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人民新聞全5回連載『自伝的考察』②「路上の意味、10代」全文転載!

人民新聞全5回連載、転載
(多くの方に読んでいただきたいので、シェア、拡散大歓迎&希望!許可頂いての転載、シリーズの電子書籍化思案中。応援して!)


『自伝的考察』 山村礼子★にゃき
②「路上の意味、10代」〜あたしはのら犬だった〜

街を彷徨う10代の頃、あたしは落書きされたのら犬だったの。

 思春期に差し掛かり激しい暴力も潮がひいた、14才のあたしの日常。家庭環境は冷え切っていた。暴力も無いが会話も皆無だった。
父は仕事と酒。高校生の兄はバイトを始めた。3人家族が揃うことなき団地。3LDKは個々の部屋を割り当てさせ…、互いを確認せず、ひと月が過ぎても気にかけない淀む関係性となる。関わり合わぬ家族たち。
父の愛人は食事作りを続けていたと思う。影のように支えていたあの女の人と、虚無の家。「ここでなければどこでもいい」、それだけで夜の街に出て出会いを重ねる…。
少女が見つけた役割は娼婦、居場所は路上。

 ミナミの街と、アメリカ村。ミナミから梅田へ御堂筋を歩いていた。京都でよく古着を買っては、100円だった、50円だったとはしゃでいた。創意工夫の知恵もお洒落さも周囲に認知させたくて必死だった。
あの頃、遊んでくれた顔も覚えていない男の子たち。ロックが大好きで出入りしたライブハウス、バー。教えてくれた酒や煙草。生きることが悲しすぎた、幼いあたしが死なずにすんだのは、ある意味悪い男たちからの教訓と、「酔えば忘れるぜ」という知恵だった。
 
あたしが欲しかったモノは何だったのだろう。14才はあたしが初めてSEXした年齢でもある。レイプだけどね。深夜に帰宅する途中、横道から出てきた男にタックルされあぜ道に倒される。事後にフラフラと歩いて帰宅した。
自宅の鏡に写る自分の姿を見て、「これはちょっと大変かもな」、とブルブル震える腕を押さえた。ビリビリのブラウスから千切れたボタンがぶら下がる。股の間から精液がしたたる。「まるで犯されたみたいやん」と笑顔をつくってみる。ホースを繋ぎ水で流すと、罪も流れた。このことは沈黙すべし。
夜の街に出る頻度が加速度的に増えた。なぜ自分を傷つけた街を憎みもせず尚出向いたのか。求められる「女」や「若さ」に気づき、歪んだ価値を知った少女のあたし。
 皮肉ね。初めて自分を欲しがってもらえた実感は、犯されて得たのだ。一般論で言えば環境は酷くなったのだろう。だけどこの頃積んだ心の財産は多い。役立たずのあたしにも売れるものがあるのね。

スポーツ新聞の求人広告は宝の山だ。面接の時に「処女コースしか無理だね」とマネージャーは淡々と言った。未成年は承知の上だったと思う。「ハタチです」と答えるとき霞んでいく感覚と、何だか堕ちきる快感を覚えている。マネージャーは微笑して言い放った。「滅茶苦茶美人じゃないけど笑顔が可愛いからさ。絶対儲かるよ」。
 父と同じ言葉だ。女の子は笑っていればいい。生きるための力としての精一杯の笑顔。あたしの口癖はいつも「大丈夫」。手間のかからぬ子でいよう。性と女を売る暮らしはその後10年以上続く。てかあたしは20代の終わりに拘置所に入るまでそれ以外で金を得たことがない。数年前まで自分は「生まれてから仕事をしたことがない」と本気で答えていた。今もあたしは自分を売りさばく娼婦だ。あたしは14才の頃から何が欲しくて、求めて苦しんで生きてきたのだろう? みんなは、胸が裂けるほどの痛みを知りつつ乗り越えて大人の顔をしているの?

 15か、16才か。その頃、父と母が死ぬ。兄は記憶にない。消えたと思う。1人電車に乗り、釜ヶ崎へ。日本のダウンタウン、労働者の町。実家の鍵を、「2度と戻らぬ」と電車の窓から投げ捨てた。どんな運が左右したのか、到着してすぐ目にした純喫茶で働きたいとマスターに言うと、すぐに住込みのウエイトレスになれた。ロックが信条なのに、ど演歌の人情の町に救われたのが可笑しかった。あたしは所詮のら犬なんだ。

 今、路上の意味を深く考えている。必要だったのは居場所と、生きてて良いと思える瞬間だ。少女のあたしは、時代全体のゆるい規律と、釜ヶ崎という土地の包容力に助けられた。深夜営業の店舗や座り込める路上がなければ生きられていない。
 今を生きる10代を案じる。カラオケも居酒屋も年齢制限、路上にいればすぐに来る警察官。帰りたくない家がある限り、他に居場所を求めるしかない。補導されれば家に帰される。ひと夜の宿のために性を売ることを強いているのは、一見「良識ある大人たち」だ。窮屈な社会保障の枠で処理されなくて良かったと思う。施設に縛られていたなら、生命維持はできても自由な選択の放棄となる。「助けて」と言わぬ10代が施設を避けるのも、自由の死を意味するからだろう。

 もっとも何処にいても孤独な思春期はとても寂しい。埋めることを渇望する心の穴がある限り焦燥は続く。今もあたしには空洞がある。子どもは未熟な大人のミニチュアじゃない。経験や語彙は少なく表現は拙くとも独立した個人で、その意思は尊重されるべきだ。あたしが掲げる社会への問いや憤りも、幼い頃から何も変わらない。すべての存在が自ら真に望む思いで選択する人生を。彷徨う若者たちの人生もだ。人には幸せに生きる権利がある事を知らずにいたあの頃のあたし。自分が何を望もうとも叶わぬと諦めていた。強い酒を知らずにいたら間違いなく狂ってたよ。今も破綻せぬように連ねてる言葉。

 取り上げること、見せぬこと、罰すること。そんなことで安堵は得られない。偉い大人の皆さんよ。できるなら夜の喧騒でも酒でも薬でもない、「あったかい逃げ場所があれば」って祈ってください。居場所なき胸の空洞を抱える若者たちと、あの頃のあたしに。せめて祈りをとしか、まだ言えぬのら犬より。



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