ジェンダー問題について―これから必要になる視点



初めまして。大阪大学外国語学部英語専攻1回生の長見結衣です。

大学生活を送っていると、出身地や国籍などが異なる様々な人と関わりを持ちます。本当に多様な人がいるということを実感しました。

その中でも、近年、浮き彫りになってきたジェンダーの問題に興味を持ったことから、大阪大学文学部准教授の河上麻由子先生に、研究者になる前のお話や研究内容、ジェンダーについてのお話をお聞きしました。


―なぜ、大学教員になりましたか。

研究者になりたかったんですよ。研究で生きていくっていう以外に自分の生き方を想像できなくって。小学校の時から。小学校の卒業文集って、何書いたか覚えてますか?私ね、自分が発掘したピラミッドの罠にかかって死にたい、って書いたんですよ。いまだに親に言われるんですけど(笑)。研究で生きて死んでいきたいと思って。浮きますよね、絶対ね(笑)。ほかの道を想像したことがなかったんですね。

―ピラミッドの研究をしたかった、と仰いましたが、どのような経緯で東洋史学を研究しようと思ったのですか?

本当ですよね(笑)。大学に入って、最初は考古学をやりたかったんですよね。発掘をやりたかったから。でも、私が入ったのが地元から通える北海道大学で、私が入ったときには、北海道大学がちょうどフィールドを持っていなくって。大学ごとに多分、調査する遺跡っていうのがあって、阪大もあると思うんですけど、その調査・発掘をしながら史料整理と報告書を書くっていう一貫した学びができるように、どの大学もフィールドを持ってるんですね。でも、そのとき北海道大学はちょうど持っていなかったので、しょうがないから、じゃあ日本史をやろうと思ったんですよ。そこで文献史学に。

私、日本史でずっとやってきていて、でも子供のころから中国史も好きだったので、日本と中国の外交関係で研究をずっとしてきて、博士論文もそれだったんですよ。阪大に来る前に、前職として奈良女子大学にいたんですけど、そこでは日本史を教えていて、大阪大学に来た時に東洋史に変わったので、東洋史所属歴はまだ2年とかですね。授業でも半分日本史の授業ですけど、あれは元々の所属がそうなんです。

―具体的にどのように研究しているのですか?

私たちは文献史学だから文字史料で研究をするので、とにかく文字史料を読みまくるっていうのが基本なんですけど、それ以外に文字を正しく読むっていうときに文字が表現している景観や物を見ないと、読めないってよくあるじゃないですか。たとえば、どこかの山に行った人がその山に関する詩を詠んだとして、詩とかの分析は私たちではなくて中国文学とか文学関係になるんですけれども、それでも山を見ないと詩は解釈できないのと同じように、たとえば河辺であった事件(河陰の変)とかもその川がどういう景観なのかっていうのを知らないと、その史料ってたぶん読めませんよね。どういう景観かっていうのを調査に行くこともよくありますし、彼らが残したお墓の中から出てきた俑などの明器(副葬品)とか、すべてが、調査で出てきたものが公開されるわけではないので、それを見に行くとかもよくしますね。

―もともと、東洋史学を専攻していて、なぜジェンダーについて研究しようと思ったのですか?

さっき、私が申し上げたように、本当は外交史をずっとやってきていて、本とかも全部外交で書いているんですけど、ジェンダーをやらないといけないと思ったのが、(以前勤めていた)奈良女子大学ってやっぱりジェンダー教育がかなり盛んで、ジェンダー教育のメッカとしても機能しようとしている大学だったのですね。それで、ジェンダーがこんなに大事なんだっていうのを、奈良女子大学で色んな先生方の講演を通じて学んだっていうのと、それから実際に教員っていう立場になってみたときに、多分このままじゃ学生を守れないなって思って。自分が学生だった時は、何か理不尽なことがあったときに自分が我慢すればよかったんですよね。だけど、教員になったときにはそれではいけなくって。なにか理不尽なものを見たときには、私がそれをストップしなければいけないし、理不尽な目に学生たちが合わないように、あるいは被害者だけではなくて加害者にもならないように守るのは教員の義務だと思ったんですよね。それでジェンダーについてやらないと、多分この先はだめだなって思って。

―研究をしていて楽しい時、うれしい時はいつですか。

常にうれしいですね(笑)。研究自体が大好きなので。研究してないと死んじゃうんじゃないかな。マグロみたいなものです。多分、研究者はみんな言うと思いますけど、史料読んでるのが一番楽しくって、「この人、こんなこと言ってたんだ」とか、「この人、こんなところでこんなことしてたんだ」みたいことがひとつの史料で見えて、全く別の史料でその裏側が分かったりするので。わくわくしてご飯とか忘れるんですよね。多分、ときどき呼吸も忘れます(笑)。息を詰めて。楽しいんでしょうね。

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―ジェンダーはかなりデリケートなテーマだと思うのですが、研究をしているときに気を付けていることはありますか?

