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涅槃図をめぐる休日。

探し物をしていて、肝心のものが出て来ない代わりに別のものが出てくることは多い。今回、同じような経緯でたまたま掘り起こした紙の束(コピーやメモ書きの類)を使って、自由研究的なものをここでしてみようと思う。

ちなみに、出てきたものは涅槃図に関する覚え書きです。

・涅槃図とは

仏涅槃図はお釈迦様の入滅を描いたもので、仏画の中で最も有名な題材の一つだろう。日本では平安後期から制作され、時代ごとに描かれる内容や画風などは変遷したそうだけれど、構図や基本的な要素はおおむね同じなので素人目にもすぐに「あ、涅槃図だ」と分かる。伊藤若冲による「果蔬涅槃図」(大根を釈迦に見立て、取り囲む菩薩や嘆き悲しむ弟子たちや動物らを様々な野菜や果物で表現している)を見て私が「おおー」と圧倒されたり口元がほころぶのも、本家の涅槃図が馴染み深いものだからだろう。

出典:国立国会図書館デジタルコレクション 奥村政信/画 〔江戸中期〕刊 「涅槃図」

※参考に載せた国会図書館デジタルコレクションの涅槃図の他にも、浜松市立中央図書館/浜松市文化遺産デジタルアーカイブ や、奈良国立博物館の収蔵品ページ、文化遺産オンライン国立文化財機構所蔵品統合検索システム(ColBase)などのサイトで様々な仏涅槃図を閲覧できます。
尚、本文中、参考にした2冊の書籍を表すため、該当箇所に★や☆の印をつけ、参考サイトは(参1)などとして最後に紹介します。

・涅槃図に関する紙の束?

では本題に入ろう。
10年以上前、既に隠居の身だった父(現役時代は緞帳や壁紙などのデザインをしていた)がある法人から「涅槃図」を依頼された。正式な依頼、というより打診、というニュアンスだったかもしれない。
父は脳梗塞を発症し、脳血管バイパス手術をした後から高次脳機能障害を抱えており、それとは別にパソコンを扱えなかったことから、先方から手渡されたCDRに収められた参考書籍のデータを私が預かって編集して一部を印刷したり、涅槃図の様式や必要な要素をイラスト入りで簡潔にまとめようとした。あるいは、最終的には私の方で何分の1かのサイズの下書きまでやって、父にはそれをもとに実寸で仕上げてもらうことになるかも、という予想もうっすらしていたかもしれない。

ところが、主要な人(菩薩や帝釈天もおられるので〈人〉と書いていいものか)をメモ程度のつもりで途中まで描き出したところで、作業はストップした。
涅槃図制作の話がいつの間にか立ち消えてうやむやになったか、抽象画を得意とする父には重荷となり本人が断ったのか、今となっては定かではない。ただ、なんとなく気まずさが残り、普段は忘れているのに、たまに出てきて見返すたびに「ああ、これ」と閉じて戻す、その繰り返し。

フリーランスで働いていると、依頼されたのにたち消えたり、約束していたのにうやむやになった気まずい話はごまんとある。これもその中の一つだけれど、それでも長年手元に残していたのは、何かしら惹かれるものがあったからだろう。現に、その後私はおみくじのことを調べて自作したりお経を絵にしたり、両親亡き後、少しずつ仏教の世界へ近づいてきたのだった。noteでいろいろ発表したのだったなと思い出し、今回「仏教関係のことを調べたり絵にしたりする試み」というマガジンを作ってみた。

今思えば、涅槃図制作を父が依頼されていなかったら、今日の私はなかったのかもなぁ。なんてね。

・涅槃図には何が描かれているか

鎌倉後期から画面は縦長になり、描かれる人物や動物の数(種類)が増えたり変わったりして、また見方や解釈(これは誰か、何か)なども諸説あるようだけれど、先述のとおり、おおむね似たような構図となっている。
下図では宝台(宝床とも。お釈迦様=世尊が横たわる寝台)の左側面が見えているが、足の方(右側面)から見た構図もあるようだ。後者が古い形式らしい。

