見出し画像

7/16 いまさらですが、自己紹介

こんにちは。久しぶりに住んでいた町に来ました、こちら、大阪府池田市。歯医者に金髪にバックパックで毎回行くので、病院中の有名人です。

今日は吹田から石橋へ移動し、用事がすんだら夜には三重県へ向かった。一か月ぶりの家と猫とメンバーに、心からほっとした。白猫かいくんは、今日でちょうど一歳。たくさんの人を愛し、幸せにして、そしてみんなに愛されて育ってきたねえ。これからもすくすくと育ってほしいものです(大きさはこのくらいでとどまってほしいが)。

さて、タイトルで察せますが、今日のブログはいつものとは一風変わった感じで参ります、目次は、こちら。

1.はじめに

今日は特に写真を撮らず移動中心だったので、日記の代わりに自分のこと、書こうかなあと。100日以上毎日ブログを書き続け、ここにきて自己紹介!というはちゃめちゃぶり。でもこの前、広島で会った人たちと話して感じたのです。ああ、私、意外となにしてるか、なんでこんなことしてるか、知られていないんだなあと。会う人には話すのですが、旅を始めてから会っていない人には確かに、ちゃんと発信したことなかったなあ、と。

というわけで、ざっくりと分けてここに残しておきますね。

2.大きな夢を描いて入った大学生活

今更ですが、私は大阪大学法学部、国際公共政策学科の学生。「国際協力に興味のある人々が集まり、法、政治、経済など様々な分野から学べ、英語も強化される」というマニュフェストに惹かれて、受験生になってからはここだけを目指して、一気にがり勉になった。だけど私は現役合格だけど一度落ちている。というまれな受験ライフを送った。

簡単に言うと、第一志望で阪大は落ちて、後期は金沢大学を受験、合格、それを蹴って福岡の西南学院大学に通おうと決めて、家も決めていた。

そして入学式の三日前ほどに、繰り上げで合格したのだ。つまり、正真正銘の、ビリ。笑 2019年度の合格最低点は、私です。

そこまでして入った大学、希望も期待も胸いっぱい描いて、ビリから下剋上してやろう、と勉強も頑張っていた。

実際は私の描いていた大学というものとは全く違った。もちろん全員じゃないけど、「阪大生は京大に行けなかった陰キャの集まり」と自分たちで卑下する人たちがいて、勉強をまったくしない賢い人たちがいて、。それでも大好きな人たちは多からずでき、一年生の頃は暇さえあればユニバに行き、ちょっと授業をさぼってみたりカラオケで朝まで歌ったり、大学生活を謳歌していた。

それでも授業は身になっている気がしない。勉強は主に法律ばかり、英語は高校生レベル。こんなことをしたくてここに来たのではない。それでも、ボランティア論などは興味があって、でも勉強すればするほど自分で行って直接見なければ意味がない。そう思って、私はある決断をした。

3.私の夢は、叶わない

自分の目で見たい、そう思って選んだ国は、マレーシア。初めて「発展途上国」と呼ばれる国へ行って、二週間難民の子供たちと施設で暮らして、遊んで勉強して、、というプログラムだった。

画像1

行って帰ってきての感想はここにかくと長いから関係あるところだけピックアップするね。

結論、私はこんなことがしたいんだなと思った。こんなことっていうのは、その土地の暮らしに溶け込んで、生活を共にしながら自分の持っている何かで国際協力をすること。

そして気づいた。

でも、私、ここにいても何もできない。

自分の持っている何かで、の、その「何か」がないじゃん。

お医者さん、看護師さん、先生、建築関係、などなど理系を中心に得られる資格を持った人たちならここにいて貢献できる。でも、私が学校で習ったことでできる国際協力は、組織(国連など)に入って、法や政治で上から支援することになる。

絶妙に、自分ができることと、したいことがずれている。ずっとひとつだけ描いてきた夢が、すっと失われていく感覚だった。

そこからいきなり現れたコロナとの日々、私は、自分探しがしたくて、とにかく興味があることないこと関係なく手あたり次第、イベントに参加する日々が始まる。

4.新しい人、土地、考え方と出会って

ビーガン、環境に関心のある人たちのコミュニティに入り、無添加や動物性のものを全くとらない人と出会った。初めてドレッドヘアの友達ができ、ヒッピー思想を知った。無人島では、自分が普通の学生であることがマイノリティなくらい、アクティブな人、センシティブな人に出会った。限界集落では、自分の何倍も夢に向かって葛藤しながら進んでいる人たちがいた。農業も漁業もDIYもサバイバルも、衣食住を知らない人とする暮らしも。

