KOJIKI<猿田毘古大神②>
トップのお写真は猿田彦神社からです。
さて、威風堂々と一行を待ち受けていたその神
猿田毘古大神 はいっこうに驚く様子もなく
「わかりました。
私はあなたたち一行を ここにいて待ち受けていました。
地上の神々 国つ神々を代表して
私が天孫ご一行の皆様を道案内して
無事、葦原中国まで送り届けましょう」
そう言って
猿田毘古大神 は先導し道案内をしました。
道案内の役目をつつがなく果たし終えた猿田毘古大神 は
天宇受売命に送られて
伊勢国に戻りました。
その伊勢の阿邪訶(あざか)の地で
猿田毘古大神は
比良夫貝に手を挟まれて溺れ沈んでしまいました。
今はこの場所は阿邪訶(あざか)神社(松阪市)があります。
もちろん祀っているのは猿田毘古大神。
三重県には他にも猿田毘古大神を祀っている
椿大神社、猿田毘古大神社があります。
三重県のゆかりが深いということは、
伊勢神宮にも縁がある「太陽神」であったと類推されています。
太陽の道ロードの出発点の元伊勢も
この三重県の三つの神社のトライアングルの中にあるなど
なかなか歴史的には興味深いところです。
猿田毘古大神が沈みゆく時の名は「底どく御魂」
海水(うしお)が つぶたつときの 名は「つぶたつ御魂」
泡がぶくぶくと 裂けて散る時の名は「あわさく御魂」と言います。
猿田毘古大神は大変不思議なことに
海の中に沈みゆきながらも
三つの魂に分かれ変じたのです。
「道案内」をした猿田毘古大神が 「道祖神」となり
現在でも「導きの神様」として崇拝されている由縁がわかりますね。
猿田毘古大神が祀られている神社として特に有名なのがこちら
椿神社です。(こちらも椿神社のHPから)
椿神社の解説を少し
椿大神社の御祭神・猿田彦大神さまは「みちびきの祖神さま」として広く崇敬されています。天孫降臨の先達をなさったので、「導き」の神様となり、松下幸之助氏が深く敬愛した神社としても有名です。
黄金萬両御守は 純金箔が施された護符。(少しお高めです。)猿田彦大神様の偉大なる知恵・力・勇氣を無量に無限に受けとれる護符として人気です。
この図形は・・・。
鞍馬寺にあるあの場所と同じ図形です!
天狗のイメージがありますが、東京の日枝神社に行に祀られている猿田毘古大神は、どちら方というと江戸城の鎮守の守り。
太田道灌公が江戸の地を相して築城するにあたり、鎮護の神として川越山王社を勧請したのが日枝神社ですが、猿田毘古大神の子孫が大田氏。大田道灌と大田氏の関係もきになるところです。
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