マリみてSS「Be Free」

お題:武嶋蔦子(2023/01/25)

ここ、リリアン女学園では、噂の回るのは早いもので。
いや、もしかしたら、女子の間ではそうなのかもしれないが。
兎にも角にも。
噂話は、聞く分には楽しいのだが。
自分がされる側になると、結構辟易するものだ。
と、蔦子は思うのだった。
笙子ちゃんが写真部に入ってからというもの、どうも二人セットで扱われているらしい。
蔦子にその気はないのだが、この学園で先輩後輩が並んでいれば、それだけで姉妹にされてしまう。
(先輩と後輩なんて、何通りあると思ってるのよ…)
色々な生徒たちを、蔦子は見てきた。
姉妹も。
姉妹でないものも。
姉妹にならないまま去っていった生徒だっていただろう。
この学園で姉妹になることは、それだけ大切なことなのだ。
(軽々しく扱わないでもらいたいものだわ…)
人と人との付き合い方に、正解はない。
こればかりは、世の数学者だって、答えを導き出すことは出来ないだろう。
「あら、蔦子さん。妹さんはどうしたの?」
通りすがったクラスメイトがそう言ってくる。
こんな茶化しは、何度されただろうか。
「お生憎様、妹なんかじゃないわよ」
蔦子は仕返しとばかりに、振り向きざまにレンズを向け、シャッターを切った。

かつて、私が焚き付けた祐巳さんは、祥子さまと共に歩む道を選んだ。
かつて、私に悩みを打ち明けた志摩子さんは、乃梨子ちゃんの手を取った。
二人共、それは素敵な姉妹になっていた。
被写体として素晴らしく思えるのは、それは彼女たちが心から充実した時間を過ごしているからだ。
曇っている顔が嫌いな訳では無いが、輝いている写真の方が、撮影していて楽しいのだ。

そういえば、かつての白薔薇さまに「カメラちゃん」と呼ばれていたことを思い出した。
それは、私にとってはとても心地の良いものだった。
カメラマンの役割として、その輪の中に加わることが許されているということ。
そして、一歩引いた部外者の立場であっても許されているということ。
前に行った遊園地では、カメラマンではない武嶋蔦子という存在が、どう扱われるのか不安があった。
それが、どうだろうか。
友人たちは、カメラのない武嶋蔦子をそのままに受け入れてくれた。
そして、遊園地というイベントを心から楽しめた。
あんな感覚は、後にも先にも、あれだけだった。

初めてカメラを触った時。
どうして撮影ができるのか理解できなかった。
中に何があるのかも分からなかった。
カメラは、人生そのものだ。
中にあるものは分からない。
それでもファインダーから見える世界を、切り取っていく。
うまくいくかどうかは、ネガフィルムを現像してみなければ分からない。
やってみなければ、失敗かどうかさえ、分からない。
(やってみる、か…)

今、私は道を歩く。
今、私は未知を征く。
はじまりに戸惑いはつきもので。
その時に見える景色はどんなものだろうか。
視界は開けている。
心の中で自分に言い聞かせる。
道を。
未知を。
行け。
そして、それさえ楽しんで。
「笙子ちゃん」
そう呼ばれて振り返る笑顔は、とびきり輝いて見えた。
「話があるんだけど―」

あとがき
Be free。直訳すると「自由になれ」といった感じてしょうか。
緑黄色社会の「ミチヲユケ」を聴いていて思い付いたSSです。
結局作中では姉妹にならなかった二人ですが、こういうのも悪くないかな、と。
蔦子さんには、曲のように未知を楽しんでもらいたいですね。


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