僕らが思うに

数分経って、彼女がストローから口を放した。

「ぼくが思うにさ」

コーヒー・フラペチーノのカップをテーブルに置いた彼女は、持ち手を机に移してトントンと鳴らす。

話題がひと段落してから彼女が数分の沈黙を持った時は、必ずそのウルフ気味にカットした頭の中で何か考え事をしている。

そしてその後に口を開く時は、唐突にその勘案事を振ってくるのである。彼女の中では話が繋がっているのだ。

僕ははいどうぞ、と先を促した。

「にわか、って何なのさ」

彼女は新しい議題を持ち出すと、反応を見るように僕の顔を見た。

ははあ。

僕はすぐに思い当たり、彼女が赤のアンダーリム眼鏡と一緒にテーブル隅に追いやっている手帳型ケースのスマートフォンをちらと見た。

もうこの議題を持ち出した事情は分かった気がするが、先回りしてはいけない。少なくとも、僕ににわかの定義の説明を求められている訳ではないようだし、そんな事を言い出した理由を聞き出す事も望ましい返答ではなさそうだ。

少し凝った左手首を揉みながら考えを巡らせた僕はそこで、こう返した。

「何、と言いますと」

ふん、と鼻を鳴らした彼女はすぐに口を開く。

及第点らしい。

僕は両腕を組む形で机に寄りかかり、聞きの姿勢を作った。

彼女は机の下で黒とグレーのボーダー・ニーハイに包まれた脚を組み替え、話を続ける。

「意味だよ。というか、範囲? レッテルっていうかカテゴライズっていうか、そうする範囲と意味は何なのさ」

「そりゃあ……」

これは定義を例示してみろといった所だ。おそらく内容は求められていないのだが、ベターなのはボンヤリした感じの一般論だろう。

「人気になった途端に湧いてくるタイプのファン層じゃないの」

「字義としてはそうだよね」

トントンを続けながら彼女は言う。

「でも、アレって蔑称みたいな所があると思う」

「まあ……最近、実際はそうだね」

彼女にしては話運びが慎重だ。

事情を先に聞かなかったのは正解らしい、と内心で胸を撫でおろし、僕はテーブルの上の腕を組みかえる。

数秒、彼女はトントンを続けていた指を止め、今度はテーブルに小さな円を描くように動かし始める。次の言葉を選んでいるのだろう。

僕はそれを待ちながら、ブレンドコーヒーを少し啜る。

「ぼくが言いたいのはさ」

円を描く指を止めて、またトントンし始める。

「範囲だよ」

「範囲?」

「そう、範囲」

そこで彼女は両腕を持ち上げ、黒いアームウォーマーの裾を伸ばした。話に本腰を入れる時の合図だ。

「どこまでがにわかで、どこからがにわかじゃないファンなのさ」

「あー」

そう来るよな。

僕は曖昧な声を漏らして、テーブルに寄りかかる身体を一度逸らした。

すかさず彼女は言葉を差し込んでくる。

「ファン歴? それとも知識量?」

「うーん」

なんとなく、どちらも違う気はする。

僕は腕を組んで息をついた。

視線で僕の腕を追って、彼女はため息をつく。

おっと。

ため息は、苛立った時か嬉しい時かどちらかだ。

「違う気がするよね」

彼女はテーブルに肘を突いて、トントンしていた指を握り込んだ。

曖昧な反応が拙かったか。

「そうだね。違う気はする」

僕は一度肯定して、視線を巡らせる。

「……愛の深さとか?」

「それだよ」

彼女はわざとらしい仕草で僕を指差した。

「うん? でも、そんなのファン歴とか知識量に比べたら曖昧だと思うけど」

はあ、と彼女はため息をつく。

これはどっちだ?

