!」
少女は懐から金貨を取り出し、ギターケースの中の帽子へ放り込む。
男はコンコン、とギターのボディを叩いた。
それからいくつかの弦をポロポロと鳴らした。
「あっちの酒場?話は通ってるんです?」
「♪そんなに親切じゃない方がいい」
「えー……」
「♪タバコの火を付ける程度なら」
「夜目は効くので平気ですよ。ありがとうございます」
少女が立ち去ろうとすれば、男はちらと視線を動かして五拍子をもう一つ刻む。
「♪もう少し話そう」
「はい?」
「♪五分でいい」
そわそわとせわしない少女はやきもき言う。
「どうして」
「♪五分でいい」

「やあ、良い曲ですね」
身なりの整った男性が、背の高い帽子を取ってみせる。
「ここいらに女の子が通りませんでしたかね」
男は五拍子を刻み続けている。
「襤褸の外套で擦り切れまみれなんですが」
ちらと顔を上げてから、ポロポロと弦を鳴らした。
「うーん。ご存知ありませんか?」
男性は困ったように頭を掻いた。
黙々と、音符を夜闇に溶かしていく。
しばらくしてから、
「そうですか。ご協力感謝します」
男性は帽子を被り直しつつ、銀貨を一枚取り出した。
それから、口を閉じたギターケースに置かれた帽子に放り、立ち去っていった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?