シェア
さかき きこ
2020年7月4日 20:25
崇神・垂仁・景行の三天皇は大和に皇都を持ちましたが、神功皇后の夫、仲哀天皇は、皇后に会った後、天皇は熊襲(九州南部の豪族)を討つ準備のため山口県穴門(あなと)に向かい、豊浦に宮を設けました。今の山口県の下関に穴門豊浦宮をきづきました。このとき皇后は同行はなさらず、天皇のみの出立でした。 今の忌宮神社内に石碑があります。 2年後、天皇は豊浦に来た神功皇后を伴い、熊襲を討つため軍を率い、筑紫
2020年6月28日 20:57
今年は中止となってしまった、京都・祇園祭。この祭の前祭(さきまつり)の山鉾巡行(毎年7月17日)で最後尾を進む船鉾(ふねほこ)の恒例儀式「神面改め」というのがあります。関係者が古式にのっとり、面の無事を確認するのですが、この面はご神体の神功皇后像につけるものなのです。YouTubeの動画もあります。この行事を行う方は、口に懐紙をくわえなくてはなりません。それは大切な神面に息がかからないよ