『テレストリアル・トーン・クラスター』の事

1st.アルバムをリリースした後に、岡山から京都に引っ越した。レーベルのある京都にいた方が活動しやすいし楽しいと思ったからだ。

アルバムをリリースしたら、色々とリミックスの依頼が来た。中でも、ピチカート・ファイヴ解散後のカットアップ・アルバム参加の依頼が来た時は、本当に嬉しかったっていうか、なぜ俺?って感じだった。ピチカート・ファイヴちゃんと聴いたことないんだけど…あれは女が聴くもんじゃ…なんて失礼な事を思ってたけど、全アルバムの音源がCDRで届いて全て聴いたら、めちゃ好きになった。

カットアップていうのは、ヒップホップとかで良くある「どんどん曲が変わっていく音の切り貼り」みたいな感じなんだけど、僕は自分の曲を作るみたいに、自分の能力を活かして、「ピチカート・ファイヴをサンプリングした俺の曲」にしようと思って作った。とても良いのが出来た。曲の長さ5分24秒(コニシ)だし。小西さん聴いて泣きそうになったって言ってたし。

後にあのキングス・オブ・コンビニエンスのアーランド・オイエのバンド、ホワイテスト・ボーイ・アライブとかをリリースするスウェーデンのレーベル、サービスから「うちからハンサムボーイ・テクニークの1st.アルバムをリリースしたいんだけど」という依頼が来たのを、レーベル・オーナー小山内君は「輸入盤が出たら、うちの国内盤売れないし」という理由で断った。おい、それ多分俺の音楽人生変えてるぞ。(って書いたのですが、後ほど小山内君から電話があり、サンプリングの権利的な問題で話が流れたそうです。ごめんね誤解してて)

そしてその小山内君は、僕に2nd.アルバムの制作を命じた。製作費として、Macと音楽制作ソフトを買ってくれた。大きな画面で作業できて、マウスで音を移動できて、計算機も必要がなくなった。サンプラーもシーケンサーも捨てた。

そのMacでの初仕事は、国内企画のダイアナ・ロス/シュープリームスのリミックス・アルバムへの参加だった。この話があった時から最初から決めていた。他の人は選ばないであろう、"I'm Still Waiting"だ。

コルトレーン直系の80年代〜90年代のジャズ・サックス奏者のコートニー・パインがレゲエていうかラヴァーズの女性シンガーのキャロル・トンプソンをフィーチャーしてカヴァーした曲がその曲が大好きだったからだ(このカヴァーを聴いた事が無い人は、カタカナで検索しても出てくるし、めちゃ良いので是非聴いてみてね)。まあ、もし選択権あったなら「恋はあせらず」とかやってたかもしれないけど。

新しいMacが届いて、そのリミックス作業を開始してすぐ、そのMacが起動しなくなった。僕はすぐアップルのサポートセンターに電話して、修理を依頼した。Macを取りに来る時間指定が出来ないと言うので、「初期不良の商品売ったのその対応?責任者を出せ!」と言った。ジョブズの事を言ったつもりだったけど、アップルのサポートセンターの責任者に「すまんの」と言われ、すんなり諦めた。

修理後、完成間近までリミックス音源作ってたダイアナ・データは消えていた。データを復旧する業者に頼んだら10万くらいかかった。データも消えてギャラも消えた。

そしてアルバム制作期間へ。当時アーティストの間で流行ってた音楽のSNS的サービスに「Myspace」というのがあった。アーティストが音源をアップして、アーティスト同士が「俺これ好きー」みたいな感じで交流していた。

新曲をアップしたら、あのアホ、俺がジーンズを買いたいって言ったら仕事の昼休み中に一緒について来てくれて「森野さんはやっぱスウェーデンのブランドのジーンズやろ」と言って選んでくれた可愛いアホ、林のいるユニット80 Kidzもいいね的な事してくれてたな。まさか林が人気者になるとは思わなかった。嬉しい。

その後、マイスペでやりとりをした海外の奴らに歌ってもらって、アルバム『テレストリアル・トーン・クラスター』を完成させた。

ちなみに、アルバム内の"When The Sunhine"という曲の歌詞は、ライムアウトという大阪でレーベルをやってる翁長君(スウェーデン・ツアーにも通訳として同行くれて、人間的に超好き)と一緒に歌詞を考えてて、翁長君はサッカー狂なので「海外ではサッカーが好きすぎて離婚する人いるらしいよ」というので「じゃあ、テーマはサッカー離婚で歌詞書こうよ!」と一緒に歌詞を考えて、翁長君に英語で歌ってもらった音源を、実際に歌って貰うタニヤに送ったら、全て無視されて、「この曲でこの歌詞はないやろ」と、勝手な歌詞で歌われてた。面白いからそのまま採用しましたけど。

外人に頼むと、全てそうなんです。2曲目の奴もラストのエリアスも、僕が指定した一部のメロディー歌ってなくて「え?ここは歌いらないって事?」と聞くと「あーそこ忘れてたわ!歌って送るわ!」と、皆適当でした。そういうバグが楽しかった。

バグは僕の音楽に必要です。1st.アルバムの「クワイエット・プレイス」という曲は、シーケンサーの数字を打ち間違えて変なところから入ったベースが良くて、そのまま使いました。作ってた時、窓から夕陽が見えて、それと曲がばっちり合ってた。

さらに言うと、いつもミックスを担当してくれてる明石さんは僕が10代の頃からの友人で、音オタみたいな人なのですが、1st.の時は勝手にドラムを違う音源に変えたり、2nd.の時は、ドラム入れてない曲に勝手にドラム入れて、しかも「入り方のタイミング分からんかったわ」と言って、めちゃ変拍子みたいになってて、それが面白くてそのまま採用しました。

2nd.アルバムは、よく比較されて腹立つので全然好きじゃないと言うことにしてるアヴァランチーズをリリースしてたレーベルで、後にカットコピーとかをリリースするオーストラリアのモジュラーや、その大嫌いなアヴァランチーズのメジャー盤を出してるイギリスの超大手のXLからもリリースする話はあったのだけれど、結局それは流れた。色々頑張ってくれてたみたいなんだけど。

まあそれは残念だったけど、僕は自信を持って言う。この2nd.アルバムは、この後リリースする3rd.アルバムの次に良い(注:これを書いた時点では1曲も3rd.用の曲を作ってません)。海外で評価された1st.アルバムよりも良い。ちなみに、おそらく3rd.アルバムは海外ではそんなに評価されないと思う。日本に住んでいる音楽好きな人たちに届けばそれで良い。ていうか、そもそも1st.作ってた時からずっと海外評価なんて全く頭に無かったし。

2nd.アルバムのリリース当時のタワレコとオトトイのインタビューを探して読んだら懐かしくなった。ちなみに、どちらの僕も酔ってます。

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