バスケ漬けの高校時代🏫
《目次》
【序章】バスケ部に入部するまでの経緯⛹️♂️
【2014年(1年生)】バスケ初心者🔰
【2015年(2年生)】左膝の苦痛😱
【2016年(3年生)】存続の危機😢
【番外編】久々の駅伝大会🎽
【序章】バスケ部に入部するまでの経緯⛹️♂️
2014年4月、十川中から四万十高校に進学。十川中時代は、野球と陸上に没頭。1〜2年生の頃は先輩との上下関係に悩まされて、高校では帰宅部が良いと思っていた。
しかし、入学後に知り合ったクラスメートとの出会いで一変。こいつらとやったら、青春を謳歌出来るかもしれんと直感的に思った。他にも、ハンドと似ているからとかモテそうだからという理由もあった。笑
入学して2日後には気が変わってバスケ部に入ると親に言ったら案の定、驚かれた。
【2014年(1年生)】バスケ初心者🔰
3年生2名、2年生1名、1年生4名 計7名
入部して間もない頃は、体力作りから始まった。野球や陸上で鍛えられていると思っていたが、意外ときつかった。タイマーで計りながら体育館を何往復も走ったり、筋トレや体幹をやったり…。根本的なことは野球部時代と変わらんかった。勿論、ドリブル、パス、シュートの基本的な技術の練習もした。当時、副主将やった3年生の先輩がレイアップシュートをマンツーマンで教えて下さり、出来るようになった。レッグスルーやビハインド、フリースローも徐々にコツを掴み、習得していった。
入部して1ヶ月後、高知県総合体育大会(以下、県体)に初出場。
※幡多支部体育大会(以下、支部体)は体調不良により欠場。今大会が自身初大会。
県内各地から集まった観客の前で全力でプレーしたが、結果は初戦敗退。拠って、3年生の主将と副主将が引退。
唯一の2年生の先輩が主将、クラスメートの1人が副主将を引き継いで新体制スタート。夏休みが終わり、2学期になってからクラスメートの1人が新たに部員として加わった。
県体以降は大きな大会には出ず、練習試合の方が多かった。同じ町内にある窪川高校に何度もお邪魔した。当初は負けてばかりやったけど、勝つ回数が増えていった。
【2015年(2年生)】左膝の苦痛😱
3年生1名、2年生5名、1年生1名 計7名
1番の親友である部員が突然の高知北へ転校。かなりショックやった。担任や保健室の先生曰く、心ここに在らずという状態やったらしい。入れ替わりで隣のクラスに窪高から1人が転校して来て、バスケ部に入った。(窪高時代はバスケ部ではない。)
高知北へ転向した親友とは正反対の性格の持ち主で、考え方が合わず衝突することが多かった。そして、経験者の1年生は入部してすぐチームの戦力を担う存在になった。
そんなある日、アップ中に左膝に違和感を覚えるようになった。そのうち消えると最初は大して気にせんかったけど、次第に痛みに変わり日常生活でも気にするようになった。成長痛や骨肉腫、半月板損傷又は断裂等色々な可能性が脳裏に浮かんだ。親と相談し、無期限の休養期間へ。
専門医を探して東奔西走した。ファーストオピニオンは高知市の病院。診断結果は、左膝関節炎。安静にすれば治るが、その期間は個人差があると言われた。セカンドオピニオンを求めて、次は宇和島市の病院へ。そこではより良い回復の為、左膝に注射を打った。予防接種で腕に打つのとはまた違う痛みを感じて悶絶した。スポーツマンにとって、病気や負傷とは常に隣り合わせ。今、感じているこの痛みや苦しみは宿命やと受け止めてとにかく耐えた。時間はかかったが、少しずつ回復して復帰。みんなとは別メニューを組んで貰ったりして調整しながら、試合にも出た。
2年生から県体以外にも季節毎の大会に出場。
1年生の時は欠場した支部体にも出場した。県体の初戦は高知高専。はっきりは覚えちょらんけど、125-52というボロ負け。
唯一の3年生の引退後は副主将のクラスメートが主将に、副主将は後輩の1年生が就任。
夏休みは、人生初の合宿も経験。学校での練習よりもきつく感じて、夜中にこっそりトイレで早く帰りたいと親に電話したこともあった。
【2016年(3年生)】存続の危機😢
3年生5名、2年生1名、1年生0名 計6名
毎年、バスケ部への入部希望者は少ない。
この年については、なんと誰1人入ってくれんかった。根気強く勧誘は試みたけど、マネージャーすら入ってくれず…。自分達はもうすぐ引退して各々の進路について考えるというのに、バスケ部の存続が気がかりで仕方なかった。
県体の初戦は室戸高校。1Qは四万十が優勢で、もしかしたら勝って有終の美を飾れるかもしれんと期待した。2Qから形成逆転され、僅差で負けた。勝って終わりたかった。そう思ったら悔しくて涙が込み上げた。試合で負けて泣くのは人生で初めてで、自分でも意外やった。この瞬間を持って、バスケ生活は終わり、明日から受験勉強やなと思った。
しかし、1年生が1人も居らず、後輩の2年生だけに全振りするのは可哀想やき今年度は特例で秋季大会まで引退時期が伸びることに。但し、あくまでも各々の進路状況を優先させるという条件付き。受験勉強と並行させながら部活にも顔を出すというのは今まで以上に困難を極めた。秋季大会及びウィンターカップ高知予選の初戦は、高知東工業。結果はやっぱり敗退。今度こそ、バスケ生活は終わりを迎えた。
そして、俺は塾での勉強も甲斐あって大阪学院大学 法学部 法学科(一般入試)に合格。他の4人の進路も見事決まり、無事卒業した。
【番外編】久々の駅伝大会🎽
四万十高校には陸上部がないが、持久走の成績と校内マラソン大会の結果を加味して毎年、幡多支部駅伝大会に出場している。
1年生の時は11位。バスケ部員で唯一選抜入り出来なくて悔しかった。選抜入りを逃した日から学校での練習は勿論、休日も自主練と称して走り込んだ。平日は始発で学校へ行き、誰も居らん体育館で自主的に朝練。
2年生の時は10位。ギリギリで選抜に滑り込み、1年前の雪辱を果たす。駅伝大会には補欠メンバーとして参加。小学校以来で嬉しかった。
3年生の時は治った筈の左膝の痛みがぶり返して思うように走れず、18位まで転落。再び選抜入りを逃した。
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