研究の時は、とにかくそこにある史料を客観的に読み込むだけなので、ジェンダーだからっていうよりは、研究として世界レベルである担保としての客観性っていうのは常に気を付けるんですけど。でも、授業をするときは本当に気を付けます。全然、気を付けても気を付けても多分足りなくって。どんなに気を付けても、気を付けるのにここが到達点だっていうのがきっとなくて。どんどん進化していく学問でしょう?どこで本当は傷ついていたのかっていうのは、今ようやく色々な人が色々な方法で発信できるようになってきて、それを我々は見ながら、じゃあどうやってやれば全員が安全に学べるのかっていうのを考えているところじゃないですか。なので、授業は本当に気を付けます。研究の時は、客観的でありさえすればよくって、でも論文に書くときに読む人を傷つける文章であってはならないのでそこは考えます。

―書物などを読んでいてジェンダーの視点で問題のある表現が出てきたときに、すぐにそれが問題であるとわかりますか?

わからなかったです、私も。恋愛っていうのは男女でなされるべきだっていうのが大前提で書かれた文章が大多数な中で、歴史的にそういうものだってなってしまったら恋愛をしないとか、あるいはそういう強い感情が異性ではないほうに向くっていうときに、それは異端になってしまいますよね。それをジェンダーについて学ぶなかでわかった。でも、わからなかったです、私も最初は。難しいですよね。歴史的に考えても、男女間でのみ強い感情を持つべきだっていう風な発想自体が、多分近世まで全面化しないから歴史的にも間違ってはいたんですけどね。

―ジェンダーを研究することで日常生活の視点など何か変わったことはありますか?

ジェンダーを研究っていうか、勉強し始めたの自体は、私の夫がそれこそアメリカ文学の研究者で博士論文の一部がマスキュリニティ―(男性性)なんですよ。戦争と男性性っていうのでずっと彼は研究していて、学生時代から男性性と女性性についてお互い討論してきたので、今回勉強を新たにすることによって、男性性と女性性で大きく変わることはなかったと思うんですけど、ただアップデートする中でそれぞれに違うありかたっていうのを学びましたね。それが日常生活でどう変わるか…

―たとえば、最近でしたら男性同士の恋愛を扱った作品が増えましたが、それについてはどう思いますか?

難しいですよね。そのような作品が出てきたっていうことを、当事者が色々な人目に付くことになってきたことによって、同性愛であるということが、息がしやすくなるのか、それとも消費されていると感じるのか、結構分かれると思うので、人によって。一つのものを見たときに正しいとか正しくないとかがすごく難しくなりましたね。勉強すればするほど難しくなりました。

―学者として大切にしていることは何ですか?

誠実でありたいですね。それは学問に対してもそうですけど、社会に対しても、学生に対しても誠実でありたいですね。今、目の前で戦争っていう何をどうしたって正当化できない完全な悪が行われているのを見て、それが起こらないように何かすることこそがただ誠実だったんだと思うんです。でも我々はしなかった。もう恥ずかしいことです。

―ジェンダーの観点から見て、理想的な社会像はどのようなものですか?

誰も傷つかない社会が望ましいですね。もちろん、生きて人と関わっていく中で傷つきますけど、ジェンダーというもので傷つかない社会がどうやったらできますかね。安全だって感じることが出来たらいいですよね。

―最後に学生たちにメッセージをお願いします。

楽しく勉強してください。教員は皆さんが楽しく勉強するためだけにここにいるので教員はどれだけ使ってもいいのでとにかく安全に楽しく勉強していただければそれでいいですね。


終わりに

今回のインタビューで河上先生の研究への姿勢や、ジェンダーについての考え方を知ることができて本当に興味深く、これからの生活にためになりました。何が正しいかを判断することが難しいジェンダーの問題に真摯に向き合っていく姿勢が大切だということを学びました。

最後に、お忙しい中インタビューを受けてくださった河上麻由子先生、本当にありがとうございました。

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