マリみてSS「Risa Risa」

お題:内藤克美(2020/06/03日分)

人生最大の緊張は、ある平凡な日々の中に訪れるものだ。
なにかの記念日でもないし、なにかの試験があるわけでもないし、なにかの試合があるわけでもない。
ある休日。
それは私にとっての、最大の勝負の日になった。

夜、家に電話がかかってきた。
たまたま近くにいた私が受話器を取ると、相手の声におもわず手にした受話器を落としかけた。
「夜分に失礼致します。私、リリアン女学園の鳥居と申し」
「え、江利子さん!?」
「あら、その声は克美さんね」
丁度良かったわ。突然の電話に戸惑う私に、江利子さんは捲し立てるように話し続けた。
どうやら、お付き合いしている教師や、それを快く思わない家族とで、フラストレーションが溜まっているようだった。
「それで、次の日曜日にでも、お時間あったらお茶でもして話せないかしら?」
「えっ…?」
「あら、ご都合が悪いようでしたら無理にとは言わないけれど」
「大丈夫、空いているわ」
江利子さんと二人きり。
緊張は伝わってしまっただろうか。私は平静を装いながら、日時と集合場所をメモ帳に書き殴った。
それじゃあね。江利子さんの言葉に受話器を置くと、溜息が漏れた。電話機から伸びる電話線は。私の緊張を送信せずにいてくれたようだ。
「お姉ちゃん、誰からだったの?」
リビングから笙子が顔を出していた。
「今度の日曜日、江利子さんとお茶をしに行くことになってね」
私は努めて事務的に答えようとした。
「それって、デートだよね」
「バカなことを言わないの。江利子さんにはお付き合いしている方がいらっしゃるんだから」
私は妹の顔を見ずに部屋へと戻った。
妹の手前、ああ言ったものの、これは私にとっての初デートである。
部屋の扉を閉めると、私は頭を抱えて座り込んだ。

それから当日まで。日々をどう過ごしたのか記憶がない。
江利子さんとデート。その事実が頭に浮かぶ度に、それを打ち消し続けてきた。
同級生と、楽しくおしゃべりをするだけ。
そう、それだけじゃないか。
女心の分からない彼氏の愚痴を聞いてみたり。
お互いの近況を話してみたり。
過去の話をしてみたり。
そう、それだけじゃないか。
真面目な両親には、前もって日時と場所を伝えた。
同級生と会ってくる、とだけ。
笙子はそこでは茶化してこなかった。
本当に、ただそれだけなんだから。

いつだっただろうか。
笙子が遊園地に遊びに行った時だ。私のコートを借りたいと頼みに来たことがあった。
武嶋蔦子との遊園地には、笙子は並々ならぬ気合と覚悟を抱いているようだった。
私が承諾すると、笙子は瞳を輝かせて私に抱きついてきた。
その時は私は苦笑いを浮かべていたが、今は自分自身に苦笑いを浮かべている。
自分が相手にどう見られるか。それを今日ほど意識させられた日はない。
とはいえ、私は笙子から衣類を借りる気にはなれなかったけど。

身支度を整えると、家を出た。
三月の風は、まだ肌をさすように冷たい。
私はコートの前を閉めた。
自分の中にある緊張が、外に漏れてしまわないように。

待ち合わせのカフェで待っていると、程なくして江利子さんは現れた。
トレードマークのヘアバンドは、今日も健在だ。
待たせてしまったかしら、という江利子さんに、全然と答えてコーヒーを啜った。
緊張なんかいらないよ、って。そんな気持ちと一緒に。

どのくらい話しただろうか。
江利子さんがほとんど喋っていたのだが、私は充分に楽しんでいた。
リリアンにいた頃に、どうしてこのような楽しい時間を過ごしていなかったのかと、軽い後悔の念を覚えるほどに。
でも、それは言っても仕方がない。
憎たらしくて、羨ましくて、憧れていたあの人と。今はこうして楽しく過ごせているのだから。
「愚痴を聞いてもらってありがとう。楽しい時間を過ごせたわ」
言い切ってすっきりした江利子さんは、満面の笑顔で微笑んだ。
「私で良ければ、いつでも聞いてあげるわよ」
「そう?それならまたお願いしちゃおうかしら」
それは紛れもない、私の心からの言葉だった。

会計を終え店を出ると、見覚えのある顔が現れた。
「あら?あなた確かバレンタインの時の…」
「笙子!?」
恐らく、私達が出てくるところを張り込んでいたのだろう。まだ寒い中、どれだけ待っていたのやら。寒さで赤くなった顔を見たら、怒る気も失せてしまった。
「江利子さま、この子はうちの新人でして。よかったら写真を取らせてあげてくれませんか?」
隣りにいた蔦子さんがそう言うと、リリアンを卒業してからは誰からもちやほやされていなかったのよと、江利子さんはノリノリだ。
「折角なんだし、克美さんも一緒に写りましょうよ」
江利子さんが私の手を引く。
これが笙子の狙いだったのか。いつぞやの入園チケットのお礼は、ツーショット写真だと。
リリアンにいた頃なら、私は怒ってこんな事には参加しなかっただろう。でも、今ならば。
「お姉ちゃん、笑顔、笑顔!」
上手く笑えたかは分からない。
それでも、今が一番楽しいことだけは、間違いなかった。

数日後。笙子は出来上がった写真を手渡した。
「これで、入園チケットのお礼はできたよね」
「一人前な事を言って…これは蔦子さんが撮った写真でしょうが」
バレちゃったか。そう言って舌を出す笙子が差し出したもう一つの写真は、どれもピントが合っていなかった。
「じゃあ、次こそは上手く撮影してあげるって」
ムッとして尖らせた笙子の唇を、私は人差し指で押さえた。
「もう来なくて結構よ。デートなんだから、邪魔しないでいただきたいわね」

あとがき
リサリサ。リサがフランス語で「笑顔」の意味で、それを2つ重ねる事で「笑顔が重なる」という意味を持たせたそうです。読み返してみると、ちょっと展開が強引気味ですね。
60分制限がなければ、間を広げてやりたかったですが…内藤克美さまは、江利子さま大好きキャラというのが珍しいので、書いてて面白いキャラクターですね。

リサリサ
分類:フロリバンダ・ローズ
作出:木村卓功(ロサ・オリエンティス)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?