「そう、曖昧なんだよ」

またアームウォーマーの裾を伸ばした。

「結局、にわか認定したがる連中っていうのはさ、そんな曖昧な尺度でレッテル貼りして喜んでるんだとぼくは思うんだ」

「ふぅん?」

僕は頬杖を突く格好で、再びテーブルに寄りかかった。

彼女はみたびため息をついて、

「要するにさ。にわか、って言うのは急にとか突然にとかって意味じゃん」

「俄か雨とかね」

「そう。だから、さっきキミが言ったように、人気が出たり話題になった所で、突然沸いて出てきてファン面するのが気に食わない、っていう感情が作った蔑称な訳だよ」

「成り立ちとしてはそんな所だろうね」

「だけど、じゃあどこまでがにわかか……いや、むしろどこからがにわかじゃないのかって問いかけられると、答えられる人はそういない」

「難しいね」

「でしょう。何故かって言えば、にわかって言うのは、連中が”とりあえず”で貼る為に用意したレッテルだからなんだよ」

「とりあえず?」

「うん。いきなり出て来てファン面しやがって、俺達はもっと前からコイツがコレが好きだった。そこから、俺はもっとコイツがコレが好きなんだ、って主張に繋がっていくんだ」

「ははあ」

そんな声を漏らすと、彼女はテーブル隅の赤いアンダーリム眼鏡を掴み、人差し指と共に僕の顔へ突き付けてきた。

「ここな訳だよ」

テンションが最高潮の時だ。鼻息荒く、身を乗り出す様子もそれを示している。

「ファン心理ってやつさ。連中は愛の深さなる曖昧極まりない指標を競い合わせるのが大好きだ。ファン歴、知識量、グッズに費やした金額、イベントに行った回数、遠征で移動した距離、そういうのを画像付きで呟いては周囲に見せつけ、私が一番コイツをコレを愛してると主張する」

「ヤな話だけどありがちだね」

「うん、ホントにヤな話だよ。何せこういう風なハマり込み方をする奴は、ファンとしてコンテンツを応援するよりも、周囲にマウンティングする事が目的になり始めてる、または成り果ててる訳だもの」

「キツい事言うね」

「でも分かるでしょう?」

「まあね」

僕は頬杖にした右腕を机に倒した。

そうすると、彼女は僕の顔の前で振り回していた眼鏡でカチャリと音を立て、

「……要するに、ぼくが言いたいのはさ。コンテンツって言うのは人が集まってこそ発展するし、長続きしていく訳じゃん」

「そうだね」

「だから話題性に飛びついたファンをにわかだとかって爪弾きにするのはさ、明らかに自分より”愛の深さ”が劣る相手を見つけて、これ幸いとマウンティングの材料にしてるだけだと思うんだ」

「ふんふん」

「自分の自尊心の為にね。しかも、人気が出てるもんだから、誰に言うでもなく適当に、空中に呟いてもどっかに当たる訳。それで自分は満足する訳だよ。馬鹿みたい……だと思うんだけど」