80歳を迎えた世尊(❶)はある日、体の激しい痛みを感じ、側にいた弟子の阿難に三ヶ月後に入滅(亡くなる)することを告げる。少しも欠損がない満月のように仏陀も涅槃に入ることを表すため2月15日を選んで入滅された(★)ので、満月(b)が必ず描かれる。その周辺には雲(飛雲)。ここは古代インドの拘尸那掲羅(クシナガラ)という地で、背後には大きな河(a)が見え、波文様風に描かれることが多いようだ。

跋提河(ばつだいが)のイメージ。これは見本で描いてみたもの。

世尊は北枕で横たわり、上図では右脇を下にした手枕(西向き)の姿勢だが、初期の頃は仰向けのお姿だったようだ。

これは以前、仏像のことを調べたおりに描いたもの。涅槃釈迦。

余談だが私は漫画やイラストを描く時、キャラクターをこのような姿勢にすることが多く、その時いつもかすかにお釈迦様を思い出す(下は4コマの一部)。

さて、宝台の周囲に沙羅双樹(c)が8本描かれている。

国立国会図書館デジタルコレクション 奥村政信/画 〔江戸中期〕刊 「涅槃図」 より(部分)

『大般涅槃経後分』(仏陀の入滅に関することを説く経典)には宝台に対し東西南北どの位置にあるか記されていて、上の画像や高野山の仏涅槃図(国宝、現存最古のもの)など忠実に再現しようとしているのもあれば、宝台にかからぬよう左右に4本ずつ並んだ構図のものも多い。8本のうち4本(右側)が枯れて描かれるのは「世尊(釈迦)の肉体は涅槃に入っても、説かれた仏法は後世に残り栄える」という四枯四栄の考えからというもの(★)と、お釈迦様の入滅(亡くなったこと)を人間や動物だけでなく植物も悲しんで枯れたことを示す説もあるようだ。
左から2本目の枝に引っかかっている錦袋(d)は薬袋という説と錫杖(しゃくじょう)にくくりつけられた衣鉢袋(僧の法衣と食器)という説(★)(参2)があり、個人的には「薬袋を世尊に届けようとねずみが取りに行こうとしたら、猫に邪魔をされたので、涅槃図の多くには猫は登場しない」という物語にも惹かれつつ、錫杖の飾りが見えるので、絵にする場合には後者の解釈を推したい。

以前描いた地蔵菩薩さんが手にしているのと同じような飾りと棒が見えることから、
涅槃図の錦袋が錫杖とともに、沙羅双樹の枝にかけられているのが分かる。

・涅槃図には誰が描かれているか(1)

舞台設定が分かったところで登場人物を見てゆこう。

配置図以外のイラストとコメントは父に説明するために10年以上前に描いたもの。

入滅を知った世尊の生母の摩耶夫人(❷)が雲の上から阿那律(❻十大弟子の一人、アヌルダ。別の表記の場合もあり)に先導されて天上界から降りて来る。
宝台の手前中央で泣き伏している二人は、片方が在家信者(世尊の説法を聞いて発心した)の純陀(❸)で、彼が差し出した料理(きのこ)がもとで世尊が体調を崩し、やがて命を落とす結末に至ったことから、ほとんどの涅槃図ではこうした姿で描かれる。その側で同じく身を伏して嘆き悲しむのは十大弟子の一人で世尊から入滅宣言を聞かされた阿難(❺)。その右側の阿那律(右上の❻と同一人物が別の場面にもいる)がこの場面では気絶した阿難に清水を注いで介抱している。この人は葬儀一切を取り仕切った長老だそうだ。そして現地(クシナガラ)の力士たちも集っている(❹)。この場には世尊の訃報を聞いた菩薩、弟子達(常に侍する十大弟子の他、びんする尊者ら羅漢も)、夜叉、羅刹(鬼神)、そして無数の信徒たちと52類の動物などが集まっているとされるが、見た目の人数は実際を表すものではなく、例えば力士にしても、集団が一人の姿に集約して描かれているようだ。

摩耶夫人と先導する阿那律/国立国会図書館デジタルコレクション 奥村政信/画 〔江戸中期〕刊 「涅槃図」(部分)
泣き伏す純陀と阿難、介抱する阿那律(画面中央付近)/国立国会図書館デジタルコレクション 奥村政信/画 〔江戸中期〕刊 「涅槃図」(部分)

・涅槃図には誰が描かれているか(2)

