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”ツインレイ”は壮大なスケールをもって生まれてきている

今日もお立ち寄りいただき
ありがとうございます。

昨日の出勤中の電車でスマホを開いた時、
ある言葉が飛び込んできました。
その言葉にある真意を見出し、腑に落ちたこと。

私達”ツインレイ”は
”ツインレイ”に出逢うために
生まれてきています。
それも壮大なスケールで。

生まれる前、
お互いに今世でも逢いたいと強く願い
様々な設定してきているのは自分達だと言います。

お互いに設定してきたその出来事、環境に
どれだけの人が関わってきているのかを知ると
今在る自分を少し違う視点から
みえる様になるのではないかな、と。

今日も少しでも何か感じていただければ
嬉しく思います。


私達は生まれる前の段階、
生まれる環境や両親も
自分達で選び
生まれた瞬間から
”ツインレイ”のプログラムがスタートしています。

”ツインレイ”に出逢って
このプログラムがスタートしている、
そうじゃないんです。

生まれた瞬間から既にスタート、なんです。

そう感じるのは。
ツインレイという言葉はもちろん
ツインレイという存在自体が
分かっていない幼少期から
無意識に誰かを探している感覚がありました。
これは私だけじゃなく
彼もそのような感覚があったようです。

お互いに言葉そのものを知らなくても
大切な存在がいる、と
自覚して生まれてきてる。

お互いに生まれる前に設定してきている
『ブループリント』と言われるものなのでしょう。

建築でいうところの「青写真」にあたるもの。
家を建てる前に設計図がありますよね。
その設計図には寸法、土台設計、設備設計や配管等
家が建つために必要な情報すべてが書き込まれる。
それが「青写真」です。

私達も同じように
ツインレイに出逢うために
すべて詳細に至るまで設定され
そのブループリントに基づき
私達はそれぞれの時間を過ごしてきている。

これは私の感覚ですが。
”ツインレイ”と出逢うまでは
ブループリントに描かれている通り忠実に進み
”ツインレイ”に出逢ってからは
お互いの意志ひとつで
ブループリントは
その都度書き換わっていくように感じます。


ツインレイとして生きていくかどうかは
本人に委ねられ、自由意志です。

決して諦めることが悪い訳ではありません。
ツインレイとして生まれてきている私達は
何度も何度も転生を繰り返して学びを得、
高い精神性をもって今世生まれてきています。
乗り越えられると設定してきてはいるものの
ツインレイと出逢ったのならば
進むかやめるかのどちらかしかない。
私の感覚では
停滞はない、です。
これは心の停滞という意味です。

進むかやめるかを
選択できる選択肢がそばにあり
常にいつ諦めてもいい状況が準備され
本当に進んでいくのかと
試されているのもあると思います。

それでも。
私と彼は迷いながら葛藤しながら
諦めずに常に進む選択をし続け
今があります。

ツインレイのプログラムは
1本の映画を撮る感じでしょうか。
それは、誕生時からの自伝映画です。

主人公はそれぞれ"自分"です。
誕生した瞬間から
命尽きるその瞬間までの自伝。

自分を主人公として
身の回りにおこる出来事。

描かれている脚本に沿った
登場人物や環境設定。
メイクや衣装、
大道具や小道具、
照明や音声、
映像編集や広報
その映画を彩る音楽。
そして総監督。

映画のエンドロールに流れる人々を
私達が生まれる前に
すべて設定してきている、ということです。

脚本は2人で決めており
主人公はそれぞれ自分です。

配役も2人が決めていますが
その都度状況に応じた修正が必要な場合は
総監督が新たな登場人物を準備します。
総監督は目にみえない宇宙の采配。

その映画が脚本通りに進むよう
総監督が水面下で指揮をとっています。
実に厳しくも優しくもある
素晴らしい指揮官。

主人公は”自分"なんですよ。

主人公が降板してしまえば
その映画は
私達が描いた脚本とは違うカタチで完成します。

私達がイレギュラーな行動を起こせば
水面下は急激に多忙になり
新たな登場人物の準備に奔走します。

すべては私達の映画を完成させるため。

自分達が決めてきた設定に
イレギュラーなことが起これば
私達の意に基づいて
徹底した軌道修正が入ります。
多少脚本から
逸れてしまうこともあるのかもしれませんが。

あくまでも
主人公であり続け
諦めずに進んでいれば、の場合です。

自分の意志で主人公を降板すれば
総監督は必要以上に手助けしませんが
先ほどお伝えしたように
別の幸せのカタチを準備してくれます。
総監督は主人公本人の意志を尊重してくれるので。

そのような視点からみると
私達は生きている時間すべてをかけて
1本の自伝映画を撮るという
とても壮大なスケールをもって生きています。

設定している登場人物は
お互いに縁の深い人を配役にしているように感じます。
総監督が奔走し準備する人も
すべて私達に縁がある人なんだと思います。

私達の人生に関わるすべての人に縁がある。

登場人物が多ければ多いほど
どれだけの時間をかけて
どれだけ多くの人と関わりあいながら
転生し生きてきたか感慨深くなります。
その方々に登場してもらって
自分を支えもらってるという感覚が芽生えます。

出逢うすべての人に感謝ですね。

”ツインレイ”の関係性に
苦しんでいる真っただ中でしょうけれど
こんな風に少し視点を変えてみると
これまでみえなかったものが
みえるようになるヒントになるかも、と思い
お伝えしました。
私の独特の感覚かもしれないです。

それだけ多くの方々に支えもらっていますし、
素晴らしい指揮官がついています。

私達は何があっても大丈夫なんですよ。

自分が主人公であることを意識して
自分の道を進んでいけば
おのずと道は拓けてきます。

今世の映画は過去世からの
続編かもしれませんね。

今世で完結。

大切な人との映画を命尽きるのまでの時間をかけて
撮り続けていきましょうね。

最終章後半には
私達は必ず幸せな時間が過ごせていますよ。



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