「成程ね」

尻切れトンボに結んだ彼女にそう返し、僕はそこで、右手でカップを取ってブレンドコーヒーに口をつけた。

彼女は少し上気した顔で、むくれ気味にコーヒーの行方を目で追っている。

ふう、と息をついて、

「面白い見解だと思うよ。コンテンツを心底大事に思うなら、ファン歴や知識量の小さい新規のファンを迎え入れてあげる方が建設的だもんね」

こくこくと彼女は頷く。

ウルフ気味の頭頂部の髪がふさふさと揺れた。

そこで僕は左手で膝をポンと叩き、

「……でも、嫌がられるにわかって、知ったかぶりする人じゃない?」

彼女の手の眼鏡がぶらんと下がる。

机の下の左手で、僕はパチンと音を立てた。

「それは、まあ……」

「知ったかぶるとか、人に迷惑がかかるような騒ぎ方するとか。あと、それこそグッズとかイベントとかに貢いだ額を見せつけたりするの、にわかの特徴でもあるよね」

「……まあ、うん。確かに」

パチンパチンと音を立てていると、爛々としていた目を泳がせて、逸らしてしまう。

僕は間を持たせながらそれを眺めて、もう一つ言った。

「話題が移るとすぐ離れるミーハーっぽさとかね」

「…………」

とうとう眼鏡を持った手を引っ込め、頬杖にしてコーヒー・フラペチーノのストローを咥えてしまう。

僕はしばらくそれを待って、もう一つパチンと音を立ててから、

「まあ、それは一時のファンも大事にしてやればいいとは思うけどね、僕は」

と付け加える。

彼女は僕の顔をちらと見るが、もう数秒間ストローを吸い続けた。

それから、中身を空にしてしまってからテーブルに置き、組んでいた脚を解いてから、

「意地悪」

「あんまり人を悪く言うのは好きじゃないからさ」

はー、と伸びをした。

今回の議題は僕の勝ち。

不服げな顔の彼女だが、伸ばした腕をぶらりと垂らして、

「負けた負けた」

そう口に出した。

――君は何か不満な事がある時、机をトントン叩くよね。

始まりは、僕が彼女にそう言った事だった。

いつも通り、ブレンド片手に彼女の話を聞いていた時にふとそう言った時、彼女はぱちくりして机の上の自分の手を見つめたのを覚えている。

僕はなんだかその反応がおかしくて、『まあいいか』みたいな時は鼻を鳴らすとか、本腰を入れる時は袖を弄るとか、テンションが上がると手近なもので人を指すとか、それまでに見つけた彼女の癖を列挙したのだ。

彼女はその度に鼻を擦ったり、袖を見たり、手近なものを仕舞ったりした。

おかしくて僕が左手を鳴らしながらくすくす笑っていると、やり過ぎたか、彼女はムッとして言ったのだ。

――まるで、ぼくの考えてる事ならなんでも分かるみたいじゃないか。

僕はそれでもおかしくて、うん、そうかもね、なんて返した。

それで彼女はむきになって、じゃあ、ぼくが何を言い出しても、ぼくが何故そんな考えに至ったのか、望んでいる答えは何なのか、当ててみせてよ、と言ったのだ。

そんな小さな意地の張り合いから、この”遊び”が生まれた。

彼女は頭の中でいつも”議題”を考え、それを僕に振ってくる。

僕はそれを聞きながら、彼女の癖や口調から、何を考えてその”議題”に至ったか、そして求めている答えは何かを探すのだ。

答えに行き着かなくて、彼女が話し続ける事になれば彼女の勝ち。答えに行き着いて、僕が話を結ぶ事が出来れば勝ち。

勝ったから商品がある訳でもない。たまに、食事にいって負けた方が奢り、なんて流れになる事はあるけれど。

そんな、僕らにしか分からない暇つぶしなのだった。

「だけどさ」

彼女は椅子に背をもたせながら言う。

「愚痴くらい聞いてくれたって良いだろ」

「やっぱり愚痴だったんだ?」

「…………」

流石に睨まれた。

ごめん、と素直に謝ってから僕は咳払いして、

「友達?」

彼女は少し視線を彷徨わせてから、

「が、リツイートしてたんだ」

「そっか。まあ、気になるよね。自分に言ってる訳じゃないって分かってても」

自覚があるからだ、とは流石に言えないのだが。

「お前は次に、自覚があるからだって言う」

ぶっきらぼうな言葉に少し詰まると、彼女はふん、と息をついてみせた。

「言うつもりなかったんだけどなぁ」

「思ってたんじゃん」

呆れたように言う。

彼女は少しアームウォーマーの裾を弄ってから、

「……直した方がいいかな?」

「君は大騒ぎはしないし、分別はあるよ」

「知ったかぶりとミーハーは?」

う、と思わず声を漏らした僕は、少し左手首を揉んでから、

「……ちょっとだけ」

彼女は僕の様子をじっと見てから、そう、と返して、

「分かった」

眼鏡を取って、スマートフォンに目を落とした。

僕はそこでようやく息をついて、空のカップを持って立ち上がった。

「左手首」

彼女は綺麗な頭頂部を僕に向けたまま、言葉を放った。

「ぼくの機嫌を損ねない適当な相槌を探す時、左手首を弄るんだ」

僕は思わず自分の手首に目を落としてから、しまった、と彼女の顔を見た。

彼女は顔を上げていた。おかしげに笑って、ため息をつく。

そして、からかうように左手の指をパチンと鳴らして、

「同じの、もう一つ」

「かしこまりました」

どうやらこの遊びは更に、複雑なものになりそうだ。

僕はポケットに財布の所在を確かめた左手をパチンと鳴らし、席を離れた。

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