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自己紹介

1、18歳まで島生活

初めまして。閲覧してくださりありがとうございます。名前は帆音と書いてはんねと読みます。1992年生まれの27歳です。

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私の地元は沖縄県の石垣島で、5人きょうだい。兄が1人いて、4姉妹の次女です。高校3年生までは石垣島で育ちました。

両親は農業や電気関係の仕事、塾の講師など自営業の傍ら、子供5人を自由に育ててくれました。今思うと、石垣島の所得は決して高くありません。それでも、小学生までは公文やピアノ、そろばんを習わせてくれました。

2、看護師の道へ

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一生懸命働いて育ててくれた両親の影響もあり、経済的にも自立できる、どこでも働ける、需要が絶えない仕事に就こうと思っていました。それが看護師でした。

兄も姉もすでに大学にいっていたので家庭内経済的にも、高い学費は絶対に出せない。私立はいけないので、選択は国公立。

私が目指した大学には、離島推薦枠という特別枠があり、そこに挑戦することにしました。推薦枠を勝ち取るには内申点が一番評価される。

とにかく高校2年生から内申点を意識して行動しました。進学クラスではなかったのですが、進学クラスの子が放課後勉強している教室で私も勉強しました。テストは絶対に良い点とること、身なりも気をつけるようになりました。

おかげで離島推薦枠をクリアでき、将来は石垣島の医療に貢献する人材になるという条件で、沖縄県立看護大学の推薦入試を勝ち取ることができました。

大学に落ちたら、自力で専門学校に行こうと思っていたのですごくラッキーかつ、ありがたい推薦枠でした。

3、必死だった大学生活

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石垣島を出て、大学に進学してからは、学費は全て自分で払いました。4年間のうち大学2年生までしかバイトができなかったので、あとは奨学金でどうにかしました。同じ大学に姉がいたので、一緒に住んでかなり助けてもらいました。

大学3年生から実習→課題→実習、卒論、国家試験の勉強ときつかったのですが、同じ看護の道をすすむ子ばかりだったので本当に助けらました。

同じ志だと足を引っ張る子もいないですし、すごく恵まれた環境でした。

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国家試験の前の↑笑。無事に看護師免許と保健師免許を取得して卒業することができました。

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4、就職 初めての現場

就職は、学生時代から奨学金を借りていた病院に決めました。3年働けば返済義務がなくなるので、迷う理由もなく、愛知県に飛びました。

そこからは3年間整形外科と内科で勤務しました。地域密着型の病院で、人間関係も可も不可もなく過ごしていました。しかし、居心地がよすぎる上に急変にも慣れていない。不安になった私は、次は急性期に挑戦した方がいいのかな思うようになりました。

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そのため、ちょうど3年間の返済勤務の縛りが終了したと同時に転職をします。


5、1回目の転職 急性期病院

マイナビの看護師サイトを利用して、愛知県の一宮西病院に就職しなおしました。循環器か呼吸器かで迷いましたが、呼吸器を希望しました。

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急性期病院のため、動く量、学ぶ量は前病院より2倍になりました。呼吸機械の管理や肺がんの化学療法沢山勉強しました。

1時間前に出勤して情報収集。ワゴンにあふれる点滴をつめて検温開始。あっという間に1日がすぎます。入院を断らないスタンスだったので、緊急入院とICU からの転床も沢山ありました。

充実はしていたものの、リーダーを任されるようになった時から、なぜか私の中で仕事にいくのが苦痛になりました。

夜勤のたびに緊張して寝れなかったり、自分のことで精一杯なのに、後輩にも目を配らないといけない。段々としんどいなと思うようになりました。

ナースコールがなるけど、業務に追われてゆっくり患者さんと話もできない。このような日々を繰り返していくうちに、なんのために看護師になったんだ?私はこのままこの仕事をしたいのか?と疑問が起こり始めました。

急性期に挑戦したのの、業務に追われすぎてそこからの目標や夢もあまりない状態でした。

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6、深田さんとの出会い

そんな時に、Instagramで深田貴子さんを知りました。元々看護師をして美容クリニックでも働いていた方です。コーチングというお仕事にシフトし、朝活会など女性のマインドに働きかける活動をされていました。

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関わっていくうちに 看護師にこだわなくても自分の好きなことを仕事にされていること、ビジネスも自分から学びにいっている、楽しそう、明るい、エネギュリッシュ。すごく魅力を感じました。

そういう深田さんに惹かれていき、サロンにも入会しました。そのような生き方をしている人を見た時に、私ももっとやりたいことをやろう、自由に楽しく生きてみたいと思うようになり、急性期病院の退職を決意しました。

7、2回目の転職 美容外科クリニックへ

次なる就職先は、以前から興味のあった分野(美容医療)にシフトしました。数ある美容クリニックでも、美容皮膚科だけしかないところ、脱毛クリニック、個人経営など種類は様々です。

私は、理念や経営体制が自分にマッチしているもの、どうせなら母体が大きい所、沖縄にも分院があるという移動の幅への魅力を感じ、今の大手美容外科クリニックを選択しました。

書類選考、WEB面接、対面面接を得て内定が決まりました。



8、現在

今は医療脱毛を始め、レーザー機械の施術から外科的手術まで関わらせて頂いています。仕事にいくことは、急性期病院時代に比べると、全く苦痛ではなく楽しいです。

まだ1年たったばかりなので、もっともっと習得できる施術や外科的スキルを身につけていきたいと思っています。

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読んで頂きありがとうございました★

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