他に注目すべき参列者を順不同で見ていこう。
まず、老女(❼)。
経典によると、世尊の訃報を聞いた多くの人がやってきてお姿を拝ませて欲しいと望む中で、弟子の阿難(既出の十大弟子)は、世尊が存命中には近づくことが難しかった女性(尼僧や清い信仰の女性)らによる供養をあえて優先した(★)らしい。その中に一人の老女がいて、世尊のおみ足に拝して泣きぬれたという様子が描かれている(❼)。
続いて観世音菩薩(❽)。菩薩衆は宝台の左側や中央奥側に書かれているが、阿弥陀如来の冠を被っている観世音菩薩は、他の人たちが悲しみで泣き騒ぐさなかにあって、取り乱すことなく静かに見守る姿で描かれる(☆)。
そして迦葉童子(❾)。世尊の最後の教えを聞いて悟りをひらいた12歳。涅槃経をまとめ広める役目を担ったという。

❾赤いズボン、とあるのは父にわかりやすくするため赤く描いてはどうかと提案するためのもの。

その他、世尊の主治医(信仰心も厚い)の耆婆(➓)、そして帝釈天(⓫)、かつて帝釈天といつも戦っていた阿修羅(⓭)、仁王(金剛力士)(⓬)などの姿(前掲の部分画像参照)もある。10年以上前には阿修羅が「白い球」を手にしていると書いたが、よく見ると赤い球も持っている。白が月、赤が太陽(参1)を表しているという。

観世音菩薩と阿修羅(前出の国立国会図書館データの涅槃図より)

・涅槃図には誰が描かれているか(3)

有名どころのほか、さらに八部衆の方々など絵にするのは難しくも楽しそうな面々が集っている。10年以上前のメモでは被り物などの特徴はともかく、衣類がテキトーすぎるのが気になる。緊那羅は迷子になった子どものような姿になっているが、これは、写実的な表現のものより版画の方が分かりやすく父の画風にも合うだろうと思い、依頼時に渡された参考書(★)に載っていた、西村重信筆版画涅槃図ー江戸時代(龍晶寺蔵・山口)を手本に描いたため。尚、今回参考に転載した国立国会図書館所蔵の涅槃図も同じ「西村重信画」だ。

10年前にはうっすら色鉛筆で着彩していただけなので、今回色付けするにあたり、大いに迷った。

会衆(その場に集った人々)の数も動物の数もともに古代の涅槃図では少なかったが、鎌倉時代以降江戸期にかけて次第に増えて行ったようだ。虎と豹(㉒)は江戸時代の涅槃図で並んで描かれることが多く、当時は虎がオス、豹がメスと考えられていたらしい(ただ、涅槃経には登場しないという)(★)。象は4本牙や6本牙で描かれ、犀(㉓)は亀の甲羅を背負って頭にツノが生えている姿で描かれる。亀は長寿の吉祥文様で知られる「蓑亀」姿のものもある。

このイラストは2022年に描き足した。蓑亀はポチ袋などの仕事で鶴とともに描くことがある。

保存していた紙の束にあったイラストは獅子までで、獣は数や種類が多すぎて、挫折したのかもしれない。今回、せっかくだからと描こうとしたけれど、やはり上の8種類だけで心が折れてしまった。特に犬(上図下段右から二つ目)だけとっても今と表現が違って難しい…

父は昔、現役時代の後半にある料理店の依頼で、お店の看板用に風神・雷神の絵を描いた。イラストやロゴ的でもあり、また日本画風でもあるような、ほど良い感じの仕上がりだったので、涅槃図にもし取り組んだならば、ほのぼのと面白い絵になったかもしれない。

・自分なら何を描くか(動物)

最後に、これから自分が仏涅槃図を描くなら、という想定で自分なりに整理しておきたい。もう、資料を見せるはずだった父もいないし、予定もないのだけれど。

涅槃図はネット上や参考書籍で様々な年代、様式、画風のものを閲覧することができるが、目で見ただけで、その動物が何かは判然としないものも多い。

国立国会図書館デジタルコレクション 奥村政信/画 〔江戸中期〕刊 「涅槃図」(部分)