ここには書ききれないくらい、いろいろな出会いがあった。

画像2

画像3

画像4

画像5

画像6

画像7

旅の魅力を知ったのもここかもしれないなあ。土地と、暮らしと出会っていく面白さ。とても苦手で、ストレスをかけて、それでも得られる多くのものがあるということに。

そして、なにより刺激的だったことがある。それは次章ね。

5.好きを仕事にすることを、描いていい

たっくさんの場所へ出向いて一番得たことは、なにか。それは、自信をより喪失するということだった。

やっぱり私には何もない。思っていた以上に、ない。

今まではどちらかというと自分はアクティブに行動してきていろいろ頑張っているほうの大学生、だとどこかで思っていたのに、それ以上にすごい人たちに出会いすぎて、自分の価値のなさを痛感してかなり凹んだ(ほんとにかなり)。

何もない、普通、結局私は、生きていても誰の何の役にも立たない。

もう本当になにもできないしたくない、という気持ちと、でもなにか、やっぱりなにか私にもほしい、という気持ちで葛藤した。


私は写真が好きで、ある時カメラを軽い気持ちで始めた。感情の吐き出し口として、そこの空気感を写すのが好きで撮っていた。それを、あるとき、「はなの写真、すごい。」と、泣いてほめてくれた人がいた。またある時、ポートレートを依頼されて、「すきを仕事にしていいんだよ。」と、お金を払ってくれる人がいた。

驚いた。部活に打ち込んで、受験して、大学に入って、普通に、レールに乗ってきた私に、全くそんな道は選択肢になかったから。

そうか、私、好きなことを仕事にすることを、描いていいのか。やる人が周りに少ないだけで、いやいや就活して就職する必要、ないのかもしれない。

就職する人を悪く言うつもりはひとつもない。社会にもまれて経験積まなきゃわからないことがあることも知っているしそこで戦っている人たちは心から尊敬する。でも、私には、違和感が強すぎてできない。

なにより嬉しかったんだ。自分の価値を初めて認めてもらった気がした。

そこから長い月日を使って、写真のこと、自分の将来のことに真剣に向き合っていった(これまた本当に病みながら)。

カメラを極めることが出来たら、日本中、世界中を旅して暮らしながら仕事が出来る。行く行くは、ずっと描いた国際協力に繋がる活動が、カメラを武器に出来るかもしれない。それが私の、生活と仕事を切り離さない理想系だった。


でも、考えれば考えるほど、結局カメラを仕事にすることは理想で、でも険しすぎる道のりで、よっぽど就活して就職するほうが、今の私にとっては楽であることに気がついたり、それでもなぜか、カメラで生きるために動き出すことに底知れぬ自信があったり。ぐるぐる、ぐるぐるしていた。

6.写真を仕事にするために

散々自分と向き合って(就活で言う自己分析)、悩んで悩んで出した答えは、休学をして、写真家になるための人生をスタートする、ということ。

決めてからは早かった。ずっとずっと探していた、「わたし」が見つかった感覚だったんだ。何やってる人?と聞かれて、「写真です」と答えられる。それだけでどこまでも進める気がした。水を得た魚状態の私は、ことをものすごいスピードで進めた。

まず、学校の勉強はいったんお休みして、写真の勉強に専念する。

それでも勉強だけしてももちろんうまくはならない。どうするか考えた。

そうだ、旅に出よう。  笑

感性を鍛える、自分が写真家としてだけじゃなく人として成長していく、人、土地、感情との出逢い、チャンス、すべてが一番転がっているのが旅だと思った。

といっても極度の人見知り、コミュ障、人嫌い。「変化する」という事象がとにかく嫌いで、ストレスだと感じてきた。都会も嫌い。はじめましても嫌い。去年の自分探しでさえどこに行くのも毎回直前までやめようかと悩む。

。。旅が相当苦手なことは明らかである。

そっか、後をなくせばいいや。

大阪の家は引き払った。バイトは、貯金のほぼ全額をカメラに投資したタイミングで辞めた。つまり、アドレスホッパー(=ホームレス)になった。

こうして私の、行き当たりばったり、カメラとバックパックだけの旅が始まったのだ。

7.おわりに

そんなこんなで、毎日写真と言葉と自分と向き合って旅をしている記録がこのブログなのであります。私は、基本的に直前まで次の行き先は決めない。おかげさまで途中でいきなり個展が決まったり、その資金集めのために路上販売をしたり、ヒッチハイクで拾ってもらった人の縁で見知らぬ土地で暮らしたり、電波がなかったり、波乱万丈です。

画像8

画像9

画像10

画像11

画像12

画像13

画像14

一年でどれほどのことを得られるのか、そもそも一年後生きているのかさえ分からない。だからこそお金も時間もなにも自分の固定概念にとらわれず、流れに乗って生きていこうと思うの(ちなみにお金はなぜかずっとなくならない)。

長くなりましたが以上が私の自己紹介。まだまだ書き足りないけどこの辺にしておきます。

読んでくれた人、いるのでしょうか。いたら、本当にあなたは私にとって特別です(それか私のお母さん)。

日記、全く書けなかったので今日描いた絵を添えて。

今日も一日ありがとう。おやすみね、また、明日。

画像15


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?