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#141 願いは呪い

「願い」は「呪い」に近い性質を持っているように思う。だからめったなことで願ってはいけない。

これはそれなりに長く生きた人間(4×歳です……)の感覚的な話なのだが、願いというのは叶う方向に作用する。叶ってしまう。
じゃあいいじゃないか、という話かといえば、そういうわけでもない。叶い方が微妙なのだ。

世界のいろんなところに、願い事が3つ叶う系の逸話がある。主人公は、だいたい亡くなった恋人や肉親など死者を生き返らせようとする。だが生前の姿ではなく、ゾンビとして復活してしまう。最後の願いで、やっぱり殺してくださいと言う。

願いの叶い方はそんな感じ。
そこまで極端でなくても、内容にも時間にもズレが生じる。

わたしは2018~2022までIRコンサルの仕事をしていたが、直観的にこれは2000年ごろに願ったことが現実化したのだと思う。
2000年ごろにイメージしたのは、マッキンゼーやボストンのような外資系経営コンサルなので、内容はズレている。それでもコンサルはコンサルだ。考え方や仕事の進め方、苦悩のポイントは共通している。
もっと大きなズレは時間軸。社会人になりたての頃はコンサルになりたいと願ったかもしれないが、今はまったくそう思っていない。忘れていた。過去の自分が願ってしまったがゆえに時を超えて叶ってしまったのだ。

何か被害があったわけではないが、今は望んでないことが、過去の自分の願いによって違った形で実現するというのは、「夢はきっと叶う!」的なポジティブなものではなく、「システマチックな呪い」に似た不気味なものではないだろうか。

他にも無害な話をすると、昔、職場のかなり年上の同僚から、奥さんが美大出の人だという話をされた。浮世離れしたところがあるから、なんとかやってこれた面があると。
ふーん、そういうのもいいな、とわたしは思ってしまった。かすかに願ってしまった。今わたしには美大出の奥さんがいる。

他にも願ってしまったことがたくさんある。分不相応な願いもある。
何歳で死にたいとか、わけのわからないことも願った。これに関しては、高校生の俺、余計なこと願うなよと本当に思う。

過去に願ってしまったことが、今は望まない形で強制的に解決されるのだとしたら、かなり恐ろしいことだ。
わたしの、ロックスターになりてえなぁは、どんな歪な形で解決されるのだろう。
とりあえず、「健康で長生きできますように」。
寿命の件に関しては、願いを上書きしたい。

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