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幻夏(セルフライナーノーツ)

8月24日に9thシングル「幻夏」をリリースして4日目ですが、既に多くの方から、たくさんの反響を頂いています。 この場を借りて、心よりお礼を申し上げます。本当にありがとうございます。

今回、HANCEとしては初めて「和」の曲という事で、思い切って、普段とは真逆の方向に振ってみたのですが、いかがでしたか?笑 個人的には、和装を着る機会もいただき、非常に楽しく制作を進める事が出来ました。

各所でもお話させていただきましたが、HANCEは今年に入ってからはずっとセカンドアルバムの制作を進めており、今回の「幻夏」はその構想には全く入っていない、謂わば、存在すらしていなかった曲でした。

きっかけは、5月に初めて開催した初のインスタライブ。本当にたくさんの方にご参加いただき、暖かいコメントやメッセージをたくさんいただきました。開催後、しばらくは動画もアーカイブして残していましたが、諸事情により削除する事に。

その申し訳なさと、たくさんご声援いただいたお礼として、何とか形に出来ないだろうか?という事で、割と軽い気持ちでギターを手に取り、メロディを紡いだのが、「幻夏」のデモだったというわけです。

そして、たまたま「和」のメロディーだった今回の曲に歌詞をつけてみたら、それがたまたま夏の曲という事になり、それならばいっそ、今年の夏にみなさんにお届けできないか?という事で、急ピッチで制作を進め、レコーディングを行い、同時に、MVの構想を練り、ロケーション場所を選定し、撮影を行い、編集し、24日のプレミア公開を迎えたというのが一連の流れです。

曲の原型が出来たのが、6月中旬ぐらいでしたので、全ての行程を3ヶ月というスケジュールで進めた事になりますね。これは、過去のクリエイティヴを思い返しても、かなり短い方だと思います。(関係者の皆様。僕の我儘に付き合って下さって本当にありがとうございました)

夏をイメージした曲なので、賞味期限を考えると、本当は、せめて8月の初旬あたりに公開したかったのですが、悪天候が重なり、外のロケが思うようにうまくいかず、延期に次ぐ延期となり、結果的に、公開日は8月24日となりました。

もちろん、多少妥協して、撮影日を公開日を早める事も出来たのですが、作品に妥協をしないというスタンスは崩したくなく、映像監督の奥村さんとも話し合って、イメージ通りの撮影が出来る日を待ちました。(結果、想像以上の「絵」が撮れたので、制作側はとても満足しています!)

夏の曲とは言え、「夏の終わり」の曲でもありますので、リリース日のタイミングとしては間違いはなく、出来れば晩夏〜初秋ぐらいまでは、みなさんに楽しんでいただきたいと思っています。


《既に「幻想」がインストールされているテーマか否か》

ところで。

曲を作る時、大きく分けると二つのテーマがあり、どちらかを選ぶ事になります。

前者は、特にイメージが聞き手の中で固定化されていないもの。

通常の曲作りはこの場合が多く、比較的自由度が高い中で作っていきます。

そして、後者は、既にイメージが聴き手の中に存在するもの。

例えば、昨年の12月に公開したクリスマスソング、「One more Christmas」

こちらも、突然曲が出来て、急ピッチでクリスマスに間に合わせるために、リリックビデオを作ったわけですが、クリスマスなので、ある程度使えるワードは最初から決まっていました。

「サンタクロース」「プレゼント」「赤鼻のトナカイ」などですね。

その制約の中で、作り手はオリジナリティを出しつつ、「幻想」に添って作品を作っていきます。

もちろん、「こうしなければいけない」と決まっているわけではありませんが、揺るぎなく、多くの人に刷り込まれているテーマを逸脱することは難しく、制作側は、その「幻想」を極力壊すことなく、寄り添っていくことが求められます。

そして、今回の「幻夏」についても、そこの前提は同じで、我々日本人が心のどこかで共有している共通の原風景のようなものが存在しており、その制約の中で、いかにメロディや映像と組み合わせて、HANCEの世界観を構築するか?が大きなテーマでした。


