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バラの歴史からみたマリア様がみてる「黄薔薇革命」と「ソレイユ・ドール」

ごきげんよう、はねおかです。
前回は、「地味な生徒、福沢祐巳」と「地味なバラ、ノイバラ」から話をしてみました。

今回は2作目、「黄薔薇革命」です。

マリみて世界においては、上級生と下級生の差は絶対とされ、下級生が歯向かうなど論外とされています。
そこに、妹から姉妹を解消するという、前代未聞の事件が起こる…といったお話。

バラの花色は色々ありますが、原種系バラの名前を付けられているマリみて世界。
そのうち、真に黄薔薇を名乗れるのは、ロサ・フェティダだけです。

白いバラは、ロサ・ギガンティアだけではありません。ロサ・アルバにロサ・セリケアなどが。
赤いバラは、ロサ・キネンシスだけではありません。ロサ・ガリカなどが挙げられます。

いわゆる「薔薇戦争」と呼ばれる戦争があります。
ヨーク家とランカスター家の争いで、両家の紋章がバラをモチーフにしていたから薔薇戦争。
ヨーク家は白いバラ「ロサ・アルバ」、ランカスター家は赤いバラ「ロサ・ガリカ・オフィキナリス」がモチーフとされています。

ですので、「白いバラといえばロサ・ギガンティア」だとか、「赤いバラといえばロサ・キネンシス」という訳ではありません。

では、原種の黄薔薇はどれくらいあるのでしょうか?

ロサ・クサンティナ・スポンタネア(カナリーバード)

ロサ・プリムラ

ロサ・ペルシカ(写真は交雑種のロサ・ハルディ)

ロサ・バンクシア(キモッコウバラ)

他にも、ロサ・エカエ、ロサ・フゴニスなどがあるようですが、未だ実物を拝むことができず、写真はありません。

そして、我らがロサ・フェティダです。
これは特にロサ・フェティダ・ルテアと呼ばれる一重咲き品種です。

そして今回ご紹介したいバラが、ソレイユ・ドールです。

ソレイユ・ドール(Soleil d'Or)

分類:ペルネティアナ(ハイブリッド・フェティダ)
樹形:半つる性
四季咲き性:繰り返し咲き
花色:八重咲きの淡いオレンジ

現代バラからすれば、パッとしない、見劣りのする花色ではあります。
しかし、時は1898年。
当時のバラはピンクなどの花色のハイブリッド・パーペチュアルばかり。
オレンジのソレイユ・ドールは見た人々の驚きを持って迎え入れられたことでしょう。

当時、”黄色のバラの作出は不可能である”という風潮があったそうです。
人工交雑の手法が発見、確立され、幾多の育種家が考え、憧れ、そして挫折した黄色のバラの誕生。
それに唯一立ち向かったのが、リヨンの魔術師と呼ばれた育種家、ジョゼフ・ペルネ=デュシェでした。

ソレイユ・ドールは、アントワーヌ・デュシェというバラと、ペルシャン・イエローというバラから誕生しました。

学名はロサ・フェティダ・ペルシアーナ。
ロサ・フェティダの八重咲き品種です。

こちらが一重咲きのロサ・フェティダ。
花びらの数が多くなっています。

バラ科の花は、花弁数は5枚が基本です。
イチゴの花やサクラ、ウメなどですね。
とはいえ、バラもそうですし、サクラも花弁数が5枚より明らかに多いものがあります。

かつて、紀元前の時代。
人々はほぼ全裸に近い姿でいた頃。
バラのオイルは非常に重宝されていました。
そのオイルのために、バラの花弁が求められました。
当然莫大な量を、です。
今ほど栽培技術のない時代に、それは困難だったでしょう。

バラの雄しべは、花弁に変化する性質を持っています。
恐らく最初は突然変異で花弁が増えたバラが誕生したのでしょう。
当時、既に挿し木によるバラの栽培技術が確立していたことから、たまたま花弁の増えたバラをどんどん増やしていったのでしょう。
人々の求めに応じるためにー

さて、雄しべが花弁に変化すると、困ることもあります。
それは、交配させるための花粉が足りなくなる、ということです。

バラの品種改良は、交配させるバラの花粉を人の手で受粉させて行います。
花粉は雄しべが作り出しますから、雄しべが花弁になってしまっては、花粉が少なくなってしまうのです。

とりわけ、ロサ・フェティダ・ペルシアーナは、結実しにくい(実になりにくい)不稔性という性質を持っていると言われています。
花粉も少なく、実にならないのでは、新しいバラを作ることは不可能です。

それらを乗り越え、アントワーヌ・デュシェとの間に生まれたバラこそが、ソレイユ・ドールなのです。

さて、話をマリみてに戻しましょうか。

令さまと共に歩むため、関係性を再構築したかった由乃さん。
令さまが由乃さんにロザリオを渡した時、色々な困難があることは想像に難くなかったでしょう。
そして、心臓の手術に踏み込んだ由乃さんも。
それでも、何故、そうしたのでしょうか。

欲しかったんです。
令さまは由乃さんが。
由乃さんは、令さまが。

困難は二の次、三の次で。

ペルネはソレイユ・ドールを作出するために、何千回と交配を試行したそうです。
令さまと由乃さんも、様々な衝突をしてきました。

それらの上に花開いたこのオレンジのバラは、まさに黄金の太陽(Soleil d'Or)と言えるでしょう。

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