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原点

今、ネットで流れてきた番組に非常にシンパシーを感じた。
多少文言は違うかも知れないが、高級魚ももちろん素晴らしいのは重々承知だが「50円のイワシで高級魚を負かしたら凄くないですか?」。

まさに、これが自分の原点だと思う。

もちろん、当然対象物は異なるが。

なんか今思うと中学生の頃にこの気持ちがあったのを覚えている。
その時は対象はお金持ちだった。
我が家は余り裕福な家庭ではなかったのでその方面で、金持ちなんかに負けるもんか!って。
ただ決して親を憎んでいる訳ではない。
むしろ、よくやってくれたと感謝している。

その気持ちは結構長い間持ってたと(持っている)思う。

確かに金のあるなしで比較すれば未だに解決しきれていないと思う。
ただ、そこじゃないいだよね。
今だからわかる事だけど...。

陸上競技に関しては高校生の頃から持ち始めたと思う。
中学生時代の野球に関してはそんな気持ちはなかった。
でも、負けれ当然悔しいとかの気持ちはもちろんあったが…。

小学生の頃を思い返すと4年生頃までリレー選手になれず悔しかった思い出は残ってて、当時足の速い人が羨ましいくて給食の食べ方を真似したりしたのを強烈に未だに覚えているw。

ちょっと話がそれた、高校生時代の陸上競技に話を戻そう。

自分が進んだ高校は推薦入学で全国大会で優勝や入賞者が結構いた。当時、自分も県大会優勝者であり「大天狗」で入学してきてそれが完膚なきまで叩きのめされた。

その辺りから文章最初の「50円のイワシが高級魚を負かしたら凄くないですか?」に結び付いてきた。

要は、才能がない自分はどうすれば奴らに勝てるか?
種目が違うので結果として。
駄馬が血統賞付きに勝ったら凄くないですか?

当初は800mで県大会優勝だったので中長距離ブロック。
ただ、1年生の総体か新人戦か忘れたが、準決勝で敗退。
そこで気持ちが吹っ切れた。
400m、400mHで行きたい。

今思うと、結果を残すには何がいいかと考えたんだね。
確か顧問に伝えたと思う。
ちょうど両種目とも選手層が薄いので問題なく了承されたような気がする。
教室の机の上の方に目標タイム書いて毎日見てた記憶を鮮明に覚えているw。
400m=50,0秒
400mH=55,0秒 って。
まあ、結論からいうと
400m=50,2
400mH=54,8(当時の新人戦の大会タイ記録)でした。
両種目でインターハイは出られなかったけど、マイルで行けて、400mHではジュニアオリンピックでは5位入省した。


まあ、これがいいのか悪いのかはどうでもいい事で、1番嬉しいかったことを未だに鮮明に覚えている。

当時の部長(100mでの猛者)が県大会の準決勝の前に言った言葉。
彼は準決勝の組み合わせを非常に気にして心配していた。

自分はというと(生意気に聞こえるでしょうが...)誰が組みに入っても全く心配していなく、彼が自分に聞いてきた。
「なに?おまえ誰が組に入っても準決勝通る自信があるのか?」と。
自分は見栄を張ったり、イキがった気持ちは1mmもなく「全然余裕でしょう!」と。
すると彼が「お前凄いな!」と。
これで、ああ、入学当時の「完膚なきまで叩きのめされた気持ち」がスッと消えた気がした。

その後も仕事の面では負けず嫌いの性格でそこの会社で1番になってやろうと思い、達成するとその仕事に興味が失せてしまい職を多く変えたのかもしれない...。

まあ、その後色々あり競技に復帰したのは約20年後の障害者になってから。
障害者の大会ではあまり「50円のイワシ...」という気持ちは強くは出てこなかった。
なぜだろう、きっと年齢を技術でカバーするのに限界が分かったからだと思う。

ただ、健常者のマスターズ陸上大会だとその気持ちが沸々と湧いてきた。

ここの世界で片腕のハンデでどう戦えば勝負出来るか?って。
年齢はほぼ同じだ。
障害者が健常者を負かしたら凄くないですか?

結果からいうと、マスターズの県記録更新したりアジア大会で銀メダル取ったりとそれなりに結果は残せた。
ただ、世界大会には上手くタイミングが合わず不参加だったのが残念でならない。


まあ、話も長くなったんで何が言いたいのかと言うと...。
今、自分の居る環境。
まさに、今までのその流れそのものだという事。

運良く「50円のイワシ...」が沸々と湧いてくる環境に恵まれたんだよ!
そう、分かる?
要は途上国で先進国と比べると雲泥の差の差。
これをどう克服するのか?!
どうすれば先進国に勝てるのか?肩を並べる事が出来るのか?
途上国の選手が先進国の選手を負かしたら凄くないですか?


これだよ、きっと自分の原点って。

なんか、それを分かって求めているわけじゃなくて、気づいたらその状況下に身を置いている自分がいるんだよね、いつも。


今思うのは、置かれた立場で如何にそこで大きく綺麗な花火を打ち上げられるか、それに尽きるんじゃないかな?

もちろん、その花火の大きさや綺麗さは人が判断するのではなく自分だって事!
他人の評価なんて気にしちゃダメ。
人がどう思おうとその人勝手だし。

ああ、あれもこれも良く頑張ったなー、大変だったけど面白かったなーーーて思って人生終えたいと思うんですよね。

表題の写真に意味はないです。

ちょっと超長文になってしまいました。
今日はこの辺で。