マリみてSS「Carpe Diem」

お題:制服(2020/10/28)

暦の上では春。
それでも頬を撫でる風は、まだ冬の冷たさを引きずっているような冷たさで。
いや。
引きずっているのは、自分の心なのかもしれない。
冷たく感じているのは、寂しさの表れなのかもしれない。
大丈夫。やっていける―
ロザリオはもうないけれど。胸元で懐かしきその感触を探している手を、強く握りしめる。
春はもう、すぐなのだから。
「祐巳ちゃん」
錯覚かと思ってしまった、懐かしい声。
「聖さま!」
リリアン女学園と大学の、ちょうど分かれ道で、軽く手を挙げるその人に祐巳は駆け寄った。

「今日は祐巳ちゃんに、これをあげよう」
ニンマリ笑いながら背中に隠していたものを取り出すと―
「バラ、ですか」
それはオレンジ色のバラだった。花弁の縁がひらひらと波打っていて、優雅なドレスのようなバラ。
「Carpe Diem。ラテン語で『今、この瞬間を楽しめ』って意味なんだってさ」
「今、この瞬間を、楽しむ…?」
祐巳にはラテン語は分からなかったが、聖さまの言葉は深く心に刺さる。
「祐巳ちゃん、制服来ていられるのも後一年なんだから、後悔しないようにね」
まだ言葉の余韻を噛み締めて呆然としている祐巳に、聖さまはオレンジ色のそのバラを握らせた。
「以上、先輩からのありがたいお言葉ね。祐巳ちゃん忘れっぽいんだから、これを飾って思い出してね」
小さな花束のそれは、数を数えると、六本ある。
そっか。そういうことか。
「ええ。私は忘れっぽいですからね。薔薇の館に飾っておきますね」
上出来上出来。聖さまは祐巳の頭をくしゃくしゃと撫でた。

ふと、思った。聞いて良いような、いけないような。
多分、今なら聞いて良いんじゃないか。
「聖さまは、リリアンの三年間は、満足だったんですか?」
祐巳のこの質問を、多分聖さまは覚悟していたのかもしれない。
一瞬、複雑な感情が混ざった表情を浮かべた後―
「良かったよ」
笑って、答えた。

聖さまの笑顔の裏に含まれた感情は、推し量ることしか出来ないし、推し量れるものじゃないんだけれど。
この言葉は、きっと、真実。
「祐巳ちゃんも、あ〜、あと由乃ちゃんも結構気にするタイプだからね。あんまり気負わず楽しむのがいいよ」
「お気遣い、ありがとうございます。聖さま」
祐巳のことは何でも分かるスーパーヒーローの聖さまだから、もう祐巳が立ち直ったと確信したのだろう。満足そうに微笑むと、背を向けて手を振って去っていった。

喜怒哀楽は、きっと訪れる。
それでも、それを含めて楽しめたら。
あんな素敵な人になれるかもしれない。
「見透かされちゃってるなあ…」
紅薔薇さま、という自分には不釣り合いなんじゃないかと思うこの名前。
でも、この瞬間を頑張って、楽しんでいこう。
オレンジ色のバラも、祐巳を励ましてくれているように見えた。
「それにしても…」
志摩子さんの名前は一言も口にしなかったくせに。
オレンジは、赤と黄色と、ほんのちょっと白を混ぜた色。
「やっぱり心配してるんだ…」
クスリと笑って、祐巳はリリアンの方角へ歩き出した。
考えすぎかもしれないけど。

あとがき
カルピデューム。ラテン語で「今この瞬間を生きる」という意味だとか。
個人的な感想としては、SS内にリアルなバラを出すのはあまり良くないかな、と感じました。
「次期紅薔薇さまの福沢祐巳さま」ではなく、「おっちょこちょいで不安定な祐巳ちゃん」を久しぶりに書いてみたくなったのでこうなりました。

カルピデューム
分類:ハイブリッド・ティー・ローズ
作出:LEX+(Nederland)(オランダ)

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