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神様じゃなくても誰かは。

4月の初旬、とてつもなく風の強い日があった。
燃えるゴミの日だけど飛ばされそうなので出すのをあきらめ、仕事の締め切りもあって終日部屋で過ごし、天候が回復した翌日の日暮れ近くになって「さて食材でも買いに行くか」と外階段を降りかけたところ、思いがけないことが起きていた。

アパートの敷地と門の外(私道)の広範囲に白っぽいゴミが散乱していて、そのほとんどが使用済みの生理用品(丸めてテープで閉じられたものと、ベロンと開いてしまっているもの)と使用済みの不織布マスクと使用済みの大量のティッシュ。
他にコンビニサラダ(容器から出た中身が干からびてアスファルトにこびりついていた)やお菓子や食品の包装、破れた紙類なども大量に散らばっていた。

ギョッとして固まったのは数秒で、すぐ二階の部屋から使い捨て手袋と中が見えないポリ袋と掃除用具を持ってきて、通りに散乱した衛生用品を片付け(どれも濡れた後でほうきは役に立たないので手掴みで袋へ)てからアパート敷地内に散らばった分を拾って、それから隣に住む大家さんのインターフォンを押して事情を伝え、二人で大家さんの敷地内に飛んだゴミを拾った。大家さんも私も人と会話するのが数日ぶりだったので、掃除しつつ世間話に花が咲いた。
宅配便の不在票が個人情報むき出しで落ちていたのでゴミを捨てた人はすぐに特定できたけれど、大家さんは本人に伝えたりとがめたりはしないだろうし、「ゴミネットがあったのに何故」という謎はともかく直接の原因はカラスと強風だろう。ただ、その人は敷地内の駐輪場を利用するときにこの惨状を見たはずだし、私の階下の住人も自分の玄関前にこれらが(ただのゴミではないものが)落ちているのにそのまま出勤したと思われ、それが何だか少しショックだった。
近隣の集合住宅や一軒家の住人たちのうち、いったい何人があの状態を目にしてそのまま通り過ぎたのだろう。

以前住んでいた街では玄関左が隣家の壁、正面はよその家の塀、斜向かいは空き家だったため、ご近所の植え込みや壁ぎわに空き缶やペットボトル、食べ終わった弁当の容器(食べ残しもそのまま)二人分や使い捨てマスクなど、色々なゴミが落ちて(風で飛んできて)いるのを見つけては自宅に持ち帰って(物によっては洗ってから分別して)ゴミ出ししていた。小さなお店をしていたので表の清掃は当然のように思っていたものの、感染症蔓延の時期だったので嫌だった。

その頃、自宅近くの角を曲がって30メートルほど先の邸宅の前に犬のフンが落ちているのを見かけて、その後も時おり通るたび、撤去されず放置された立派なフンが徐々に干からびてゆくさまを眺め続けたことがあった。
その邸宅に隣接する空き地は当時の部屋の大家さん(遠方在住)が所有する土地で、草生え放題の空き地をたまに駐車場として使う(工事の業者さんなどが私の家の修理をするときなど)時のため、私は空き地のシャッターの鍵を預かっていた。
横長のフンは厳密にいうと邸宅と空き地の塀の前に6:4くらいで落ちていたため、自分にも4割ほどは処分する責任はあると思われ、ただうちの玄関からフンが落ちている空き地の角までは結構距離があり、今回アパート周辺のゴミを拾ったときのように瞬時には行動できなかった。
その後も私は見て見ぬふりを、というより、むしろ途中からこの邸宅の住人さんはいつまでこのフンを放置するのかという好奇心で注視し続けた。
結局フンは乾いた土になり、やがて砂埃程度になっていった。
邸宅の住人が片付けなかったのは、その前をいつも散歩で通る(であろう)犬の飼い主への抗議の意思表明か、あるいは空き地の関係者が処分するのを待っておられたのか。だとしてもあんなに美しい邸宅の前にフンが落ちたまま放置するというのは根性がいることのように思われて感心したり、いや、もしかすると足元の小さなことは気にしない大らかな人かも?などと考えをめぐらせつつ「いや、さっさとお前が拾って片付けろよ」という我が心の声に脳内で「けど私は普段から他の家の前のゴミも拾って洗っているんだよ、そのくらい許してよ」と言い訳したりしたものだった。

そんな出来事が影響しているせいかどうか、今の部屋に越してきてからカラスにやられた他人のゴミを私が片付けたのは、これで2度目だ。
神様が私の行いを見てくれていて、何か幸運を授けてくれるとは思わない。そもそも神様がこの世界にいるとは、歴史や今の世界を見ている限り思えない。
ただ、数日後に大家さんが美味しい苺のパックにちょこっとメッセージを添えてドアノブにかけてくださって、神様でなくても誰か一人、何かを分かちあえる人がいたら心は満たされるものだなぁと思った。

