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私の地獄行きが決定しています。

・Piercing
 
節目節目にきちんと物事を解決できない者だけが落ちる地獄はあると思う。今もいつ自分がその地獄に落とされるのかと毎日怯えながら過ごしている。

もちろん、大人になるにつれて物事白黒付けない方がうまく行くことも増える。物事が全て単純明快ならこの苦しみもきっと無いだろう。それか自分のネガクソ脳を、ハッピーバイブスクソ脳マジョリティと並列で接続させてもらえれば消費カロリーもゼロで済む。

まあしかし、ピリオドは重要だ。去年は日常に追い回されながらそれらの仕分けをずっとしていた。ざっと仕分けた結果解決せにゃならん大きいものは家族との確執だの長年の未練、などがあるだろうか…あとは寝床に入ってから浮かぶ大小様々な後悔や自責の念もそうだ。それらはダニノミと一緒で、殺しても殺しても抜本的な解決ができない限り無限に湧く。とりあえずスルー。

ひとまず大きいことを片付ける準備をしよう、そう思い立って私は物理的なピリオドを打ってみることにした。そう、ピアスである。


私は何事も形から入りたいタイプだ。コーヒーもミルやステンレスフィルターから買った。豆とやり方は一番最後。まあなんとか現在継続中。筋トレもダンベルや腹筋ローラーを揃えて「Fit Boxing」を買った。まあ現在断念中。

熱情が続くかはさておき、自らの節目に象徴は必要だ。そう思ってピアスを探したり、ピアスホールの開け方を検索してみたが、いまいち歩が進まない。ふと思い返すと、私はピアスとも確執があったことを思い出した。

思えば5年前10年前、ピアスを開けることは自分にとって「禁忌」だった。家庭は厳格なクリスチャンで、幼少期から礼儀作法や一般教養に煩く、ピアスタトゥーはご法度で(それらは現在の日本社会でもマイノリティではある、土器こね回してた時代からしてたやろが)、自分の痛覚が鋭め、というのも手伝って自らがピアスを開けることに関してかなりの忌避感を抱いていたように思う。

しかし、ずっと考えているうち、自分がピアスを開けることで、家族の呪縛から逃れられるかもしれない。という希望を見つけた。いくら成人を過ぎ、年を重ねようとも家庭環境に起因する人格の歪みやネガティブな精神構造はなかなか変わらない。しかしこれはある意味レジスタンスだ。自分へ発破をかけよう、自分のスタンスを無言のうちに示すカウンターパンチを決めねばならない。そう思えば痛みなど気にすることもないだろう。

それに、長年の未練にもこれでピリオドが打てる気がする。小学生1年生なら卒業してるくらいには長年の恋だったわけだが、こんなものは織姫と彦星に鼻で笑われるレベルだろう。まあもっとも、織姫彦星カップルと違ってこちらは相思相愛ですらない。あのリア充の足元にも及ばない。星々に変なストーリーをつけてロマンチックになるな。馬鹿か。
まあなんやかんやあって5、6年の恋にも度々冷却時間は存在するもので、思い出はたくさんあるものの、ふとしたきっかけで再燃化をやめたら燃え尽きてしまったという具合か。この話題は尽きないので気が向いたら別解答でも良い。
実際この問題はピアスを開けようと思い立つだいぶ前に一時解決をしていたのだが、妙な未練だ執着というのは厄介でいつまでも部屋のそこかしこにへばりつくものだ。それらを完全に無くすための儀式としてもこのピリオドは必要だろう。

そうして私はピアスによって自分の肉体と精神に一時的な終止符を打つ決意を固めた。そうと決まったら実行だ。そこで自分の耳に大穴から小穴まで20個以上穴をぶち開けているピリオド打ちまくりの愛すべき友人にピアッサーを渡して、右左に順に開けてもらうことにした。消毒と冷却をして、耳たぶに針が触れるのを緊張しながら感じつつ、ガシャン。ピアッサーが耳たぶを貫く乾いた音を聞いた時、自分の気持ちが心なしか晴れやかになった気がした。そうして今私の耳たぶには小さな穴が二つ開いている。

別に耳に穴が空いただけだ。何も変わらない日常だ、耳の痛みもしばらくすれば収まるし、ピアスホールは傷だからピアスを入れなくなるとすぐ塞がって開けた事実さえもなくなってしまう。それに、問題は何も解決せず目の前に立ち塞がったままだ。でも、あのジクジクした痛みやピアスを開けようと決断した気持ちは今も忘れない。それは紛れもない事実で、それによって前に進むための一歩を踏み出せたのだから。

こうやってフカしてみても、どうせ人生のピリオドは打てたり打てなかったりだ。現にこの文章も1年くらい前に勢いで書いたものの途中で、推敲してるふりをしながらずっとアップせずに下書きボックスに入れっぱだし、かの友人は気づけばスルスルと恋人になって横で大層ないびきを立てている。こんなしょうもない自分はやはり地獄行きだろう。

これからの人生もどうせ厄介で、ある問題を解決すれば別の問題がワニワニパニックのようにこちらを嘲笑いながら浮上してくる。それに問題の種類も様々で、時が解決したりしなかったり、本質を見極めるのにもとても骨が折れる。しかし時が解決しない問題に対してはなんらかの方法でこれからもケリをつけて生きていくしかない。そう、ガシャンと穴を開けたあの時のようにして。閻魔様の眼球にニードルを深く深く突き立てるその日まで。

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