責任が重い文章
マネタイズを狙っていないわけではないが、基本的にブログは自由に書いている。(あ、このnoteも自由に書いてる)
ブログでそれなりに読まれてしまっている記事の一つがこれだ。
しかも、検索ワードが「○にたい つわり」。重い。
書きたかったから書いた記事なんだけど、(そもそもこれ寄稿のお知らせだったし)今となってはそれなりのアクセスを集めている。
当時はPVを集めたいとか何かを伝えたいとか、本当に何も考えていなかった。構成がめちゃくちゃだし、アイキャッチすら設定してないところからも、適当に書いた記事であることはお分かりだろうか…(はずかしい)。
しかし、「書くこと」に毎日向き合っていると、この記事を読んだ妊婦が一人でも「生きよう」と思えているかどうかが気になるようになった。重い。
ブログは読まれてなんぼだけど、この記事でPVを稼げても何も嬉しくない。
これだけ悩んでる妊婦がいるのか…と思うとつらい。
伝え方はこれでいいんだろうか。
文章に正解は無いし、どう思うかは読み手の自由だ。
例えば、私が「自分でアイキャッチを考えなくてもよくHTMLも必要ないので、noteは気軽に文章を書くのによい場所です」という一文を書いただけで、
「そうか、note始めてみよう」と思う人もいるだろうし、「noteをすすめてくるなんて、何か裏があるに違いない。noteからお金もらってるんじゃないの?」と思う人もいる。(もらってません 笑)
この記事を読んで、生きたいと思う人も、死にたいと思う人もいるんだよ。
読んだ人数的にも、100%生きてるなんてありえないくらい読まれている。
それでも、この記事だけは読んだ人全員に生きて欲しいと願ってしまう。
読んだ後に、死ぬのも生きるのも自由なはずなのに。
その人が悩んでいるのはつわりだけではなく、夫(予定)が借金残して失踪しているとか、DVされてるとか、さまざまな事情を抱えていて、死んだ方が幸せなのかもしれないのに。
死んだ方が幸せな人なんていないよね。違うな。違うって思いたいんだな。
死にたい人を止めるにはどうしたらいいんだろう。
もっと言えば、自分の文章が「死にたい」を後押ししてないかが心配。
一応書いておくが、この記事のマネタイズは全く無いので、検索で1位とりたいなら書かない方がいい。本当にただ責任が重いだけ。
誰か救われる人がいると思わなきゃ、公開を続けられない記事になってしまった。
構成めちゃくちゃだし、SEOも何も考えてない。
今ならもっと綺麗な文章が書けると思う。
だけど、○にたかった自分が読みたいのはそんなのじゃない。だからこのまま公開し続けようと思う。
早くつわりの特効薬を開発して欲しい。
こんな記事にPVが集まらないようになってくれよな…!
スキを押すと、ポルノ関連のお礼が流れるよ!