さて、そんなこんなの4月も、残り1週間足らず。
最近のトピックは、オリジナルグッズ製作のSUZURIのサービス利用を始めたことでしょうか。
まず去年から制作していた世界地図イラストでバンダナを作ってみたらいい感じの薄さ、軽さで…

世界地図の絵は未完成のもの。左上の日本地図しおりは数年前の作で現在も再販中。

普段からのれんだとか埃よけのバンダナ、手ぬぐいなど布類をたくさん使っているけれど、自分の絵で一枚だけバンダナを作れるってのはお手軽だなと思って、その後も仕事の合間に二柄、追加注文してみたのです。ただの自分用なので無駄な出費だけれど、なんだか楽しい。

非公開のマイショップページ。Tシャツやバッグ、クッションやスマホケースや靴下など、様々な商品に柄を入れたイメージを自分で見られるのが面白い。
実際に作ったバンダナ3種類。

これらは一応来月のデザインフェスタでも賑やかしで展示するつもりだけれど、作って売ったところでほとんど利益は出ないし、ただ自分の楽しみとしての比重の方が大きいです。
普段は取引先様が企画された雑貨の仕事をしているので、自分勝手に「売れても売れなくてもどっちでもいいけどとりあえず何かを作ってみよう」くらいの軽さで何かを進めるのは楽しい。もちろんイベントで順調に売れてくれたらその分、次の自由な創作費になるので嬉しいけれど、売れなくて「あちゃーこの柄は不人気なのね。失敗失敗」と苦笑いするのも楽しみの一つだったりして。

デザインフェスタ用には、世界地図のグリーティングカード(おまけのプチ解説付き)を制作しました(本当は部分的に箔を使いたかったけれど、金額が1桁変わってしまうので断念)。先ほど完成品が届きました。

世界一周旅気分グリーティングカード(おまけ解説つき)

綺麗事のようだけれど、世界地図を作るために色々調べたりしながらイラストにすることで、地球ってわずかこれだけの大陸で成り立っているのかと思ったりして妙に身近に感じて、より一層世界の平和や地球の行く末について祈る気持ちが強くなります。色々とかなり世界はよくない方向へ進んでしまっているけれど、目を逸らさずに現実に向き合いたいです。

そして昨日入稿したのは、NEWしおり。
バンダナにもしたペンギンしおり(フェアリーペンギンをモデルに)と、六地蔵しおり、ファンシーなテイストの羊さんと、友人が好きなサメ(ネズミザメと、ネムリブカをモデルに)のしおり。自分が好きなのはカンガルーなのだけど、思い入れがあるものほどうまく描けなくて、とうとう今回も作れずでした。
バンダナ同様、しおりもかさばらないし軽いところが好きで、A4の一枚の紙に複数柄レイアウトして印刷してから自分でカットします。

現在印刷中。画像は完成イメージ。ダイカットも自分でやります。

このところSNS(とくにX)から遠ざかり、いわゆる「インプレゾンビ」があまりにも多いため閲覧も以前ほどしなくなって、とはいえ好きなドラマの感想を眺めたり展覧会や出版情報を得たり、テレビでは扱われない暮らしや今後に関わる重大な情報、身近なことから世界情勢まで様々な考えに触れることもできるので見ること自体はやめていないけれど、自分が何か発信しようという気持ちはほとんど失せてしまいました。
まぁ何か発信したところで、路上のゴミと同じようにスルーされるだけだろうし、とも。

ただ、私があの日散乱したゴミを拾ったように、ほとんどの人が通り過ぎたとしても、たまに足をとめて見守ってくれたり、あたたかな声をかけてくれる人はいるんだなぁ、とも思います。

そう思える出来事がこの前ありました。
ペンギンが主人公の4コマ漫画(ほぼ実話の日記的な)を載せるアカウントが休眠状態になっていて、「もうこっちは消しちゃおうかな。もう一個のアカウントは何かのサービス利用の時にログインする認証アカウントとして残したいし…」と思っていたところ、その漫画をまとめた冊子の通販希望の方が連絡をくださったのです。「誰かが見てくれていて、こうして手間を惜しまず行動してくださるなんて、ありがたいことだなぁ」としみじみ。

情報が溢れている世界の中にいると、自分の存在がふと、あの時の犬のフンの光景に重なることがあって、自分自身が人の輪や世界から置き去りにされて朽ちてゆく一方で、その様子を今自分が遠くから見て見ぬふりをしているような気がするというか。
ただ、それは自虐ではなくてそう悪い想像でもなくて、砂埃になって消えるまでしぶとくそこに居続けるってのも面白いなぁという気もするというか。

私にとって年一度のひとり文化祭的な取り組み、デザインフェスタの出展については、5月にもう一度お品書きとともにお知らせします。
ここをご覧の方にご来場される方がいるかどうか不明ですが、もし会場にお越しの際はペンギンや世界地図を目印に立ち寄って、あるいは横目で眺めつつ通り過ぎてくださいませ〜

2024年5月18日のみ、東京ビッグサイト南館4F ハニホ堂で参加します。


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