今回参考画像として載せた国立国会図書館所蔵の涅槃図(江戸中期)を見て「たぶんそうだろう」と推測できるのは、以下の通り。

獅子、象、サイ(水犀)、迦陵頻伽、クジャク、カメ、ツル、
鼠、牛、虎、兎、龍、蛇、馬、猿、鶏、犬、猪、羊
(ツバメの右横を羊と判断)
ツバメ、スズメ、猫、カエル、ヤギ、キジ、ツル、ミミズ(象の上をミミズと判断)

次に、九州国立博物館所蔵の仏涅槃図(鎌倉時代)をもとに作られたクイズ「さがしてみよう!仏涅槃図の中のどうぶつたち」の答えのページにあるのは以下の通り。上述の動物と違うものは太字、共通するものには*をつけることとする。

*獅子、*象、*サイ(水犀)、*迦陵頻伽、*クジャク、*カメ、*ツル、
*鼠、*牛、*虎、*兎、*蛇、*馬、*猿、*鶏、*犬、*猪、*キジ、
*カメ、*カエル、*ヤギ、麒麟、鳳凰、カラス、サギ、オシドリ、ハト、鹿、
ギンケイ、ガチョウ

さらに、浜松市歴史資料の涅槃図を見てみると、正泉寺蔵のものには、

蝶、バッタ、セミ、カニ、カタツムリ、カマキリ、バッタ、コオロギ、オケラ(判然としないがキツネ、タヌキ、イタチ風のものも)

などが描かれ、龍秀院蔵のものには、

上述のもの以外に、ハチ、ムカデ、ヤスデ、シャクトリムシ?、クモ、ヤモリ、イモリ、蛾、アリ、エビ、タニシ、アサリの他に貝類も多数描かれている(多くは、ノアの箱舟で描かれるようにつがいである)。また、背中にふさふさの毛を生やした猫は「ジャコウネコ」ではないかと浜松市立中央図書館のサイトでは解説が付けられている。

同じ浜松市文化遺産デジタルアーカイブ の中の随縁寺蔵のものには、コウモリが描かれている。

今回も10年以上前にも涅槃図のことを知るための主な参考書とした『よくわかる絵解き涅槃図』竹田史博 著 (青山社  平成20年11月20日初版発行 ★)に掲載されている「土佐行広筆涅槃図ー宝徳三年(1451)/京都市上京区・興聖寺蔵」をもとにした配置図(動物名は『日本の美術』No.268参照、とのキャプションあり)には、それまで判明しなかった、または登場しなかった生き物たちの名前が記されている。

フクロウ、イタチ、*ヒツジ、タカ、トカゲ、セキレイ、メジロ、雁(カリ)、ワシ、クマ、キツネ、ハマグリ

同書(★)117ページには、江戸期に制作された東福寺本とされる涅槃図(龍晶寺蔵)と、その手本となった中国から伝来した京都・長福寺の涅槃図(日本経済新聞1990年8月11日[美の回廊]虚実動物図鑑③より転載、とのキャプションあり)を並べて、猫が描かれた経緯などが語られているが、他の動物たちに、フタコブラクダ、マングース、コウノトリ、オウム、リスなどの表記(原本に描かれているのではなく推察によるものらしい)があり、そのバリエーションの豊かさに驚く。


あとは、検索の途中で「なめくじまで描かれている」という話や、アメンボらしき姿もどこかで目にしたので、出典不明ながらこの二つも追加しておく。
そんなわけで、今回目にした生き物(判別したものに限る)をまとめてみた。

獅子、象、サイ(水犀)、迦陵頻伽、クジャク、カメ、ツル、麒麟、
鳳凰、鼠、牛、虎、兎、龍、蛇、馬、猿、鶏、犬、猪、羊、鹿、

クマ、猫、ヤギ、キツネ、イタチ、フタコブラクダ、マングース、リス

カラス、サギ、オシドリ、ハト、ツバメ、スズメ、ギンケイ、ガチョウ、タカ、ワシ、セキレイ、メジロ、雁(カリ)、フクロウ、キジ、コウノトリ、オウム、

エビ、カニ、タニシ、アサリ、カエル、ヤモリ、イモリ、トカゲ、ハマグリ

ハチ、ムカデ、ヤスデ、シャクトリムシ、クモ、ナメクジ、アメンボ、オケラ、蛾、アリ、蝶、バッタ、セミ、カニ、カマキリ、カタツムリ、バッタ、コオロギ、


・自分なら何を描くか(人物・動物)