《日本人の言語感覚について》

あくまで個人的な意見なので、違った考えの方もいらっしゃると思いますが、僕は

「日本語は情報としての役割だけでなく、視覚的かつ感覚的に捉えられている言葉」だと思っています。

前提として、日本語には「漢字」「カタカナ」「ひらがな」と3種類の選択肢があるので、それをその時々で選びわけ、表現することができます。

その時々でどの言葉を選ぶかは、学識上の原理原則に基づくこともあると思いますが、歌詞や詩などの表現の場においては、極めて「感覚的」に言葉を選ぶことになります。

今回、幻夏の歌詞を紡いでいく中で、この「感覚的」な選択を迫られる箇所が、いくつかありました。

「蒼の雫が光る」「朱く染まる」「夢を謳う」など。

「蒼」は「青」だって良いわけですし「朱」は「赤」だって選ぶ事が出来ます。

「夢を謳う」に関しては「夢を歌う」または「夢を唄う」なども選べます。

一つ一つの言葉が、情報としての意味だけではなく、「絵」として見た場合、どの言葉が適切だろうか?という部分を、前後の文脈と照らし合わせながら、何度も考えて、言葉を選んでいきました。

通常は、自身の感覚にフィットしていれば、あまり躊躇せずに言葉を決められるのですが、今回の曲は、自分の感覚以上に、日本人としての「感覚」を大切にしたかったので、聴き手と繋がる「連帯感」のある言葉を、ソムリエのように選んでいく感覚がありました。


《「情報」ではなく「絵」として捉えるということ》

今回、「幻夏」のミュージックビデオを24日に公開したわけですが、YouTubeのコメント欄の中の一つで、「いつも歌詞が見にくい」というコメントをいただきました。

前提として、どんなご意見だったとしても、コメントをいただける時点でありがたく思いますし、こちらのコメントをして下さった方は、文字通り感じられたわけで、一つのご意見として、受け止めたいと思ってます。

ただ、一つ申し上げるのならば、このコメントを下さった方は、「情報」としての脆弱性について、歌詞が見にくいとおっしゃったのだと思いますが、制作側の意図としては、そこに主眼を置いていないのは、事実としてあります。

「絵」として見た場合、映像のバランスとして、配置などを考えた場合、僕と映像監督の奥村さんの中では、あのサイズ感が一番自分達が表現したい「感覚」にフィットしています。(こういう部分においては、かなり細かい部分までお互いの意見をぶつけあい、事前に話し合うようにしています)

極端に言えば、歌詞の一つ一つが小さくて見えなかったとしても、全体像として俯瞰して眺めた場合に、デザインとして成立していれば、そちらをチョイスするという考え方ですね。

良い悪いは別として、僕と奥村さんは、このような感覚が一致している事が極めて多く、だからこそ、結果的に一緒に物作りが出来ていると感じます。

また、MVを作る時に、最終的に映像に歌詞をテロップとしてつけるかどうか?これもその時々で判断していますが、今回の「幻夏」に関して、歌詞を載せないという選択肢は最初から全く無く、映像と合わさった状態で、初めて完成させているとご理解いただけたら幸いです。

※物理的に、スマートフォンの小さな画面でMVのテロップを見ようとすると、確かに小さくて見辛いと思いますので、出来れば、パソコンやテレビ画面、プロジェクターなどある程度大きさが確保出来るデバイスでご覧いただけたらと思います。


《シネマティックミュージックに込められた意味とは?》

これは1stアルバム「between the night」の時のインタビューなどでも話していた事ですが、僕は曲を作る時に、まず頭の中に「映像」や「絵」をぼんやり思い浮かべます。

そして、そのイメージを描きながら、そこにフィットするメロディーを作り、言葉を紡ぎ、アレンジを施し、MVを作る場合は、映像として、完成させていきます。

「音」というよりは「音像」を作っているという方が適切かもしれません。

僕が普段から好んで聴く音楽や映画はジャンルで言えばバラバラですが、恐らくその趣向の根底にあるのは、「音像」があるかどうかです。

シンガーソングライターとして一番影響を受けたと公言している「エリオット・スミス」は、ほとんどの曲がギター一本ながら、彼にしか出来ない、「匂い」や「世界観」が音像として圧倒的かつ唯一無二で、音そのものを聴いているわけではなく、その「音世界」の中に身を委ね浮遊している感覚があります。

少々小難しい言い方になってしまいましたが、僕がHANCEとして表現したいものは、まさにそのような「世界」であり、これからも、そこの部分は変わらないと思います。

HANCEの曲はどんなジャンルですか?と聞かれた時、僕は「シネマティックミュージック」と答えるようにしていますが、それはハウスとかテクノとか「音」のジャンルではなく、「音像」を軸として作っているからですね。

長くなってしまいましたが、「幻夏」があなたの毎日に少しでも寄り添う事、心から願っています。 HANCE


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