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KOJIKI-<響②>

さて、イザナギ、イザナミの二人の神様は
泥の海の中に ぽつんと誕生した島に
とてもとても小さな島に降り立ちました。
小さな島でしたが、あやなすものは 大きな柱のような
磐岩のような、樹々のような
誠にふしぎな形をしたものが出来ていました。
島の中心のその雫が高く つみあがって 塔のようになったところは
まるで 天の御柱のようででした。

二人は これを天の御柱とみたて
男女(おめ)の結びを固めなしました。
海の中でうまれた 小さな島で二人の神様は一つになり 一つの命から 
沢山のいのちがうまれました。
イザナミノミコトが 次々といのちの島々を産みました。
水至子(ひるこ)
淡島
淡路島
最初にうまれた水至子は まだはっきりとした形をなさないため
海のかなたにながしました。
淡島もまた、足がしっかりたたず
形をなす事が出来なかったため
泥の海に戻してあげました。

そして、次になした子(島)は
「淡道之穂之狭別島」(さわけのしま)でした。
さて、この淡路の穂の・・・は淡路島と言われていますが
ある学説では、愛媛、吉備にあった島 瀬戸内の別の島ではないのか
という論もあるようです。
これは、後に続く邪馬台国の九州説、畿内説にも続く
ある意味では大変興味深いお話です。

しかしながら、個人的には、淡路島と思いたい理由が沢山ありました。淡路島に上陸をした際にその地名や由来などを考えると
伊勢や、出雲、三輪大社にも共通する多くの地名があり、
伊勢神宮からの太陽のライン(《北緯34度32分》太陽の道)を鑑みてもやはり、國うみ伝説は淡路島あってこそ・・・と思う私です。

この地図は、お友達から随分昔かりた本なのですが、本の名前がわからなくなってしまいました。どなたかご存知であれば教えてください。

(知られざる古代―謎の北緯三四度三二分をゆく・・・じゃないような・・・。そちらの本はこの図だったよなー。

例えばこの太陽の道から派生する五芒星の一つの多賀大社。
イザナミ、イザナギ伝説のある大社です。
ここは小さい頃よく初詣にお参りにいきました。
小さい頃、「おたか、おいせの こ でござる」
と おじゃみを していた事があります。

なんだろうー?

と、思いながら修学旅行に伊勢神宮にお参りに行きました。
小学校中学校では、伊勢神宮が一番の神社のような全ての神様の祖であるような授業が受けて記憶があるのです。

古事記がわかり始めると、いろいろなことがわかり始めます。

この伊勢神宮の《北緯34度32分》太陽の道の冬至の方向にあるのが出雲大社と言われ、伊勢神宮との表裏一体である・・・というお話もあります。

あまりより道すると先に進まないので、せっかくだから多賀大社のことを。

こちらは多賀大社

 名物の糸切餅と言えば、赤と青の3本の線が特徴的。その起源は13世紀の「元寇」の役と言われています。 二度にわたって元(モンゴル)が襲来してきた出来事として日本史で習った、あれです、あれ。
 当時は必勝祈願のため武士たちが多賀大社を訪れていました。結果、神風が起きて元からの襲来を免れたことから、武士たちは元の旗印を模した3本線が入った餅を供えたそうです。夏場は持ち帰りができませんので、涼しい時期に行くのはオススメです。

多賀大社は滋賀県にある神社で近江鉄道に乗って行きます。

今も鉄道むすめが「登場」してくださっているのかどうかは存じませんが、鉄分多めな方にはそれなりに楽しめます( ´ ▽ ` )

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