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芸術じゃない方の音楽を捉える〜阪大文学部音楽学専修の世界〜


はじめまして。大阪大学文学部人文学科1年の堂本です。

晴れて阪大生になった今、高校の時、オープンキャンパスでパソコンの画面越しにお話を伺っていた音楽学専修の輪島裕介先生に、直接お話を聞ける機会を頂けたので、その内容をご紹介します。



金沢から東京、そしてバイーアへ

―はじめに、教員になるまでの経緯を教えてください。

教員になりたかったわけではなく、研究をするのが楽しくなったんですよ。でもそれはあくまでも途中からで、最初は音楽をやりたかったんです。僕は出身が金沢という地方都市で、80年代の後半頃に思春期で、(その頃は)東京に行ってバンドをやるしかないという時期だったんですよね。それで、合法的に地方から都会に行くには大学受験しかないと思って。早稲田大学のラテンアメリカ協会というラテン音楽をやるサークルにたまたま入って、そこで学生時代はずっとバンドをやっていました。

僕らは就職氷河期のど真ん中で、4年で就職するという発想はあまり無くて、バブルが弾けたっていう言い方が流行り始めたのも丁度その頃でした。僕の先輩は少し留年しても、それほど苦労無く就職を決めていく感じだったんだけど、我々の時は全然そうでもなく。

あとは、在学中にブラジルに行ったら、バイーアという街のカーニバル文化に骨の髄までハマってしまったんですよ。就職したら地球の裏側に毎年は行けないので。

それまでも音楽について考えたり、研究したりということは漠然とは考えていたんだけど、それが仕事になればもっといいじゃないですか。そしたら大学の4年の時に、前々から本を読んでいて面白いと思っていた渡辺裕先生がやってきて、それで音楽の研究を面白いと思い始めたんです。とりあえず修士課程に進んで、修論書く時も書いてたら楽しくて、博士課程に行って、少し長くバイーアに行きました。遊び半分であまり学術的な準備をせずに、とりあえず長くバイーアに行って、色々あって上手く行かなくて、博士課程に進学したものの、当初やろうと思っていたバイーアの音楽の研究は少し難しくなったんです。

なんで白人でも黒人でもないアジア人の日本の大学生がアフリカ系の音楽を研究するんだ、と現地に行くとめちゃくちゃ言われるんですよ。それはカーニバルの団体なんですけど、反人種主義というか、政治的な性格が凄く強くて、その中では日本人は白人でも黒人でもないどっちつかずの微妙な立場だったんです。それで、自分がなぜこんなことに興味を持ったのかもう一回考えてみようと思って、日本の大衆音楽についての語り方とか論じられ方の研究を始めたんですよ。そうこうしてるうちに、大学で非常勤で教えるとか、そういう仕事が少しずつ入ってくると、何年かバイーアに行くのは無理になっていって。でも、日本のことを調べるのはめっちゃ面白いなと思ってるうちにすごい時間が経って、結果的にそこでの業績が評価されて、この大学に務めることになったんです。

バイーアに行って挫折してから10年くらいは、この先どうなるんかなと思っていて、宝くじが当たったような感じで、ここの研究室に来ませんかという話になったんです。だから、教員になろうと思ったことはなくて、音楽について調べたり、考えたりしていくと研究が面白くなっていったんですよね。そうこうしてるうちに後戻りができなくなってきて、すごく幸運なことに仕事を評価してくれる場所に呼んでもらえたんです。

―では、もし教員になっていなかったらと考えたことはありますか。

20代後半から30代くらいはずっとこの先どうなるんだって思ってて、定期的に給料を貰える仕事に40歳を過ぎても就けなかったら、離島で民宿とかやりたいなって話は、現状からの逃避みたいに話してましたね。今思えば主観的には不安ではあったけど、生活はなんとかなっていて、そういう意味では恵まれた環境ではありました。


芸術じゃない方の音楽、「音曲」

―具体的に現在どのように研究を進めているか教えてください。

どのくらい調べてきました?

―ポピュラー音楽について研究されているということは知っていて、私自身も音楽社会学に興味があるので、高校の時にオープンキャンパスに参加した際、紹介していただいた本は読みました。

何を紹介したっけ?

