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よい

2023年は気色の悪い夏が続いている。

もっとまわりの全員が不幸になればいいのに。他の誰かが代わりに死んでしまえばいいのに。なんで私だけ、なんで私たち家族だけ、こんなにひどい目に合わなければいけないのだろうか。

宵が病気をした。急に元気がなくなって、床で一日中寝るようになった。ある日ご飯を食べなくなった。おなかのしこりに気づいてすぐに病院で検査を受けた。リンパ腫という、癌だった。余命があと半年らしい。それ以上生きたり完全に治って助かる確率は極めて少ない。お医者さんもネットの記事もそう言った。原因はわからない。皆さんそう言った。

宵が検査を受けた日、わたしはものすごく泣いた。宵が病気だから泣いたのではない。そのせいで、予定していた熊本への帰省がなくなったことが悲しくて悲しくて泣いたのだ。指を折って楽しみに待っていてくれた家族に申し訳なく思って泣いたのだ。違うか。私が楽しみで仕方なかったから。ここからちょっとでも逃げ出したい気持ちがどこかにあるから。全員が私を中心に回る空間を一瞬でも味わえることを心待ちにしていたから。私は家族に会えないだけであんなに泣くほど弱っているのかもしれなかった。会いたかった、会いたかった会いたかった、なんでいま病気になっちゃうの。それが、いけなかっただろうか。

八月末から九月頭まで仕事で無人島にいた。帰ってすぐに傷心旅で北海道へ五日ほど行った。たくさん家を空けた。生き返るように、久しぶりに心から幸せだった。それが、いけなかっただろうか。

今日まではっきりとどこにも書いたことがなかったけど、七月頭に家族を自死で失った。義理のといってしまえば義理の、血縁もない、なんなら戸籍上親戚にもならず他人になってしまう母だった。でも、家族より家族していた自信があった。死んだのは、親戚がいう、突然でびっくりしたことでも、家族でもないのに迷惑かけてごめんねでも、はなちゃんが来てくれたから安心して逝ったのよでもなかった。絶対に、そうじゃなかった。

ついこの前のことにフラッシュバックは止まらない。働いている時、ぼーっとした時、ご飯を作るとき、彼の寝顔を見る時、幸せな時、雨の時、すべての時に思い出す。亡くなった姿かたち触れた感覚表情、彼の泣き叫ぶ声も警察のごみみたいな知能の低い対応も、亡くなって数日の出来事も。思い出している時、私は自分がいるそこに存在している音は聞こえないし周りも見えていないのだろう、何度も名前を呼ばれたり、ミスを指摘されたりする。その場で泣き叫んだり倒れこんだりしなくていいよう、それ以上思い出そうとすることを必死にやめる。もっと心を痛めているであろう彼の前では、明るく、他のことを話して、何も特に考えていないふりをするので精いっぱいだ。亡くなった日より前の数日数週間のことは、ひとつも思い出せない。

もうだれも死ななければそれでいいのだ。だれもというのに私の身の回りの大切な人以外は含まれていない。世界平和も動物愛護もどうでもいい。ただ、自分の家族と大切な人だけ、生きていてさえくれれば、もうそれで充分ですと、何度祈った数か月だっただろうか。それなのに、それなのに、どうしてこんなにいじわるするのだろうか。なんで最も近しくて大切な命がまた奪われようとしているのだろうか。わけが、わけがわからない。

元気になると信じようと言われた。あきらめず、祈るしかないとも。

知っていますか、信じる、祈る、弔うっていうのはね、死んだ人のためじゃないです。生きている人が、何かを信じ込むことで、それにすがることで生きていくための手段です。だから死んだ人のために祈っているのではなくて、自分のために皆祈っているのですよ。だってそうでしょう。

家族が亡くなってから四十九日まで、親戚にお坊さんがいたこともあって真言宗のすべての法要をクリアしました。そうするとお経は読んでいる間に覚えていくし、そこに不思議と入り込めるというか達成感みたいな気持ちも湧いてくる。真言宗の思想はとても好きになったし、理解もできたし、お経にも関心を持った。それと同時にこれは自分たちが救われていくための手段なのだと思い、それにまんまと救われてたまるか、みたいな気持ちになる。この日に閻魔様にあって、この日に観音様に手を引かれてご浄土へ。それが完全に確かであるとだれかが証明してくれればうれしいのだけどあくまで思想で、信じるか信じないかはその人次第だ。あやしい思想家の集いや洗脳、みたいなことと、宗教的、ということばが結びついてしまうのにも納得がいく。私は自分が救われるためにあるかないかわからないことを信じて進む勇気がまだ、ない。信じて裏切られた。ような感覚ももっているし、そう描いた分結末に苦しんだことも自覚している。

そして今、生きている宵を目の前にして、治る治ると信じてあげたら治るかもしれない、そういう期待をいだいて頑張るべきだろうに全くそうできない自分がいる。期待して、本当に死んでしまったら。その時私は受け入れられるだろうか。そもそも治るを信じる前に、治らないかもしれないを信じられないのだ。半年後にこの命が消えている、来年の今日同じ家にいない。???そんなわけがないじゃないか。つい一週間前まで一緒に走っておさしみ奪い合っておこっておこられていたじゃないか。突然のこと、というならこっちである。彼氏の母、と、息子の彼女、だった私たちの方ではない。宵と私も、たかが飼い主とペット、でもない。他人に私たち家族のつながり方なんかわかられてたまるか。それでも、彼氏の母がなくなり、ペットが余命宣告をうけた、だけの、ちょっとかわいそうな私が、はたからみて残っていく。


だから文章にするのなんて一生辞めようと思った。写真で作品にするのも避けたいと思った。こんなことがなければ作れた作品もことばも展示もあったのに。それさえふさがれたようだった。自分の芸術活動を全部だれかのせいにしてやめてしまおうか。いまやめたってほかにやるべき仕事はあるしその方が生活に困らないし必要以上に一生苦しいことに向き合う必要がないじゃないか。過剰に自分のことを知る必要も物語のように自分の人生を紡ぐ必要もない。ただ毎日働いてじんわり今のきもちを忘れていって楽しいことがあって苦しいことは愚痴で解決して適当に生きていければいい。あああ。ああ。でも。それでもやっぱり生きている。宵が、いまここに生きているのに死ぬことばかり考えている。悪いお母さんだ。ごめんね。宵。私が名前をつけた、宵。まだこの世界にうまれて一年しか経ってない、宵。死なないでほしい。まだまだ、一緒に生きてほしい。それだけなのに、綺麗なことも言えず汚いことばかり連ねて書いて、ごめんね、宵。

3000字殴り書きしたってなんの解決もしない。となりであがる線香も連絡して心から心配してくれている人たちの祈りも宵に役に立つように思えないそれでも。私は書いた、いまここにこれを書いたのだ。よくやったと思う。これで私が私を保つ義務は十分果たした。あとは宵と一緒にいるか、投げ出したくなったらちゃんと任せてそれでも同じ家の中で他のことをしてみるか、そうして過ごしていく。明日から抗がん剤治療だって。人間みたいだね。怖いかな。なんにもわかんないかな。きついの、いたいの?なんにもしゃべらずはなれていかないで。おねがいだよ、死なないで、宵。





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