最後の最後に、涅槃図のまとめを図にしてみた。

参考文献は★☆2冊。涅槃釈迦、阿修羅や帝釈天などの絵は以前仏像の調べ物をした際に描いたもの。

もし自分が描くなら、主要人物や菩薩衆、八部衆など絵になる方々、そして動物は、必須(獅子、象、迦陵頻伽)、主要メンバー(鶴、亀、虎と豹、水犀、麒麟、十二支)、虫(チョウ、トンボ、アリ、バッタ、クモ、ミミズあたり?)そしてつがいで描くなら、雌雄で姿の差が大きく絵になるオシドリ、孔雀、キジ、フユシャク(蛾)などもいいかもしれない。他に、イモリ、ヤモリ、貝類などを入れたい。猫は、涅槃図のなかで、あるいは干支のメンバー入りしない話も含めて諸説あるようだが、私は絶対に入れたいと思う。

・おわりに

はじめに、と書くのを忘れたので「おわりに」もないもんだと思うのですが、「まとめ」とするほど何か理解できたわけでもないのでお茶を濁してこんな感じに。

今年3月から4月にかけて、ある雑貨の仕事の関係で、動物、昆虫、海の生き物、など70種類くらいの生き物のイラストを描いたことがあった。
例えば「クジラ」と表記してそこにイラストを一種類だけ描くのだけれど、ザトウクジラを描くのかマッコウクジラを描くのかシロナガスクジラなのか、その判断は任されていることが多く、とても迷った。「クラゲ」なども、クラゲといえば、と思いつくイメージはいくつかあって、けれど知育玩具の範疇にも入る可能性があるので曖昧なものではなく何か特定の種類を描かないとダメだろうと思い、どのクラゲを選ぶべきか、大いに迷った。どんなに小さな昆虫でも様々な種類があり、その中で「誰でも知っているイメージ」に集約するのは、何となく複雑な心境になった。
涅槃図をいくつかネット上や参考書で目にしていて、私はそのことを思い出していた。同じようなテーマで描いてはいても、その時代、その作者のねらいのようなもの、どのようなニーズがあったのかは違い、中国から伝来したものを手本に作られ、数が増え、広く普及する中で変遷して行った、その「違い」「誤差」「個性」のようなところを今後は注目して見てみたい。
いつか来たるべき日のため、自分の家に欲しいと思うのは、阿弥陀様の来迎図(阿弥陀聖衆来迎図)だけれど、もし自分が描くなら、と考えたときには、絶対仏涅槃図だなとも、このたび実感しました。

・参考文献、参考サイト

★   『よく分かる 絵解き涅槃図』 竹林史博(青山社 2008.11.20 初版発行)
(本文中でも参考にした涅槃図を所蔵されている、山口県 龍晶寺のご住職)

☆  『絵は語る2 高野山 仏涅槃図ー大いなる死の造形』 泉 武夫(平凡社1994.3.15 初版発行)

参考サイト 
・涅槃図画像:国立国会図書館デジタルコレクション(本文中にリンクあり)
・涅槃図参考:浜松市立中央図書館/浜松市文化遺産デジタルアーカイブ 
・涅槃図参考:奈良国立博物館収蔵品ページ、文化遺産オンライン国立文化財機構所蔵品統合検索システム(ColBase)九州国立博物館
・参考1:【鹿島の涅槃図〜受け継がれてきた文化遺産ギャラリートーク「個々のスケッチから読み解く岩永京吉の涅槃図」】(興善院像/講師:岩永京吉美術館 館長 石川宗晴)
・参考2:ブログ【新米和尚の仏教とお寺紹介】「錦袋には薬が入っているのか、それとも食器が入っているのか(涅槃図)」(静岡市 東光寺)

*おまけ

今回、これまで書いた仏教関係の記事をまとめて「仏教関係のことを調べたり絵にしたりする試み」というマガジンを作り、仏像に関する記事を見直したら、そこに涅槃図が出てきた。母が遺した四国八十八ヶ所の『御本尊御影保存帳』にあったなかの一枚、第九番法輪寺の御本尊だ。そのとき心惹かれたことをあらためて思い出した。獅子や鶴、亀などが愛らしい。絵の中に優しさが溢れている。