―『偏愛的ポピュラー音楽の知識社会学』です。

あぁ、あれは面白いよね。

基本的に今は日本の大衆音楽の歴史に関わることを幅広くやっています。昭和期、1920年代から80年代くらいまでを歴史研究として専門でやっていると言えるようにしたいと思っています。最近は、大衆音楽や音楽という言葉自体がよそ行きだったり、外来のものだったりするんですよね。例えば明治維新以降に学校と軍隊を通じて西洋にある立派なものを制度の装置の一つとして上から取り入れられてきた部分が大きいので、そうすると普通の人たちが日常的に楽しんでいる歌とか鳴り物とか踊りっていうのは大衆音楽という言葉だけでは掬い取れないんじゃないかなと思い始めています。

ポピュラー音楽という言葉自体も外国からきたもの、特に英語圏からきたものを日本人がやってるとか日本語でやってるとか、そういうものを想定することが多いじゃないですか。浪花節とか講談とか、小唄、端唄、都々逸、漫才も含めて、そういうのはあまり考えられないでしょ。あとは寄席の出囃子とか。寧ろそっちの方を中心に、日常的に日本の社会に住んでいた人たちが娯楽、楽しみとしてやっていたものを捉え直すことが全然足りていないと思っていて、そのためには音楽と言っていてはだめなんじゃないかと思って、最近は「音曲」という言葉を意識的に使っているんですよね。僕は音楽学者で、ポピュラー音楽研究や民族音楽学という学問分野に属しています。でも研究対象は、今までは日本の大衆音楽と言っていたんですけど、「近代音曲」と言い始めています。


人は遊びだからこそ真面目にやる

―音楽であったり、音曲であったり、一般的には娯楽と捉えられると思うんですが、それらを研究する意義や、そもそもそれらの存在意義はどのようなものか、これについて何か考えていることはありますか。

娯楽について真面目に考えることはめっちゃ大事じゃないですか。楽しいことや気持ちいいことは人間の生活にとって大事で、それはかなり色んな時代や地域で全然違う表れ方をしているけれど、それぞれの信仰や祖先、冠婚葬祭と結びつくという意味で生活の中でとても重要な意味を持っていますよね。単に商品として消費するというものだけが娯楽ではないし、あと、娯楽という言い方の捉え方にもよります。労働じゃない方、と捉えてしまうとそれほど重要じゃないような感じがするかもしれない。でも、そのために生きてるのではなく、楽しむために仕事してるんじゃないの、という気持ちがとても強いです。娯楽だからといって適当にやってていいものではないじゃないですか、遊びだから真面目にやるわけじゃないですか、人は。娯楽は社会的な人間の振る舞いとか集団的な社会のでき方を考えていく上で、単に仕事のおまけの部分ではなくて、寧ろ生活の根本的な部分なんじゃないかなと思います。

作品として書かれているものだけに理想的な形で、ある時代や社会、人間の存在が特別なやり方で反映されているとは思わないです。もっと日常的な、人々の振る舞いのひとつとしての行為を捉えていきたいです。芸術というのは商品であることを巧妙に隠蔽した商品に過ぎないんじゃないかという気はしているので、芸術としての音楽という考え方には積極的に反対ですね。芸術として捉えられないような音による表現やコミュニケーションを捉えています。日本の歴史の中で言えば、芸術じゃない方の音楽ということを強調するために「音曲」という言葉を敢えて使っているところもあります。


なんでもできる、音楽学

―阪大の文学部には専修がたくさんありますが、音楽学専修の魅力は何だと思いますか。

それは我々が言うことじゃないんじゃないかな。学生が何をどう見るかじゃないですか。今言ったように、(音楽学専修では)音楽というもののあり方をすごく大きく捉えています。それぞれの興味に応じて研究できるということです。

―研究のテーマは幅色いですよね。

それが学生にとっては一番の魅力でしょうね。「こういうことを研究できますか」ってよく聞かれるけど、全部できます。でもいい研究になるかどうかは自分次第ですね。扱えないテーマはほぼ無いです。物理現象としての音を捉えるような、実験に基づくものは設備が無いのでできないですが、人間がやることとしての音楽に関わるものであれば幅広くやれます。自分で自分の興味を発見できる人には、それを最大限にバックアップするような指導をしています。


おまけ〜学食編〜

―最後に、毛色が変わってしまうんですが、阪大でおすすめの食堂やメニュー、今までで一番美味しかったメニューなどを教えてください。

今は無いんですけど、DonDonという食堂があって(※現在は吹田キャンパスにあります)、そこのとんかつあんあけうどんがすごく美味しかったです。かさねはエッグタルトが美味しいですね。あと、オクラ巣ごもり玉子は嬉しいですよね。力が必要だと思う時には、りぶれのとんかつ定食を食べます。

―やっぱりとんかつが推しですか。

かさねで揚げていないものがあればそっちを優先します、グリルチキン系のやつ。めっちゃ疲れてるわって時にとんかつを投入します。


おわりに

このように1対1で阪大の教授にインタビューする機会を得ることができ、とても良い経験になったと感じています。文学部を受験するきっかけとなった音楽学専修が、さらに魅力的に感じました。専修を決定するのはまだ先になりますが、どの専修を選択したとしても、自分の興味をしっかりと捉えた上で、研究していければいいなと思います。文学部はずっと豊中キャンパスで学びますが、いつか吹田DonDonに行きたいと思いました。


(左)私 (右)輪島裕介先生



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